いい情報を


多くの方からもらえて


未練があるけれど


このあたりで、チョット休憩してみます。




葬儀に関わる事をつづけたかったけれど


どうも関わる事が


できないようだし、


自分の命に


徹底して集中したほうが


いいような気分がしてきた。


命が関わる事だと

思うのは変わらないけれど


明日、写楽の


お別れ会に行くので


ママに相談してみようと思う


爺としては


だらしないような気もするが


僅かな生をむなしく過ごせないともおもう


迷いが久しぶりに、


政治が、地球が物理的にどうだ


という局面でなく


一種の人間不信が


生まれて初めてかもしれないが


変な時期に

起きた気がする。


ニーチェは糞真面目で狂ったと自分は

入門書で数行しか経歴知らないけれど思ってる。





東電の勝俣という人ですか

捜査が入ったらしいですね。


なにがどうなってるのか

自分はお名前も知らない

役職も知らない、


ただ

原発のこと

誰もトカゲの尻尾きりさえ

されず、ずっと来てることだけが

不思議な政治の内実だと思ってる。


ここへ来て捜査が入ったとか。

是もとても不思議だと今朝思ってる


このエネルギー

捜査のエネルギーについてです。


自分はどの政治家も

信じてなどいません


前から守さんの冤罪でも触れましたが

たった一人でも政治家が

守さんのことを

事挙げしたら守さんは

見せ掛けのええ格好シーでは不可能な


清廉潔白の身にすぐもどれるのです。


皆さんは格好が

何か政治のエネルギーに

つながるという空想で


生きられています


自分は政治行動はしません

ばかばかしいです

ただ小沢党は酷い政党であると


捜査が入ったという事


小沢党のえねるぎーは無でしょうから

不気味な気がします。


皆さんよろこんでるようですが。


政権のポーズで無い場合


是はほんとに爺には

不気味子の上も無い

事態、捜査です。


何処に

こんなエネルギーが

あるのだろうか


エネルギー


政治エネルギーは

自分たち庶民に

分かる風な事では

無い事

承知ですが


不思議です。


自分らの特権を維持することだけ

拡大する事だけで

合意してるようですね。


小沢さんの国民生活党ですか、

もう腹が立って仕方ない爺です



今党大会のことが

『明日を信じられる時代になってほしい』さまで

記事です。


国民を愚弄していますね。


選挙で革命が起きると爺は思って

怖くなったのでしたが

一向にこういう選挙活動には

初めから終わりまで

なりませんでしたよ。


マスメディア、検察、裁判所などが違法である

ということにはイッサイ触れもし無かったですね。


一番肝心なことを

言わない


是は爺など分からない事

ネットで騒いでる事

是を騒ぐと駄目な社会


これがどうなるのか


自分は何も知らないから

怖くて

政治行動は

しないのです


党大会でも


マスメディアは自分らの党を

無視しているから

国民の皆さん、応援してください

ネットで騒いだ人びとは


無視するからいかっただけですか

モットこっちを向いて記事をい書いてください


そういう


ことだったのですか


華々しい舞台に上がれるために

ファン投票があるので


仕方なくファンに気に入られる

投票に有利になる事を言うのですね


舞台に上がったら

あがれるものどうしは


ファンのことなど

何も思ってはいないですね


この選挙、森裕子という人の弁

この党大会のこと

流れを見て


この党はとんでもない偽善政党であると


爺は

耄碌してるし

何も政治ニュースも

知らないけれど

自分の一生の

矜持で今後糾弾しようと思う。


是は鈴木大拙のいう

本能に人間的有ウをもった

無我的本能に


人間が生きることしかないと


コノジジイハ

思っています。


鈴木大拙の『無心ということ』で


この事は生半可で


到達できる事じゃー無いのだと、



聖者といわれる歴史上の人だけが

到達している事です


自分たちは

皆我執だらけで死ぬまで生きています。


脱する事は誰にもできないのです、


だからといって諦めるのが

人間なのかどうか

大拙は提示しています。


現代では理性主義で持って

宇宙を見る


是でまぁいい訳でしょうが

人間の感情が薄まっています


我執だけで


他人を見ています

外界を見ています。


自分だけは

よい心を持ってると

皆さん思っています


マスメディアづけの人がいるから

戦争もとめられない


原発も止められない


ト本音では思っています。


これが最大の我執なのです。



亡母を例にとる

のはずっと嫌だったけれど

もう50年もいぜんのことだし、


もういいかなと最近は思ってる


誰でも普通に親を尊敬し、慕う

人間当たり前


こどもの頃

ラジオでみんなの歌とか

よくかかっていて


嬰児の心 という言葉を

いつも亡母から聞いていた


ど田舎で、そんなものかと


思っていた、


そんなことと亡母の死の前々日くらいに


話したことと


ギャップが在りすぎるのを


いつまでも気になってる。


生きることがなんなのだろうと。


亡母の生きた事が


死により無になると言うか

虚であったというか。


こんな人生はくだらない。


かわいそうな生であったなぁと


貧乏で多くの子供に


必死に働いて


何とか食わせてそだてたんだなぁと、


飯を食うたびに


最近は思う、


母の其のときのつらい


気持ちを偲ぶ歳になってる。


本能と自我と無心と


大拙繰り返し今朝も読んで


人間は、生きてる間自我で生きる


この自我は


世間に合わせて生きることに尽きる

世間には、いつの時代であろうと

 

