本日、
行楽日和 につき、
おばぁちゃんを連れて
おでかけしてきました
行楽日和 につき、
おばぁちゃんを連れて
おでかけしてきました
まずは、
ランチバイキング で
腹ごしらえ
地元で獲れた野菜を
使ったヘルシーメニューが
ずらりと並んでいます。
バイキングって、
気を付けないと
あれもこれもと
ついつい取り過ぎちゃう(^_^;)
(最後に取ってきた
揚げ餅が余分だったか・・・)
食後は、
隣接する産直市場を
ちょっとのぞいてみたけど、
お昼過ぎだったし、
野菜が殆ど売れてた・・・
何処に行くとも
決めずに適当に
車を走らせる
田舎道は、
車もあんまり
走ってなくて、
渋滞もなく、快適~。
のんびりと、
おしゃべりしながら
走ること約1時間30分。
久米南町にある
誕生寺に到着。
法然上人生誕地に
建立された名刹です。
山門
【国指定重要文化財】
〇誕生寺縁起
誕生寺は、
浄土宗他力念仏門の開祖
法然上人降誕の聖地、
建久四年(1193)、
法力房蓮生(熊谷直実)が、
師法然上人の命を奉じ、
この地に来て、上人誕生の
旧邸を寺院に改めたものである。
~パンフレットより~
御影堂(本堂)
元禄8年(1695)再建
【国指定重要文化財】
方丈(客殿)の入り口、
唐門の創建は室町時代
片目川
保延7年(1141)、
3月18日未明、
預所(あずかりどころ)、
源内武者定明
(げんないむしゃ さだあきら)
の夜襲の際、9才の勢至丸
(法然上人)小弓にて定明の
右目を射る。
定明、川に下りて
その疵目を洗う。
以後、この川に
片目の魚が出現す。
~説明版より~
“片目河”と刻まれて
いるようです。
勢至堂(せいしどう)
法然上人御両親御霊廟
父君 漆間時国公
母君 秦氏 君
保延7年春3月、
稲岡庄預所、
明石源内武者定明は
漆間一族との対立関係から
突然の夜襲に及んだ。
時国公は深手を負い、
吾子9才の勢至丸に
定明を敵として追う事を
戒め、出家して自ら解脱を
求める様、遺言され43才の
人生を終えられた。
9才より奈義の菩提寺に修行し、
15才に成長した勢至丸は、
久安3年の春、比叡山に
登るため母に別れを告げた。
その秋、37才の若き身をもって
母秦氏君は病没された。
父時国公の尊い遺言、
母秦氏君との決別、
かくして万民救済の
念仏元祖・法然上人が
世に送り出されることと
なったのである。
~説明版より~
15才で比叡山へ入山する
前の旅立ちの法然様。
石垣と石段が、
とてもいい雰囲気を
醸し出しています
今回、
頂いた御朱印
“圓光大師”とは、
法然上人の最初の
大師号だそうです。
中学生頃に
訪れて以来の
参拝でした
桜が咲くころに、
またおばぁちゃんと
一緒におでかけしようと
思います