「ジャズと関わって、早30年、もう体に染み付いています。」なんて、書き始めたジャズ日記でしたが、1年半でもう、ネタ切れとなりました。これ以上、無理に土日の更新を続けると、書かなくていいことまで無理に書いてしまいそうです。そこで、ここらで小休止とやらにしたいと思います(いわゆるミクシィ症候群?)。でも、ジャズのことで、感動的なことがあったら、気ままに更新しますね。それに、今までの日記は、それなりにkumac的ジャズ・アルバム紹介となっておりますので、どうかご活用を。
 って、書いてもう4ヶ月くらい過ぎてますが、気分はまだ「小休止」です。でも、更新の頻度が何故か上がって来てます。
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2017-06-24 07:22:59

Miles Davis『'Round About Midnight』

テーマ:1955-1959

 言わずと知れたマイルス・デイビスの代表作の一つです。kumac は、これまでまともに聴いたことはなく、TSUTAYAに行ったらジャズコーナーに置いてあったので借りてきました。

 

 TSUTAYAに貸しCDとして置いてあること自体が、需要を見越してのことでしょうから、マーケットとしてはかなり貧弱で、TSUTAYAでジャズのCDを借りることのない、コアなジャズファンを商売の対象と想定しているのではないことは明白です。そうではなく、世間一般の様々な状況の中で止むに止まれず聴かなければならない人(例えば劇中の効果音、コマーシャル等の背景の音楽、焼き鳥バーのバックグラウンドミュージック)、ジャズに興味がありるけど、どれから聴いていいのかわからず、入門書で推薦されている作品をとりあえず借りる人、マイルスは嫌いだが、一度は聴いておかなければ批判はできないと思う人、などなど人の数のコンマ何パーセントは興味を持つCDだということになりますか。

 

 正直な話、kumac が持っている表題曲の「'Round About Midnight」の曲のイメージは、このCDの音です。本家のセロニアス・モンクの演奏での音のイメージはあまり、いやほとんどありません。意図しなくても、どこかですり込まれているのですね。

 

 マイルス・ディビスは不思議なジャズミュージシャンで、どの時代でもどちらかと言えば、その時々の人気のあるスタイルから、ちょっと距離を取っています。ビバップではいわゆるクールジャズを試み、ハードバップの時代はミュートを主体にしてエネルギッシュな演奏ではなく、抑制された即興演奏を展開し、バンドの音を組織化してゆきます。マイルス・ディビスは、彼なりのやり方で時代の空気を表現していることになるのですが、その結果が他のミュージシャンと違った手法というか音の響き方を追求していたように思います。

 

 この『'Round About Midnight』の録音は、1956年です。さきほど、バンドの音を組織化、とかきましたが、今聴くと、すごくコマーシャルな音に聞こえます。コマーシャルな音とは、誰にでも好まれる一般的な音、ということです。どうして、そう聴こえるかと言えば、それは多分、イメージ通りの音なのだからだと思います。イメージとは、マイルスが持っていたイメージでもありますし、今、多くの人が聴きたいと思う、<大衆>が持っているマイルスのイメージでもあります。

 

 そう考えると、ボーナストラックの4曲は、明らかに必要ないと思います。違和感があります。イメージを外す可能性があります。

 

 

 

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2017-05-13 09:30:22

Teddy Wilson『And Then They Wrote..』

テーマ:1955-1959

 テディ・ウイルソンが、ハードバップがまだ勢いを持っていた1959年に録音したピアノトリオ作品です。ジャズの流行とは一線を画した、とても穏やかなスイングスタイルの作品集です。

 

 副題が、Plays the Great Songs Composed by Great Jazz Pianists とクレジットされているように、納められている曲は、すべて過去の偉大なピアニストが作曲したスタンダードと言える作品です。

 

 その偉大なピアニストとは、

 