世間の矛盾がある人間世界

是に批判をし続けていた母


デモ終わってみれば

世間の建て前の中で生きていた

大拙の言うとおりで

矛盾から抜け出す事は

誰にも不可能な事


世間にあわせてる

批判してると

思ってるけれど

あわせてるのだ


でないと誰でも生きてはいけない


この世間の建前というのは

力、時代の力。


戦争を仕組む連中が力を持ってれば

戦争が起こせる


力の無い人間が


いくら反対しても


この浮世は建前で動く


建前というのは


日常のもろもろのことすべてだ。


建前に批判している


昔も今も

最近でも


全ては


批判がどうあろうとも


建前どおりに動く


是を


絶対見ない人間


今度こそはといつも言ってる、



建前で生きる人間が


強い力の


戦争を

止める事は不可能だ


歴史もいつもそうなのだけど


今度こそは

いい意見をみんなで仲良く

言い合う事が実現できれば


戦争はとめることができると。


無理です、自画自賛なのです。

歴史も、人類も、


強い建前世界で

生きる人間が続く限り。

大拙が

戦争前に


大和魂のくだらなさを言ってる。


が、なんの其の

彼ほど大宗教家の至言でさえ


なんのその


やまとだましい一本で

多くの人命が


藻屑と消えた戦争に大和魂

は絶大な力を発揮した。


戦争は物理現象でなく

常にやらせであるのに


こんな魂でこうなる。




珈琲館で再読

『魂を学ぶという事』の自分を

徹底的に

反省されていること


巻末の文を読んで

再読ながら

ため息が出る。


真実の追究は、こういうことだと。


とても、半端モノでは無縁である


このじじいなどにはと。


○末期医療の在り方

○脳死が臓器の売買に直結する事

○死の装置が無い社会である事


を自分は同次元の事といつも思っています。


他人の悲惨は真には関わらない

現世主義、効率主義の心だと思っています。


上の○を問題だから

論議していきましょうというのが

現代日本の姿です。


浮き世と調子を合わせて生きるのか

浮世と調子は合わなくても自分の独自の生き方を


この二つのどちらかのことで

論議などしても

どうにもならないと思っています、


自分の意見と

他人の意見が異なる、真逆の場合、

人間は合意できないと思っています、


合意できるというのが

浮世の建前です

是は現代民主制国家

であるかどうかに関わらず


合意できないなどと

言う人間は

どの時代にあっても

生きていく事は

困難になります

当たり前ですが。


合意が無理な人間社会だから

人間というものを

徹底的に

妄念の生き物であると

追求したのが


東洋の伝統です。


社会に生きる

お互いが

うまくいくためには

自分が矮小である事を

知ることであるという

風な事ですが


せいようりゅうは

今、自己実現です


大雑把に言えば


是でうまくいくはずが無いのです。


葬儀のことでも

今、きちんと

死に向き合っていて

日頃から考えがしっかりなさってる人

いらっしゃる


が、ごく僅かの方です。


人は人生観、死生観、世界観

