私があらゆる局面で躊躇もなしに選んできたのは 壮麗な死ではなく 恥ずべき生だった | 今日も世界は美しい

私があらゆる局面で躊躇もなしに選んできたのは 壮麗な死ではなく 恥ずべき生だった

これは西日の世界に穿たれる、ちっぽけな楔の物語だ。



小さな染みのような異物が、世界の中心からその破壊を企てる、復讐の夢物語。
罪なき人々の慟哭と哀願を裏切り打ち砕こうとする男の、罪深き愛の物語。



 この場所に連れてこられた当初は、このテラスに出るのが怖ろしかった。

世界と私の法則を確認し、唯一、正気を繋ぎ止めることができるこの場所が。
なぜなら、私はもう“こちら側”にいるからだ。
かつてあれほどまでに欲した静寂を、私はこの石壁の内で手に入れた。
それが望んだ安寧とは程遠いものだったとしても。

この薄ら寒い静寂の中で、私は自分に突きつけられた役目を果たす。
騙し、奪い、犯し、恣に血を浴び続ける体制の歯車として。

 これは私の罪なのか。
同じ役目を負った多くの先人に倣い、私もここから身を投げ出すべきなのか。

下方に拡がる偽りの天幕の下で、腸と脳漿をぶちまけ、死者たちの供物として朽ちるべきなのか。

9年前、この場所に立っていた私は、幾度となくこのような自問を繰り返したものだ。
指先から温もりが消え、頭は均衡を失い、腹の底から込み上げてくる絶望に追い立てられ、空虚な闇の帳の向こうに身体を委ねたくなる。
そうだ、これまでの私がいつもそうしていたように、また逃げ出せばいいのではないか。
もう決して逃れる必要のない、その場所に。



 しかし、今の今まで、私はその一歩を踏み出しはしなかった。
死が、ひたすら怖かったのだ。
そう、疑う余地など微塵もなく、死への見下げ果てるべき恐怖こそが私の原動力のほぼ全てであり、尻尾を巻いて逃げ出すことがただ一つの私の取り柄だったのだ。
私があらゆる局面で躊躇もなしに選んできたのは、壮麗な死ではなく、恥ずべき生だった。
そんな私がこの呪われた生命を終わらせる勇敢な一歩を踏み出せずに、小さな虫けらのように身震いするのが関の山だったとしても、今さら誰が私を責めてくれるだろうか。
少なくともそうしてくれる人間は、すでに誰一人として生きてはいない。
 やがて恐怖心や良心は石の静寂に飼い馴らされ、しかしそれらを受け継ぐように、復讐の熱を帯びた憤怒が皮膚の下で燃え立つのを私は感じるようになっていた。

 9年前の、か弱く、まだ幾らかは美しかった私の姿を頭の奥へと放り去る。

拳を固め、目を開く。

 私は死者たちの慟哭を力一杯吸い込み、その呪いで肺をたっぷりと満たすと、踵を返して後ろ手によろい戸を閉めた。