「嫌われて傷つきたくない」 | 自分らしく生きるために、今できること。

自分らしく生きるために、今できること。

結婚10年、男の子+ワンコと暮らしてます。

真夜中のテンションでこんばんは。由佳です。






誰にも嫌われたくなかった。

誰かに嫌われない代わりに、誰からも好かれなかったとしても

それは仕方のないことだと諦められた。


嫌われるくらいなら、いっそのこと自分から嫌ってしまえば傷つかないと思って

私のことを好きでなさそうな人がいたら、
私の方が先に相手を嫌うようにした。





本音で接したら、心が傷つくと思っていた。

素の、そのまんまの私でいたとき
誰かから否定されたり攻撃されたり拒否されたりなんかしたら
丸裸の私はきっと傷ついて立ち直れなくなっちゃう。

そんなの耐えられない。

悲しい想いをするのは、もういやだ。


いつからか私は
本当の私とは違う私で接することにした。

本当は怒ってるけど、ニコニコしたり。
嫌いなのに、嫌いじゃないフリしたり。
温厚なフリをしたり。
器の大きいフリをしたり。
適当に話を合わせたり。

時には

わざと優しくしなかったり、
きつく当たったり、
何にも興味のないそぶりをしたり、
一人でも平気なフリをしたり。


それだったら、
否定されても嫌われても
心は傷つかない。

それは偽物の私だから。

本物の私じゃないから、大丈夫。


そう思ってた。




でも。


違う自分で人に接するということは
相手に対する期待がどこかにあって、

拒否しないでほしい
否定しないでほしい
嫌わないでほしい

そんな気持ちを
自分の感情を犠牲にする代わりに、相手に期待していた。


それが叶わなかったとき、どこかで私は傷ついていた。


逆に、


拒否しなさいよ
否定しなさいよ
嫌いなさいよ

そんな態度を自分から仕掛けたら
嫌われても傷つかないと思っていた。



でもやっぱり、どこかで傷ついていた。


なぜだろう?


きっと本当の自分だったらもっと傷つくんだろう。


だから私を守る術として、この策は正しいに違いないと思っていた。










でも、違った。


本当は逆だったんだ。



違う自分で接するから、傷つくんだ。

どこかでじくじく痛むのは、

本当の気持ちを隠されて、
奥に押し込められた丸裸の私が傷ついていたからだったんだ。



嫌われないため
否定されないため
拒否されないため


そのために感情を犠牲にしたのに、

「期待に応えてくれない」って

相手に対する勝手な期待を裏切られたことに
これまた一人で傷ついていたからなんだ。



そんな自分を、ますます嫌いになっていってたんだ。









何がきっかけだったのかは忘れたけど、

どんなに未熟な私だったとしても

嘘偽りのない、丸裸の私だったら
そのときの精一杯だったとしたら

何を言われても傷つかないということに気づいた。


嫌われたり
否定されたり
拒否されたり

そんな悲しい思いをしたと感じたときは


「そのとき私は、本当の気持ちで接していたか?」

「嘘の自分で接していなかったか?」


と問うようにしている。


受け入れてもらうために、本音以外の言葉を発していなかっただろうか?

どこかで投げやりな態度になってなかっただろうか?


周りからすると間違っていたとしても
未熟な言動だったとしても

そのときの正直な気持ちだっただろうか?


と。



自分に正直な、そのままの私であったなら
相手からどう思われようとも
堂々としていればいい。


これが私だ。


そう胸を張ってもいい。


なぜそう思えるのか?



正直な自分であったとき、
個性が強ければ強いほど
誰かに嫌われることがある。

でも同時に、あることが起きるから。


それは「誰かに好かれること」



本物のそのままの私が嫌われると必ず、
その私を好きよって言ってくれる人が現れる。


本当に不思議だけど、同時に現れる。



その存在が、
私がそのままであることを許してくれているようで
とても心強くなる。


丸裸のそのままの私が、ちょっぴり好きになれる。


ますます、「これが私だ。」と胸を張れるようになる。


嘘の自分で接していたときは、
もし好かれたとしても
空虚感が増すだけだったのにね。


だからやっぱり私は、


これからもどんどん
丸裸のそのままの私になれたらいいなと思う。



たとえ、
あの子から好かれなくて片想いで
もしかしたら嫌われて悲しいなと思うことがあったとしても、

丸裸の自分を隠して

本気で嫌われない代わりに
本気で好かれない世界なんて、


つまんないから。