母親が語る、京急電車 | kubodiのちっとも新鮮でないネタ

母親が語る、京急電車

今回は少しプライベートなおはなしです。


まず、僕の母親についてごくごく最低限の個人情報を簡単に紹介しますと、昭和27年生まれで生まれてから今までずっと京急沿線に住んでいます。


こんな母親の発言から、2つほど拾い出してみたいと思います。


その1.「京急は冷房があるというだけで、特別料金をとっていた」


昭和45年夏に登場した「みうらビーチ号」。海水浴シーズンに運転された、有料定員制列車でした。ちなみに座席料金は片道50円、往復100円でした。

3往復が設定され、2扉セミクロスシートの600形が使用されました。

この年はまだ京急には冷房付きの車両はまだなかったものの、蛍光灯を青いものに交換して車内が何となく涼しい感じに見えるように演出しました。


翌昭和46年、京急にも冷房付きの車両がデビューしました。この年も「みうらビーチ号」は8両編成3往復が設定されました。この夏に間に合った冷房車の内訳をみると、600形の改造で8両、1000形の新製で18両。

せっかくの特別列車なので冷房車を使用したい。600形はセミクロスシート車なので特別列車にはおあつらえ向きでしたが、1000形は扉が片開きということを除けば、とてもオーソドックスな通勤電車。もちろん座席はオールロングシート。

この年は3往復とも冷房車を使用し、1往復は600形、2往復は1000形が担当しました。網棚を造花で飾ったり冷風の吹き出し口に芳香剤を置いたりと、工夫を凝らしましたがロングシートであることを誤魔化せるはずがありません。


利用客が伸び悩んだようで昭和47年以降は1往復ないし2往復という体制で推移し、列車の名前もいろいろ変わりました。
使用された車両は冷房車が年々増えていたこともあって600形になった、と言いたいところなのですが、なんとなんと昭和47年以降はオールロングシートの1000形が使用されました。

下り品川発三浦海岸行きが運転される時間帯が朝のラッシュ時で、2扉セミクロスシートの600形では送り込みで品川に向かう上り列車の混雑に対処できないという、背に腹を変えられない事情があったようです。


昭和57年末に600形の役割を引き継いだロマンスカー2000形がデビューしたことで、翌昭和58年には夏の有料定員制列車も2000形に引き継がれた、と言いたいところなのですが、この年に2000形に引き継がれたのはなぜか下りだけで、上りは1000形のままでした。昭和59年になって完全に2000形に引き継がれ、ロングシートの有料定員制列車というぼったくりといわれても仕方がないような列車はようやく姿を消しました。


その後平成6年まで海水浴シーズンの有料定員制列車は2000形で運転されましたが、2100形には引き継がれませんでした。


吉本尚さんの著書「京急ダイヤ100年史」でも、みうらビーチ号について、「座席料金の片道50円は"冷房料"だと揶揄する声も」と紹介されています。


その2.「京急に乗っていたら、走っているときにドアが開いた」


列車が駅に停車するワンテンポ前に片開きの扉が勢いよく開く。僕が子供の頃はこれが京急電車として当たり前の光景でした。他の路線にたまに乗るとそんなことはなかったので、今思えばずいぶんせっかちでスピードにこだわった電車だったのだな、と思う今日この頃です。