 ジェリー・ロール・モートン

 ジェームス・P・ジョンソン

 ファッツ・ウォーラー

 アール・ハインズ

 デューク・エリントン

 カウント・ベイシー

 セロニアス・モンク

 スタン・ケントン

 ジョージ・シアリング

 エロール・ガーナー

 ディブ・ブルーベック

 

 となります。

 

 kumac が生で演奏を聴いたことがあるのは、アール・ハインズのみ。さらに、これまで、記録された音源だけからでも、まともに聴いたことがあるのは、デューク・エリントン、セロニアス・モンクとディブ・ブルーベックぐらいです。

 

 ジャケットがいいですね。一曲ごとに、その作品名と作曲者であるピアニストの名前をまったく違ったアルファベットのフォントでデザインして載せています。この書体をすべて言い当てられる人はまずいないでしょうね。

 

 例えば、最初のジェリー・ロール・モートンの「King Porter Stomp」は、曲名がエングラバースシェードという銅版彫刻系活字で字の中にこまかい万筋がはいっている書体(大文字しかない)が使われています。そして、JELLY ROLL MORTON という名前は、同じ銅版彫刻系書体のエングラバースボールド(ちょっと縦長ですけれど)が使われ、同じ書体系で統一感を出しているのと、銅版彫刻系書体は、公式な行事で使われる書体なのでどこか気品が感じられます。

 

 後に筆記体から派生した小文字などを使わずに、正式な大文字のみの書体を使っていること、そして最初の曲であることから、如何にテディ・ウィルソンがジェリー・ロール・モートンに対して畏敬の念を持っているかが分かります。

 

 自分の曲と名前については、さりげなくサンセリフ系の細い線の書体を使っていることから、謙遜の意味が込められていると考えられます。

 

 文字のことを話してしまいましたが、そのように一曲一曲、丁寧に演奏されています。スイングスタイルの演奏ですが、指のタッチはとてもゆったりとして、一音一音に気持ちを込めた録音であることが感じられます。特に、際だった作品ではないとは思いますが、細部まで丁寧に作り上げられた作品であることは十分に伝わってくる、気品ある作品です。

 

 

 

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2017-04-15 05:40:28

Nora Jones (仙台ゼビオアリーナ)

テーマ:ライブ

 

 音楽のライブを聴くのは、約1年前のボブ・デュラン以来です。ジャズのライブとなると、もう昨年の1月のブルーノートのマイケル・チャンスまで遡ります。

 

 ノラ・ジョーンズは kumac の中では、ジャズミュージシャンではありません。そもそも、今、ジャズボーカルは、骨董趣味みたいなものであると感じています。断定をする気持ちは毛頭ありませんが、従来の形式を踏襲しない(簡単に言えば、ジャズバンドが奏でる音を背負わないような)ジャズボーカルを、今以てついぞ見い出せないでいます。

 

 これまで、触手が動いた人はいます。

 

 例えば、マデリン・ペルー、リズ・ライト、パトリシア・バーバーなど、でも結局はジャズ・ボーカルの枠を超えてしまい、ジャズではなくなっていると感じて、それ以上聴く気力を失ってしまいました。パトリシア・バーバーは、そうではないのですが、結局、スタンダードナンバーをメインにおけないと、客は喜ばない状況が続いています。

 

 では、現代におけるジャズ・ボーカルってなんだろうということになるのですが。kumac には分かりません。

 

 理屈ではなく、感じるものだと思います。

 

 今、ジャズ・ボーカルといわれているものは、いわゆるスタンダードナンバーを歌い上げることとほぼ等しいと思っています。それは、ある面、需要と供給のバランスの上で成り立っててきた結果だと思うのですが、ジャズが持つ破壊と創造という面と相反する部分では、kumac はまったく物足りないと思っています。結局、違う一面において、安定を休息を求めることとイコール=ジャズとなってしまいます。

 

 それも、ありでよいのです。そして、歳を取るにしたがって、ゆったりとした気分に浸りたいときには、とても重宝する音楽なのですが、・・・やはり、それでは物足りないのです。

 

