平成の侍?
いや、平成の江戸大道芸人ですね。

侍が人前で抜刀する時、それは、相手か自分かのいずれかの死を意味します。
これは、侍に限らず、武士全般にいえます。

人前で抜刀するのは、武士くずれの大道芸人くらい。

ちなみに、武士と侍は違います。
侍は、さぶらう者、つまり、公家に仕えて武力をもって守護する者という言葉に由来し、後には主家に仕える者という意味になります。

江戸時代の征夷大将軍ですら、天皇家に仕えて武力をもって守護する侍大将という意味です。
侍とは、将軍家の場合、旗本や御家人などをいいます。
諸大名では、俗に上士と呼ばれるのが侍です。
旗本や御家人の一族郎党は、武士ではありますが侍とはいいません。


ということで、たしかに技はすごいと思いますが、やっとることは大道芸人ですね。
刀は、武士の魂といいますが、それはそれを使うということが、実際に命がかけられているからです。
「恋愛」という言葉は、例えば「善悪」に代表されるような、反対の意味を持つ言葉からなる熟語です。

でも、「善良」のように、似たような意味を持つ言葉からなる熟語だと思っている人が多いですね。

「愛」という場合には、個人的な欲求を伴わない対象への想いをいいます。
「無償の愛」といいますが、「愛」という言葉自体が無償のものですから、それは変な言葉です。

一方、「恋」というのは、個人的な欲求をベースにしたもので、例えば「愛されたい」というのは「恋」です。
基本的に、「恋」とは、相手のことよりも、自分の欲求(主に性欲)を満たすためのもので、有償のものをいいます。

ちなみに、江戸時代には、「情欲」と書いて「こい」と読ませることもあり、現代の「恋」または一般的な「恋愛」に相当する言葉は、「浮気」または「艶気」(読みは両方とも「うわき」)といいます。

「浮気」の反対語は、「本気」ではなく、「現実」です。
「浮気」、つまり「恋」というのは、いつかは現実に戻る、つまり別れるということを前提としています。
基本的には、欲求が満たされた時点で終わります。

どこからが「浮気」か?といえば、下心(欲求)があれば、それは「浮気」ということになります。

ところで、「不倫」というのは全く違います。
「倫」は、人間関係を意味する言葉ですから、男女の問題に限らず、正常な人間関係を壊す行為を「不倫」といいます。

「浮気」と「不倫」の違いは?といいますが、実は全く別の問題なのです。

「不倫」は、人格障害などの精神医学上の疾患によるものだといってよいでしょう。
防犯上の理由から、携帯は不要という意見は愚の骨頂です。
実際の問題になっているのは、インターネットへの接続機能やメール機能によるもので、そういう機能が必要か?不要か?という議論は一切なしに、携帯不要というのは短絡的な発想だといわざるをえませんね。

短絡的といえば、最近の犯罪者の発想の特徴です。

大阪の某府知事は、子供たちが登下校時に事故や犯罪に巻き込まれたら、全責任を負うのでしょうか?

それはありませんよね。

タレント(弁護士)時代から、自分の責任については、ほとんど発言したことはありません。
とにかく、誰かに責任を負わせて責めるような発言しかしてませんからね。