6/9 壱岐は大きい≪壱岐島芦辺港≫ | ミニカーで日本一周☆~朝倉くみこ出会い・発見・味わいの旅~→→→からの!ヨット旅☆→→→からの!移住計画☆

6/9 壱岐は大きい≪壱岐島芦辺港≫

壱岐のブログがアップできていなかったようなので、日にちはバックしますがあげま~す(*^-^*)ゞ


6月9日(月)


壱岐島の観光です!
前回郷ノ浦周辺は見たので、今回は芦辺港の周辺を見ようと思います。

しかし、壱岐島は結構大きい。
芦辺港の北には猿の形をした石がたくさん並ぶ『男岳神社の石猿群』があり、南東には半分水に浸かったお地蔵さんが並んでる『はらほげ地蔵』があります。

どちらも行きたかったのですが、島の人に聞いたところかなり遠いとのことで、南東の『はらほげ地蔵』を見に行くことにしました。


こちらは『はらほげ地蔵』へ向かう途中で海水浴場や、壱岐島誕生神話の8本柱の1つ『折柱』も見ることができます。


まず最初に見れるのが

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清石浜です。
この海水浴場は500mにわたって砂浜が続いています+゚。*(*´∀`*)*。゚+

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そして八幡半島を進むと

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左京鼻』に到着します。
総延長約1kmの海食崖で、ここの海食崖は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ているらしいです。

そして、この東には

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『左京鼻龍神』と書かれた鳥居があります。

看板には
『江戸時代の初めごろ、大旱魃に襲われ田畑の作物は枯れ死に瀕し、人々は生活に苦しんだ。 陰陽師の後藤左京と龍蔵寺五世日峰和尚の二人は、農民の要望に応えて雨乞いの祈祷を受諾し、身命を賭して人々の救苦を誓った。雲ひとつない毎日であるが一心不乱に天に祈り地に伏した。だが雨は降らず満願の日は来た。座禅をしている和尚の周りに積まれた干把の麦わらに火が点じられ紅蓮の炎がその姿を包み、また左京は岬の断崖から身を投じようと席を立って構えるや否や車軸を流すような豪雨となって山野を潤した。
 左京鼻の言われは切りたった石があるので「石橋」から出た言葉ともされるが、雨乞いをした後藤左京の名であるとも伝えられている。---芦辺町教育委員会』

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そして見たかった『はらほげ地蔵

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干潮時に行ったので、バッチリ水からあがってましたが(;´∀`)
満潮の時には半分水に浸かるようです。
名前の由来は『お腹に穴がほげている』(「ほげる」とは「穴があく」の意味)からで、お地蔵さんが半分水に浸かってもお供え物が流れないように、穴にお供え物を入れていたようです。
しかし、この地蔵はいつだれが、何のために祀ったか、明らかではないらしいです。

『はらほげ地蔵』の帰り道では

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プラスチックの箱をけん引している車を発見。

このプラスチックの箱に中には、大量のウニが!!!
どうやら、ここいらの人は海女さんと、ウニをカラから出す仕事の方が多いようです。