 ノラ・ジョーンズのコンサートでは、冒頭、ノラ・ジョーンズのピアノと、他にギターとドラムのトリオ演奏で、オーソドックスなジャズボーカルを披露しました。これには、正直、面食らってしまいました。素敵です。

 

 ここで言うジャズ・ボーカルとは、音声を器楽的にコントロールする技術と、ワード(言葉)に自在に想いを込める、即興性です。それも器楽的だけではない(アル・ジャロウやベテー・カーターとは違うという意味です。)、感情が言葉にこもった情感溢れる表現が感じられるということです。その意味では、ノラ・ジョーンズはジャズボーカリストと言っても十分に通用すると思います。

 

 中盤の独りでの弾き語りは圧巻でした。その素晴らしい表現力に、マスメディアが放っておかないのか、それともノラ・ジョーンズ自身が狭い世界に収まることをよしとしないのかわかりませんが、安易にポピュラーミュージックに傾いてきている気がします。大衆性を獲得することは実利的には当たり前なことなのでしょうが、ジャズボーカルにおける即興表現を如何に現代のジャズにおいて創り出すかという点においては物足りません。

 

 オーソドックスという点では、なんら進化は見られませんが、先に書いた、休息と安寧を求めた場合には、文句がないということです。

 

 ジャズ・ボーカルにおいて新しい試みを行おうとすると、必然、他のジャンルの音楽の影響を排除できない状況にあります。必然、ノラ・ジョーンズ、マデリン・ペルーなどのように、フォークやカントリー的な要素が入ってきます。これは、仕方がないと思いますが、そこに矛盾があるのではないかと思います。

 

 簡単に言えば、アン・バートンが今の時代に『ブルー・バートン』でデビューしたとすると、全く違った次回作が出されて、プロデューサーもクレイグ・ストリートが起用されるといった現象が起きるのではないだろうかと思うのです。

 

 

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2017-02-18 09:24:42

Mimmo Cafiero『Domani e Domenica』

テーマ:1995-1999
 イタリアのドラマー、Mimmo Cafiero のピアノトリオのリーダー作です。Mimmo Cafiero については、詳細はネットでググってもよくわかりません。録音は、1996年5月6日及び7日です。ジャケットの写真を見る限り、年齢は50歳(録音当時?)くらいでしょうか(外国人の年齢は見た目ではよく分かりませんが)。
 
 ドラマーのリーダー作だからと言って、ドラマーの演奏は目立ってはいません。ジャケット表面(おもてめん)に、リーダーと共にピアノの Salvatore Bonafede とベースの Paolino Dalla Porta が併記(字の大きさは幾分小さいですが)されているところからも、あくまで曲の持つ情緒を引き立たせるためのリズム楽器としての役割に徹して、好きな音楽を奏でる、といった作品になっています。
 
 とは言え、全7曲中3曲は自身のオリジナル曲です。その一つアルバムの表題曲の「Domani e Domenica」は、ドミニカ共和国に関係する曲ですが、リズム的にカリプソの要素がある曲です。この辺は、Mimmo Cafiero の趣向が入っているのでしょうね。長い演奏の曲で、様々なドラムとベースとピアノの掛け合いが聴かれます。こういう、一聴するとあまり目立たない地味な演奏を入れてくる辺りは、この作品良さと言えると思います。
 
 よほどジャズが好きで無い限り(バックグラウンドとしてただ流すだけなら差し障りはないのですが)、嬉々としては聴けないと思います。
 
 次のオリジナル曲は「Sud」という、タイトル通りとても淡い、悲哀に満ちた曲です。美しいです。
 
 そして最後、三曲目のオリジナル曲は「Rosa」です。この曲は、他の曲と違い輪郭が不鮮明です。何かを強調しようというものではなく、よく分からない自分の感情というか、印象を表現しようとしています。それが、何かが聴き手にはよくわからない、ということです。多分、タイトルに込められた意味があるのだろうなと思います。
 