現代ではさまざまです。

普通には

末期医療に直面してる本人

死に直面してる本人


の思いはいかがでしょうか。


この思いに

寄り添う事

とても至難な事です。


現代日本は

絶望的な事態に陥ってる人


を無視して

恥じない時代です。


死の装置が昔は機能していました

末期医療のスパゲッティーなど

昔は在りませんでした


新聞では能書きコイテルらしいです。

もっともらしい屁理屈で。


そんなことジャー無いです


他人の悲惨は

どうでもいいから


この問題は問題だと


これが

現代日本なのです。


自分たちが人非人の心を

持ってることだけは

絶対死んでも言わない。



根本がむちゃくちゃで

枝葉が末節が

とみんなで

楽しんでいます。


きれいな浮世だ

愛だ、希望だ、ふれあいだ

なんて


どういう根性だろう


世界は、

獰猛な巧緻な思惑実現の


闘争中


真っ盛りだというのに


アルジェリアのことも


何も情報は流される事は無い。


嘘の世界に基づいた情報


リビアも同じだったというのに


誰もそんな馬鹿な!


と事実を知らない。

当たり前です。

情報が完全に統制されています


不正選挙


森裕子という馬鹿に人気の


ある政治家がいるようだが


政党としては

無責任に証拠も無くて

言う事は


できないらしい


井戸川町長は


町民のほうから

放射能被害の立証は不可能なのだと

猛抗議されています。


当たり前です


こんなことを言うから、弱い立場の人は

永遠に葬り去られるのです、


『他人の悪口を言ってはいけない』


言う事は人格者では無い

仲良く穏やかな

お話し合いで


と建前、事実を看過する建前の中で


大悪はいつまでもよく眠り

小人は

悪口を

大悪に言うつもりなのが


仲間への

闘争に変わる


人間の偽善です。


自分が正しいと譲らなければ

この変換がきづかない。


大悪は糾弾しなければ


駄目!

何故森という人気者は

こんな事を言っちゃーいけないというのか



なぜ未来の党は選挙で

マスメディアの

冤罪加担を追及しなかったのか


国民をまるでアホ扱いですよ


上だけで

国も国際も動いています


国民同士で

争うような

自我だから

♪どうにもとまらない♪山本りんだ


ソラリエフ様の今日の記事


完璧な真実在です。


3.11の前に地震を予知したとも

これが削除されたという事

重大もいいところですが

皆さんは


マスメディアNHKのコブンお友達で


まぁ仕方ない事実は平和です


戦争は仕組まれるものだという事

どうしても

思えない。


と自分は思っています。

思い、言葉ですね。

何度も言いますが


僅かなカタだけが

本気の心で行われています。


宗教と定義が間違っていますが

宗教がいろいろ世界にあって

何故昔から

続くと思いますか。


鈴木大拙の教示、何度も読み

ようやく大拙の言う意味の重大さに

納得できました。


教示の大略は


キリスト教であれ仏教であれ

教義が正しいから続いたのではない事です

(間違いであっていいというのではないですが)

