スポーツ中継が劣化している | 皆様ご機嫌いかがでしょうか 

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【久保田光彦オフィシャルブログ】 

先日、ディレクター仲間二人と小一時間お茶を飲みながら話をする機会があった。主題は、もっぱら今の民放キー局のスポーツ中継についてであり、二人とも嘆くこと仕切りであった。民放の特にキー局のスポーツ中継が、劣化しているというのである。

スポーツ中継の主役はスポーツであり、制作サイドはそれをどうやって視聴者に見せるかということに腐心するわけだが、そこにバラエティーの概念が侵食してからは、スポーツ中継そのものより、前後の時間、あるいはインターバルの時間をいかに面白くするかに全精力をつぎ込んで、スポーツを単なる素材として扱うようになってしまった。

その結果、スポーツは寸々に切り裂かれ、日本人かスーパースターの登場するシーン以外は、我々の前にお目見えすることがなくなってしまった。本来世界のトップのプレーを見られるはずの番組は、スタジオでのタレントのくだらない決め台詞や浅薄な知識の披瀝の場と化したのである。

ディレクターの一人は、『おそらく近い将来、民放地上波のスポーツ中継は、ダイジェスト番組にならざるを得ないのではないか?スポーツ中継をちゃんと見たい人は、BSをつけるようになる!』と少し忌々しそうに言い切っていた。因みに、アメリカではすでに、スポーツ中継はBS・CSなどのペイバービューで見ることが当たり前になっているそうだ。

劣化の根底にはレーティング至上主義の姿勢がある。視聴率を稼ぐためのテクニックばかりに制作の頭脳が使われて、本質はスポーツにあるという事実が隅に追いやられている。さあ、そこでわがWOWOWである。制作プロデューサーの一部は分かっていると思うのだが、どうも編成を含めた社全体が”民放地上波(キー局)になりたがっている”ように思えてならないのだ。そう考える根拠は、レーティングに対する意識の部分であり、民放と同じ基準で評価をしようとしているから、そこかしこにバラエティーの影が忍び寄ってきている。もちろん遊びがあってもいいし、バラエティー的要素全てを否定するわけではない。でもWOWOWに求められているものは、素材そのものの良さであり、周りの添え物の飾り具合ではないはずだ。

BSの存在価値が、今後は特に問われるであろう。民放地上波との違いを強調しなくてはならない時期が、まさに今来ようとしている。2011年には、電波数も増えて、WOWOWもデジタル3波になる。コンテンツの奪い合いが起きるのは必至の情勢だ。だからこそ、民放地上波との差別化を強調し、見る側にアピールする必要がある。視聴率よりも中身を重視する中継姿勢、それは民放が決してマネのできない領域であり、劣化してゆく民放地上波中継の悪しき部分に憧れを抱くなど、バカバカしいたらありゃしない。レーティングの呪縛は、民放に任せておけばいいんです。