 どこの地域、国の文化でも、地理やその時代や、時々の権力者の主義趣向によって、そこで暮らす人々が考える<かっこよさ>というものが違います。同じ時代や国においても、若い人とある程度歳をとった人でも全く違います。
 
 そういうことで言うと、イタリアは家族を大事にする印象があります。それは音楽とどう繋がるかと言えば、若い人達が社会(大人)に反抗する音楽に、つまり音楽を武器にして社会や大人達と戦おうとはしないのかなと思います。ロックもそうですが、ジャズはその反抗とい点で賢い音楽だと思うのですが、それが(全くではありませんが)抜け落ちたのがイタリアのジャズなのかも知れません。
 
 悪い意味ではありません。社会によって良い潤滑油になるという意味では、とても他大事なことです。その良い例が、この作品だと思います。
 
 
 
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2017-01-21 06:51:07

Ken Rhodes『Ken Rhodes Trio』

テーマ:1995-1999

 アメリカのメンフィスに1945年に生まれたピアニストです。新宿のディスクユニオンで2016年録音の新譜と紹介されていたので購入したのですが、どうもCDにある説明書を読むと1996年頃のライブ録音が「父の思い出に」として2016年に発売された新譜のようです。それは、2016年8月にケン・ローズは死亡していますし、このCDのどこにも2016年録音というクレジットはありません。ウィキペディア(英語)では、録音は2000年と書かれていますので、どちらにしても2016年の録音ではなく10年以上前の録音と思われまれます。

 

 アメリカのシカゴで演奏活動を行い、一時期、ドイツでクラシックの仕事を行ったり、ダスコ・ゴイコビッチと演奏を共にしたようです。ドイツ時代にヒップホップ調の代表作を録音しています。ググると、その作品の紹介が多く出てきます。

 

 この作品は、アメリカン・アートという美術館のレイナードハウスという建物でライブ録音されたものです。

 

 kumacは、アメリカに住んだことも行ったこともないので、アメリカのジャズが文化として、アメリカ人の生活にどのように溶け込んでいるのかわかりませんが、テレビ等の情報で知る限りは、元々は黒人の文化にしても、その分流として、白人に洗練された娯楽として受け入れられていった部分があったと思っています。ベニー・グッドマン、グレンミラー、フランク・シナトラ、トニー・ベネットなど。オスカー・ピーターソンもその流れに入るのかも知れません。しかし、ビル・エバンスはちょっと違うのですね(自分でもこの違いが説明できない。)。

 

 このケン・ローズは、まさしく kumac が先入観として持っている洗練されたジャズそのものです。過去のヒップポップ系の演奏は影を潜めています。ちょっとその片鱗を感じさせるのが、3曲目「Assignments From A Post Life」で聴けるファンキー調な演奏でしょうか。さりげなくファンクなんですね。全面に押し出すような演奏ではありませんが、ファンクの癖とうか魂が身に染みついて自然に出てくる感覚です。とても気持ちの良くなる演奏です。

 

 その他は、6曲目フリーフォームの「Pierre's Nightmare」を除けば、高級ホテルのバーで静かに奏でられるような雰囲気とメロディーを大事にした演奏が続きます。タッチもとても綺麗です。

 

 外は、昨夜の湿った雪が、しっとりと家々の屋根に音を包み込むように積もっています。そんな静寂を感じさせる演奏です。

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2017-01-03 08:14:50

Chris Pitsiokos『One Eye with a Microscoope』

テーマ:2015-2019

 1990年アメリカ生まれの若いアルトサックス奏者の作品です。今時、このような演奏をするのには、きっと訳があるのだと思います。その訳を詮索してもしょうがないので、気持ちよいと言えば、晴れ晴れしいという点ではそうとも言えるし、陳腐と言えば、既に聞き飽きた過去のジャズの遺産とも言えます。

 

