中学受験の勉強って、いつからこんなに沢山必要になったんだろうかって思いませんか?

子供達の親世代、自分たちの時代は四谷大塚の週テストに通い、自宅学習が基本で
四谷の正会員は本当にトップ集団だったと記憶しています。

自分は、桐杏学園なる塾に通って中学受験してました。
同級生にはTAP(サピの前身ですね)とか日進なんかも多かったと記憶しております。
日能研はまだそれほど全国に広がって居なかったですよね。

当時の男子難関校(偏差値60以上)の受験問題って今の基準で見ると(算数ね)、
多分YN偏差値50~55前後の中堅女子校の問題あたりが該当するのでしょうか。

今の中学受験生の負担って大きいですよね、当時と何が違うんでしょう?
当時は勿論インターネットもありませんし、
全国レベルの受験塾もそれほど大きな勢力ではありませんでした。

東京区部の中学受験も、クラスで数人が標準だったと思います。

そんな当時の受験と今の受験は一体何が一番違うのでしょうか。
算数を基本に考察してみます。

当時の難問はパズル的な、ひらめきを要求しその場で初見の問題の
解法を発明し、なおかつ回答する時間的な余裕があるものでした。

ところが、受験塾が過去問を研究し演習を練りこむことによって、
従来の難問が難問で無くなってしまいました。

いわゆる知らなきゃ難問、知ってりゃ易問という状態です。

一度でも解法を見たことが有る、補助線の引き方を知ってるなどの克服方法によって
問題の陳腐化が起こったのです。
これは中学受験率がグングン上がった90年代以降に顕著な傾向だと思います。
いくら進学校の先生とはいえ問題の発明能力には限度ってものがあります。

では、そうなってしまった状態で高偏差値の生徒を、
出来るだけ確実に選抜するにはどうしたら良いのでしょうか?

処理能力重視の問題、思考パズル的な問題が生まれました。
上位の学校の問題は先鋭化していきます、解法を知っていても圧倒的な計算力が必要とされる問題、
長文から必要な要素を抜き出して、論理的に社会状況まで踏まえ長文を書く問題。
推理小説のように論理的に席順や、買い物順を追っていく問題などです。

これらは一瞬のヒラメキで直ぐに回答できるものではありません、
積み重ねた努力が、計算処理能力や論理構成力として開花していないと時間内には解けない問題です。

大人が見ても難しいというより、メンドクサイ! と思う問題です。

そんな上位校に引っ張られるように、中団の学校の問題もだんだんとレベルアップしていきました。

そしてソレを克服しようと塾のカリキュラムの長時間化していきます、
なぜなら、その頃はゆとり教育から非難するように大量のごく普通の子供達までが中学受験にチャレンジしはじめたからです。
上位は処理能力と論理構成力の一層の強化を、
中堅を目指す生徒には 知ってりゃ易問 を増やすための暗記算数の導入です、解けるまで解法を反復して覚えていきます。

これらが相乗して今現在の中学受験のカリキュラム骨格が出来ています、
長時間化が正義とされる土壌が醸成されました。

あえて例えるならば、旧来の中学受験は体力の有る選抜生が最小限の装備でスピードを武器に登山に挑むようなものでした、
天候が悪化すれば直ぐに撤退(公立中へ)好天と体力、練習成果に恵まれたチャレンジャーが山頂を制覇したのです。
撤退の重さも今ほどではなかったと思います。掛けてる準備期間が少なかったですから。

今の中学受験はどうでしょうか。
体力的には差異もありますが、兎に角万全な装備、緊急テント、食料、燃料、シュラフ、など
ありとあらゆる物資をザックに詰め込み重い荷を背負い、ゆっくり山頂に向かう登山です。
重い荷物に体は軋み、ノドは乾き辛い旅ですが、天候が荒れてもテントを張り休むことの出来る登山です。
辛い旅ですが、従来より遥かに時間がかかりますがトータルでの登頂確率は高いものになります、受験塾に求められる成果は全体の成績が問題になりますからね。
現在の中学受験のカリキュラムは、
万人が中学受験に参戦しても、遭難者が出ないように導きだされた方策です。
過酷だけど、安全指向なチャレンジです。
そして時間も費用の負担も大きいです。

みなさんのお子さんは、どんな装備でどんな山に登りますか?
それは自分達で決めることです。

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