加害の歴史と被害の歴史 | 橘 白扇 のひとりごと

加害の歴史と被害の歴史

今年になって南京大虐殺をテーマにした外国映画が公開されている。


日本国内での上映は現在のところ未定である。


外国で公開された1本は、第59回ベルリン映画祭で初公開された


ドイツ・フランス・中国合作映画「ジョン・ラーベ(John Rabe)」


もう1本は4月17日公開の「南京!南京!」である。


日本国内では南京虐殺はなかったとの主張で「南京の真実」という映画


が撮影されたが、国内向けは別として、外国で受け入れられるかは、


甚だ微妙である。


現実に南京で虐殺があったのか、なかったのか。当事者が真実を話さないかぎり


どこまでいっても証明は難しい。


だが、ふりかえってわが国で太平洋戦争が語られる時、それは、原爆、空襲など


被害ばかりである。


日本固有の領土では沖縄のみで地上戦が行なわれたが、疎の他本州、北海道


四国、九州のいずれにおいても、アメリカ軍の軍靴に踏みにじられた地域は無い。


沖縄における日本軍の民間人に対する自殺の強要についてさえ、国内でも論争


の種となってもいる。


中国をはじめとするアジアの各地に日本軍が侵攻したのは、紛れも無い歴史上の


事実である。そこで、沖縄の同胞に対して取ったといわれる虐待がなかったと言う


のは俄には首肯し難いものがある。


なにより、外国は日本が虐殺を行なったと解釈していることは、映画が作成された


事実からも明白である。


たとえ本当に虐殺が無かったとしても、三人市虎をなすという言葉がある。


虐殺を事実とする世界の理解が広範に広がることは当然予想される事態である。


最近のわが国の刑罰の重罰化傾向は、主に被害者、その遺族の処罰感情が


長く続くことを前提としている。


戦争という異常な状況下で、個人によるものではなくとも、被害を受けた側が


処罰感情を持ち続けることは、容易に理解出来ることである。


被害の歴史に拘泥し、加害には目をつぶるのでは、国際的に受け入れがたい


ものとして、諸外国、とくにアジア諸国から信頼される国家になることは不可能


であろう。歴史の精算が済んだと思っているのはひとりわが国だけなのである。




        孚ありて之れに比すれば、咎なし


                              易経