 音の粗さが、現代の感覚に親和性を持たせているのだと思います。しかし、まとまりが良すぎるのかなとも思います。その点は、表題の顕微鏡を覗いてみた音楽と捉えれば、裸眼で見た音は小さな塊にしか見えない訳で、そういうところに全エネルギーを集中することは、無駄ではない作業になるとは納得する次第です。

 

 kumac の既成概念で言えば、アヴァンギャルドです。フリージャズ言い換えると、どこか理論が見え隠れしそうなので、前者の表現の方が良いのではないかと思います。

 

 このところ、kumac は、マルセル・デュシャンに関する本を読んでいます。キュビズムの画家、つまり芸術を創造する画家として出発したデュシャンがレディメイドで、画家の最も芸術家らしい作業である<手作業>を取り去り、概念だけで芸術を成り立たせようと企てた、ちょっと考えるとダダ的な反芸術行為は、<芸術>を前提としている限り、デュシャンの意図を欄外だったわけです。

 

 芸術を無化しても、なお美術史の中でデュシャンは語られます。それは、どこかに芸術を感じさせる名残りがあるからではないかと思いますが、芸術を、美術を成り立たせるものを取り払っても、なおそれが美術、芸術である理由を探せば、そこには芸術家、美術家というレッテルがどこまでも貼り付いている事以外、なんの理由もないのではないかと思ったりもします。

 

 レッテルだらけの世界の中で、それらを取り払ったものを提示することはなかなかできないことではないでしょうか。

 

 それができるとすれば、既成とはなんの脈絡もない事物を、なんとか人間の手垢が付かないように置くこと、置かれること、置き去りにすること、忘れ去ること、しかないような気がしています。

 

 そこで、この作品ですが、今、ちょっと書いたことを音で少し表現しようとしているのかなと思った次第です。

 

 

 

 

 

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2016-12-18 07:36:29

Thomas Maasz『Thomas Maasz Trio』

テーマ:1945-1949

 オランダのピアノトリオです。元々は自主制作の作品で、それを復刻したものを手に入れて聴いています。ですから、今(2016年12月)から数年前の録音かとも思われますが、詳細は不明です。それは別にして、若手の新しい感覚のジャズのピアノトリオ作品です。

 

 ちょっと、言葉で説明しようとすると、捉えどころが無い印象を持ちます。大抵は、初めて接するミュージシャンの場合、ジャズにおける楽器ごとにどの系統とか、誰の影響下にあるかとか、そういった常識的なことから探りを入れて、音楽を聴いてゆくうちに、こういう他のジャンルやそ土地の伝統的な音の癖を拾ってゆくのですが、ちょっと捉えどころが無いです。

 

 別な言い方をすれば、kumac の既成概念では括れない音です。

 

 全体としては、マイナー調の感情的な起伏の少ない、ミデアムテンポ主体のヨーロッパのクラシカルな洗練されたデリケートな音です。こう書いても、皆目見当が付かないと思いますが、その退屈な時間の中に、時々、ポッと聞き慣れたというか、安心させるメロディーが入り込んでくるのです。そのタイミングというか、訪れる瞬間が、ちょっと定番なスタイルではないのですね。意外性を持っています。だから、どうしてこんな演奏をするのだろうか(できるのだろうか)と思ってしまいます。

 

 5曲目のスタンダード「Don't Explain」は、まっとうに弾いています。どても情緒豊かで、聞き惚れてしまいます。ジャズに対しては、しっかりとした受容の器を持っているミュージシャンと思われます。他にも、「All The Thing You Are」や「Skylark」などのスタンダードを、敢えて自分の名前でアレンジとクレジットをして演奏しています。その曲を聴くと、前出の「Don't Explain」はちょっと違う(癖のない演奏をしていて)のですが、他のオリジナル以外の曲はテンポや主旋律の音の選び方をかなり自分流に変化させています。その変化の方向は、「アンチ・・」といった印象を受けます。Thomas Maasz の個性が出ているというよりは、まだ「敢えて」逆らっている印象です。だから、穏やかですが、フリーフォームに近似した印象を持ちます。

 

