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今日は記念すべき日になった。
「The Next Generation パトレイバー」シリーズが、いよいよ今日(もはや昨日か)公開された「首都決戦」を以って終幕となった。
思い返せば、1年半前。
2013年の10月に、デッキアップされたイングラムの画像がリークされた時から始まった。
当時は「パトレイバー25周年記念の話題作りか何かだろ」と浅はかながらに思っていたわけだが、
2014年4月から全12話+長編劇場版で順次”新作”が公開され、あまつさえ特車2課の最期を見届けることになろうとは。
そして今日公開された「TNGパトレイバー 首都決戦」。
内容は劇場版パトレイバー2(1993年公開)の世界から13年を経た世界のお話。
13年前、首都東京を舞台に仮想戦争を引き起こした政治犯(公的には政治犯はいないことになっているらしい)である柘植行人がもたらした正義と憂国の想いが、
再び"ゴースト"として首都に舞い降りる。
ゴースト、即ち、視えない戦闘ヘリ。
熱光学迷彩を身に纏い、首都の上空を飛び回るだけで、1000万都民を人質にできる、陸自の最新鋭試験兵装。
その名は、AH-88-J2改 グレイゴースト。
AH-88 ヘルハウンドの発展型である。
かつて首都を蹂躙し、都民を仮想戦争状況下へと叩き込んだ悪夢が、
柘植の想いを載せた悪魔が、現代にリプロダクトされて帰ってきた。
すべては13年前のクーデターに端を発し、悪夢が再び手段を変えてフラッシュバックする。
かつてレイバーは、パトレイバーというコンテンツの主軸を担う要素であった。
街には2足歩行の巨大ロボットが割拠し、それが前提条件としてストーリーの基軸を成していた。
レイバーが事件を起こし、レイバーで解決する世界。
実写ではそれができない。そこが押井監督にとって鍵だったように思う。
「メカフィリア」や様々な媒体を読めばたっくさん書いてあるが、押井監督は2足歩行ロボットを全面否定している。
だからこそ、押井色の強い劇パト2の世界にレイバーは蛇足だった。あくまで人間が引き起こす戦争を演出し、人間の手で収束させたかったのだ。
(だから、劇パトシリーズは人間の表情変化が豊かざんしょ?)
首都決戦は押井監督が20年前、劇パト2でやり残したことの、いわば供養だったのではないかと思う。
”イノセンス”制作にあたって、”攻殻機動隊(Ghost In the Shell)”を最新技術で作りなおしたように、
20年前の劇パト2のゴーストを屠るための術式、それが「TNGシリーズ」だったのではないかな、と。
首都決戦を見ればわかるが、今回のクーデター鎮圧にレイバーはまるで関与していない。
「出た!」と思ったらいつの間にか蜂の巣になっている。
首都決戦では、あくまで人間の動線が絡みあうことで事件が収束していた。
これが20年前に押井監督のやりたかった「リアルシュミレーション」というヤツなのかな。
レイバーという空想の産物は、あくまで特車2課というアウトロー(または独立愚連隊、もしくは半端者の落ちこぼれ集団、あるいは盲腸)を存在させうるための舞台装置としての役目に徹する。
(同じ舞台装置の役割を果たすのに、WXIIIと比較したら……)
はっきり言えば、首都決戦は劇パト2の焼き直しと言ってもあながち間違いではない。
だが、実写の質感が乗り、より人間味が増した登場キャラクター達の立居振舞という点を考えると、劇パト2はあくまでプロトタイプだったと考えるのが妥当かもしれない。
そして同時に、TNGシリーズは日本映画界の実力を試す実験装置としての役割をも持っていた。
・原作付き作品は原作の呪縛から逃れられないのか?
・日本映画界に特撮SFはもう作れないのか?
・リメイクリブート作品は売れないのか?
・採算度外視で作品は作れないのか?
すべて否、断じて否であった。
これはパトレイバーというコンテンツの持つバックボーンの影響を差っ引いて考えたとしても得られる帰結である。
というわけで、エンタメ・アクション・特撮、諸々を目一杯詰め込んだ
「The Next Generation パトレイバー 首都決戦」、ぜひ劇場で見て欲しい。
あの映像を”体感”してほしい。
(できれば劇場版パトレイバー2を見てから……)
高畑が、カーシャが、泉野が、そして灰原が織りなす 女の戦い を見て欲しい。
戦う女性は華麗で美しいぞ……。