わたしがまだ幼い頃








大工をしていた父が、仕事場で大きな怪我をして








入院してしまったことがあった








その頃は、幼いわたしの面倒を見るために








母はまだ、働きに出ていなかったから








父が入院してからの数ヶ月間は








生活費と、父の入院費を一人で用立てるため








そのとき母は、わたしを託児所に預け、外に働きに出てくれた








中学しか卒業していなかった母が








突然働き口を探すのは、きっと大変だったに違いない








あの頃の我が家は








お世辞にも、決して裕福な家庭とは言えなかったんだと思う








わたしがそう思うのは








台所に炊飯器と、ちっちゃなちゃぶ台だけしか写っていない








そんな一枚の写真を、わたしはいつか








古いアルバムの中に見つけてたから…












幼かった頃のわたしの








薄っすらと、でもしっかりと残ってる記憶








それは、託児所でお友達と一緒に、楽しく遊んでた記憶と








夜遅くになって、お友達のお母さんがみんなを迎えにきて








そして、お友達みんなが居なくなった託児所で








最後まで、一人ぼっちで母を待ってた記憶…










「いつも遅くまで預かって頂いて、本当にすいません」










そう保育士さんに頭を下げながら








いつも息を切らして、自転車で迎えに来てくれた








待ちに待ってた、母のあの姿…








それから母の自転車の後ろに、ちょこっと座って








母と一緒に歌いながら、家まで帰ってたあの頃のこと…










そして、他所の子供達はとっくに寝ている時間が








あの頃の我が家の夕食の時間








母は








「お腹すいたでしょ、すぐ作るからねっ」








そう言って作ってくれた








お肉料理やお魚の料理








お腹がすいてたわたしにとって








それはどれもが、いつもご馳走だった








だけど…








その頃の母の夕食は








なぜか毎日いつも同じメニューで…








不思議に思ったわたしは母に








「どうしてお母さんだけ、毎日同じご飯なの?」








って、聞いたことがあった








すると母は








「お母さんね、このお魚が美味しくて、とっても大好きなの。だから毎日食べてるのよっ」








そう言って微笑んでた








「そんなに美味しいんなら、わたしも食べてみたい!」








と、わたしが言うと母は








「駄目よ駄目よ、このお魚は、大人にしか食べられないお魚なの!いつも言ってるでしょっ」








と、わたしに言った








そんなに美味しいお魚が、大人にしか食べれないなんてズルイ!って








わたしは、いつもダダを捏ねて…








そんな生活が、父が退院してくる日まで続いてたの覚えてる












そして、わたしは結婚し、子供が出来て








いつだったか、子供にお魚料理を作ってあげてたとき








父が突然わたしに、こんな風に話しかけてきた










「おめぇが、子供に魚料理作ってやってるの見てたらよ









なんか昔、大怪我をしたときのこと思い出しちまった…」










と父は言った








「なんで、魚料理なんかで、大怪我したときのこと思い出すの?」








と、わたしが尋ねると父は










「あの頃は、それでなくても不景気でな








俺に、大工仕事もあんまし無くってよ








毎月毎月、本当にギリギリの暮らしだったんだ








おめぇも小さかったし、頑張らなきゃいけねぇって、いつも思ってたんだけどよ








そこにもって、あの怪我で入院だろ…








貯金なんて、全然ねぇことなんか分かってたしよ








見舞いに来たあいつに、いつも聞いてたんだ








大丈夫か?飯、食えてるか?ってよ








でもあいつ…








『大丈夫っ、大丈夫だから心配しないで』








ってしか答えねぇんだ








そんな訳ねぇくせによ…








でよ、何食ってんだ?って聞いたんだ








そしたらよ








『子供には、毎日美味しいもの食べさせてるから…』








ってあいつ言うわけよ








だからよ、『おめぇーは、何食ってるんだ?』って、もう1回聞いたわけよ








そしたらあいつ…








『毎日ホッケっ』








ってよ…笑いながら言うわけよ








ホッケっつったらよ、おめぇ








冷凍技術のまだ発達してねぇあの頃に








すんげぇ痛みやしぃあの魚はよ








半分腐ってるような、一番安い魚でな








人によっちゃよ、『あんなの囚人食だ!』なんて、陰口たたかれてるような魚でよ…








店で買うだけでも、恥ずかしくなるような魚だったわけよ








それをよ








毎日食ってるって俺に言うわけよ…








おめぇに美味いもん食わしてよ








自分は毎日ホッケ買ってよ、食ってるって言うわけよ…








だから子供のことは心配すんなって、俺に言うわけよ…








俺の怪我のせいなのによ…








俺を責めたりなんてしやしねぇ








愚痴の一つも言わねぇのよ








そんなあいつを毎日見てたらよぉ…








申し訳ねぇ、もうしわけねぇ…ってな








あいつに、泣いて謝ったことをよ…








おめぇがよ、自分の子供に魚料理作ってやってるとこ見てたらよ








なんだかあの頃のこと、思い出しちまってよ…」










そう話しながら、目に涙を浮かべた父を見て








気づいたら、わたしも








いつの間にか、自然に涙溢れてた…














昨日は、お彼岸の中日だった










母のお墓の前で手を合わせ









わたしは母に、こう話しかけた












「わたし、この年になってね












あのとき…













母さんが食べてたホッケの味












あの『美味しい』の本当の意味












母さんのようには












きっとわたし、まだまだだけど…












でも、やっとね












少しだけかもだけど、わたし













分かるようになってきた気がするの
























母さん





























ありがとう…」







































































にほんブログ村 家族ブログへ