 こういう音に耽美的な快感を持っているのかも知れません。美しいといえば、美しいです。壊したりは決してしません。7曲目のオリジナル「Tant Bien Que Mal」は、とても静かで、美的感覚が研ぎ澄まされた、あまり甘くもなくて、気持ちよい曲です。

 

 あっさりともせず、かといって情熱的でもなく、さりげなく、そしてちょっと反抗的な音でしょうか。色んな可能性を感じさせる作品です。

 

 

 

 

 

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2016-11-27 05:09:47

Franco Piccinno『Migrations』

テーマ:2010-2014

 2014年10月録音。イタリアのピアニスト Franco Piccinno のトリオ作品です。録音から発売まで1年半以上の時間がかかっています。この時間のズレが何を意味するのか、さしたる意味がないのか、判りませんが、なんとなく気になります。

 

どうして最初から、どうでもよい話をしたのかと言えば、最初に聴いた印象が、<時間>というものを感じさせたからです。よく、生活していて感じることですが、時間が早くすすむ、とか。時間が進むのが遅いとか。そういうところで、この作品は「時間が進むのが遅い」という感覚を第一印象として持ったのです。

 

 別な言葉で表現すると、<重厚>な音の響きです。メロディー自体もいたってシンプルで癖のある、妙に自己主張をするような癖は感じません。他のジャズミュージシャンで言えば、ブラッド・メルドーのような演奏です。メルドーのタッチは羽の生えたように軽いのですが、Franco Piccinno は至って正統な弾き方をしていると思います。

 

 音をなぞるような弾き方はしていません。どの音も、明確な自己主張を伴っています。だから、落ち着いて聴けます。心地よいとさえ言えます。安心できる、そんなことを言いきっても良いかもしれません。破綻はありません。

 

 情感は豊かです。だから、ジャズ的な雰囲気作りにはもってこいの作品だと思います。でも、けっしてイージーリスニングの代替えにはならないと思います。聴いていると、音の連なりに引き込まれる危険姓があるからです(褒め言葉です)。

 

 現代のヨーロッパのメインストリームジャズの範疇にあきらかにずっぽりと入る作品だと思いますが、個性を際立たせないところがいいです。かといって、凡庸には感じられない、どこか新鮮な響きを持ちます。この辺りの印象が、時間を感じさせるものかなと思います。それは、即時性を感じるからだと思います。時代を共有しているなという演奏です。それは、善し悪しですが、これ以上突き詰めて考えると、ことが複雑になるので、そもそもジャズから離れてしまいます。

 

 ということで、意外に手応えのある作品です。

 

 

 

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2016-11-20 04:06:24

Sebastian Noelle『Shelter』

テーマ:2015-2019

 1973年ドイツ生まれのギタリスト、セバスチャン・ノエルの作品です。ネットでググるとヨーロッパの現代ジャズギタリストと出てきますが、2002年からはアメリカに活動の拠点を移しています。

 

 ジャズにおけるギターによる表現は、なかなか難しいと kumac は考えています。まず、切り口の問題。例えば、集団演奏におけるリズム楽器としての柔らかいジャズギター、例えば、チャーリー・クリスチャンから続く、ワンホーンライクなブルージーでシングルトーンのメインストリームを貫く陰影を持つジャズギター。そして、ロックの影響を避けて通れなくなった感情を露出したジャズギター。そして、ヨーロッパに起きた実験的なジャズギター(ディレク・ベイリー、テリエ・リピダル等)。

 

 様々な音楽と融合してきたジャズの歴史の中で語ることもできるし、そうかと言えば一瞬で感知してしまう音色で語ることもできるような気がします。

 

 グラント・グリーンの音色とパット・メセニーの音色は明らかに違います。では、ジム・ホールの音色はどちらに近いか・・・・。これは、感覚的というか、感情的なもので好き嫌いに繋がるものです。

 

