こんにちは。
少しお久しぶりの投稿になりました。
もし読んでくださる方がいらっしゃったら、
ありがとうございます。


今日で、東日本大震災から10年ですね。


今の思いを残しておこうと思います。


震災の日、私は神奈川県で仕事をしていました。


尋常じゃない揺れ。
幸い患者さんもスタッフも怪我なく無事でしたが、電車は止まり、世の中が一変する様子を目の当たりにしました。


鮮明に覚えているのは、
5月に協会からボランティア派遣で訪れた宮城県石巻市の海辺。

そこにあったであろう家が見当たらない敷地、倒れた電柱、大量の瓦礫。

福祉的避難所をリハビリのボランティアとして訪れましたが、無力しか感じませんでした。

震災にあった方達に、なんと声をかければいいのか。
ただただ、そこにいて、環境整備と体操指導をすることくらいしかできませんでした。
外から数日間訪れて、リハビリを提供するボランティアは、あまり意味を成さなかったと思います。
継続して、地域の人たちがお互いを支えることができるよう、支援できる体制作りが大切だと感じました。

そういう意味では、
私は、役にはたてなかったけれども、ボランティアをして得たものは大きかったと思います。


大きめの避難所にはDMATなどの人たちも沢山おられましたが、ボランティア団体が他にもおられ、司令系がまとまらず、うまく機能していませんでした。


近くに炊き出しが出来そうな施設があるのに、役所の管轄が違って許可が降りず、数ヶ月も経っているのに温かいものが殆ど食べられないという状況にも驚き、縦割り社会の問題が被災地で浮き彫りになっていることに愕然としました。


ボランティアから神奈川に戻っても、
計画停電などもあり、街は暗く、今思えば異様な雰囲気でした。
当時一人暮らしだったこと、
7月から関西に転職で引っ越すこともあり、
常になんだか落ち着かず、
寂しい気持ちでいました。


助けられていたのは、
小田和正さんの

ダイジョウブ

という曲。


辛いときにこれを聞くと、
涙が溢れて、
でも、
大丈夫、大丈夫
って思えて。





歌詞、
途中までですが、、、

どれだけこの曲に助けられたか。



私は震災で誰かを失ったわけではないです。


それでも、きつかった。


震災で誰かを失った人は、
どれほど辛かっただろう。



そして、その辛さは、今も、癒えることはないのだろうと思います。



先日のあさイチで、
華丸大吉の大吉さんが、

当時も、今も、
なんて声をかけていいか分からない、
がんばって、でもないし、、、
それは今後もきっと変わらないと思う、
って仰っていて、


本当にそうだなぁと。



あれから10年。
今、
私が、
結婚して、
2人のかわいい子に恵まれ、
4人、仲良く暮らしていること。

離れていても、
親や兄弟が元気でいてくれること。


このことが、
この上ない幸せであることを、
忘れてはいけないと思う。



そして、今朝ニュースで見た福島第1原発の映像。
壊れた原発と、所狭しと並ぶ汚染水のタンク。
恐ろしかったです。

こんな惨状を同じ国内で目の当たりにしていても、
原発を存続させようとしているなんて。

脱炭素社会と、脱原発。
同時にしていくのが大変なのはもちろん承知です。


でも。
ダメなものはダメだと思う。
精一杯協力はするので、
なんとか原発はやめてほしい。

切にそう思う朝でした。




どうか、
どうか、

東日本大震災だけでなく、
各地で、
被災された方々が、


恐ろしい出来事を、
忘れることはできなくても、
普通の生活のことを考えられる時間が増えていくことを願って。



大丈夫って、思える時間が増えることを願って。



まとまりませんが。