 セバスチャン・ノエルは、ジャズの歴史的な系譜の中で捉えれば、テリエ・リピダルの演奏に近似的な印象を持ちました。やはり、活動の拠点をアメリカにしているとは家、演奏はヨーロッパ大陸の匂いを感じます。また、環境音楽に近いものを目指しているとも感じます。

 

 例えば、4曲目「Rolling with the Punches」はミニマルミュージックの手法を使いながら、何かを主張するわけではなく、ある一定の音の印象を描いてゆくものです。それは、気持ちよいものです。けっして感情を揺さぶるものではなく、あくまで場を静めるための音、手法というものです。セバスチャン・ノエルのギターの音色の特徴を演奏と絡めるとすると、こういった演奏が一番、しっくりとくるのではないでしょうか。

 

 どちらかというと、こういう演奏からフリーフォームに近い傾向の演奏が多いのですが、心地良さを求める方向に向かわないこと自体が、ジャズの本道を行っているとも言えるかと思います。こういう芯の強いミュージシャンは尊敬に値します。つまり、決してメジャーに向かわないところがいいですね。 

 

 こういう音楽にはかなり生理的な感情が先に走ってしまうことが多いと思いますが、、音楽接する態度としては、「現に今、聴いてい」るということ自体いおいては、それが受動的だろうが能動的だろうが、自分の<心に起こったこと>に素直に従うことが肝要かなと思います。そして、それがどうしてだろうと自問自答することができたら、もっと素晴らしいことではないかと思います。

 

 

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2016-10-23 06:21:06

Cyrus Chestnut『Revelation』

テーマ:1990-1994

 アメリカのピアニスト、サイラス・チェスナットの1993年録音のトリオアルバムです。kumac は、彼の名前だけは聞いた覚えがありますが、名前と演奏を結びつけて、きちんと認識して聴いたことはありません。というよりも、誰かの作品のサイドミュージシャンとして聴いたかも知れない、といった程度です。

 

 彼がジャズシーンで名前が売れ始めたときは、kumac がほとんとジャズを聴かなかった時期に当たります。今も、名前でCDを買ったりはほとんどしません。大体、新作は、8割方ジャケ買い+お店の宣伝の文章だけです。廉価版を買うときは、なるべく知っているミュージシャンは、特定の人(例えば、コニッツとか)以外、避けるようにしています。

 

 それなので、kumac の住む田舎の CD ショップで廉価版を見ていたら、この得体の知れない(失礼)名前にを食指が動いたわけです。

 

 小気味よい演奏です。これぞ、ピアノトリオといった音の風情です。衒いなく(自分の個性を強調することなく)、内なる良心に従って、心地よい演奏をしています。この<内なる良心>って、いわゆるブルージーなゴスペルを感じさせるネイティブで根源的な、新しさを追い求めるような邪心がない無垢な心、といっていいでしょうか。

 

 だから気持ちよく聴けます。最高です。何も言うことはありません。決して裏切ることがありません。安心して聴けます。少々、物足りなく感じるかも知れませんが、そういうときは躊躇なく、他のミュージシャンの作品に替えればよいわけです。

 

 ライナーノーツ氏(ワーナーミュージック<WPCR27914>)の文章を読むと、1990年代に日本でリーダー作を録音し、そのときのベースがクリスチャン・マクブライドだったと記載がある。確かに、ここでのベース、クリス・トーマスの演奏を聴いていると、アプローチが似ている。それでなくても、クリスチャン・マクブライドが演奏したがるような曲調が全体の雰囲気を支配している。どっちがどうかしらないですが、ウイントン・マルサリスの原点回帰の動きに呼応する印象を持ちます。

 

 どの曲がどう、といいよりはすべてがジャズの醍醐味、恍惚、即興、衝動、哀愁、神聖など、を見事にコンパクトに収めた作品です。

 

 最近のヨーロッパのいわゆるロックでクラシカルなジャズばかり聴いていると、こういう本場アメリカのオーソドックスなものを聴くと、心躍り、そして心が落ち着きます。

 

 良いですね。

 

 

 

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