唱える人の人格


これが秀でてると周りから

思われること

皆に偉大だと心の底から

思われること


言葉や知識が民衆を

引っ張る事は不可能です


引っ張る場合もある歴史ですが

その場合民衆は

散々な眼に合う事


思惑の連中が引っ張る場合が多いですが

是に引っ張られて

むちゃくちゃになる

これが世界人類の歴史です。


言葉は、情報は力の側に常にあります。


是で勝負したら踊らされて

ひどい結末が待ってるだけです。


星月夜様のブログ拝読で


井戸川町長の辞任の言葉 拝読です。


いろいろあるのですが

情報や知識では勝てないことを

つくづく思います。


最後に、八正道が

政権をもつ人に手向けられています。


これが

むなしい限りです


心が変わること、改造する事しか


この事態は変わらないのです


彼らは

八正道の一つさえ


真反対に生きる生き物です。


聞くみみがあるというのは空想です


祈り、願うこれが


重々無尽の事柄であるのは

町長のお気持ちよく納得しますが


またお人柄で

よく分かる事


政権側に向けてる八正道と

ワザワザ断っていらっしゃる


深いお気持ちを

汲むことが自分たちの人間性だと


自分は感受です。


記事を拝読して


町長の心、みなのこころへの


絶望感が


怨念になってると

自分は感じます、


周りの心が


駄目なのです


こうはおっしゃらないお人柄です。


知識や情報では


あくの権力には


無力です


心があれば

力は

膨れ上がっていきます


八正道も


他人への要求では在りません


自分への戦いだけrを


戒める言葉で原始仏教で言うのです。


他人の心など

仏教は詮索しません


知識情報は

常に自我であり

他人によく見せて生きるためのものです


この仏教を最後に

掲げられた

井戸川町長の思いを自分は


正確に感受できたツモリです。

入門書の知識理解程度で

わざわざ駄文したのかと言い訳をします。


『明日を信じられる時代になってほしい』


様で記事が在りますが


其のとおりに

アメリカも

アルジェリアも日本も

同じ起動で動いている事が


実存論を理解しないと

納得が無理だと思ったからです。


知識や、情報は、作られているのです

常に人間の実存は

自分だけのために生きるのです、


これが心の底から

納得できないと


知識、権威、東大、

国際組織、すべて

客観的な正しい情報と


思う、自然にそうなります。


NHK が主導して


この主観、客観を


揺るぐ事の無い


日本人の思惟に仕上げています。


宇宙実在に客観など在りません、

客観事実は

勿論

多く存在しますが


人間が

思う宇宙

人間が思う人間の周りの

事象に


客観は無です。


そんなものは無です。


是を東洋で

人びとは

生きる根本において

生きてきたのです


モノ、事象は


人の数ほど


多くの数になるのです


みなの、ひとりひとりの

主観で見るのが人間であり

人間世界です、


唯心論も唯物論も

人間を不知の西洋の

たわごとです。


人間は実存する生き物です


実在するだけの生き物

要するに、モノと人間を見て

脳死に決定してみたり

いろいろな

悪行は

すべて

人間の心をまるで反省しないで

人間が作る、主観だけのものを


客観と刷り込んだ教育、マスメディアの


賜物です。


情報、知識が無限にある中で


力を持つのは

何か


人間の自我に吸収される

エネルギーを

強力に持つ物だけが


力をもてるのです。


真実在は


こういう力には


初めから無です


思惑だけなのに

刷り込まれてるから


自分のほうが知識も

情報も持ってると


しもじもは


自我の生き物


皆同じです


言い争い続けるのです


結局は


力の舞台に


踊るだけ


鉄板の上で

踊らされてるのですが


鉄板だと

きづかせないように


巧みで複雑な仕掛けを


力は行い続けてるのです


実存ということ


浮世に

主観も、客観も無いですよ


皆主観です


だから

一つの事実が論議する人の人数ほど

事実の数が増えるでしょうに。


ということは

人間が見る世界、事象に


人間にとって客観は


無であるということですよ


眼を覚まさなければ


シナリオどおりです。


急激に


劇の展開が


どたばた、時間切れで


恥も外聞も無く


急転しています。


本を読む。

とてもありがたいことだ。


こういう雰囲気が

自分には今、一番幸せなんだけど


管理人やる前までの

一生で


こんなことおもったことも無い爺

半端な、最悪程度の爺が

こういう風な気持ちに

人生終わりといえども

なれたのは

写楽のまま、jijikatura様、晴彩様のお導きであると

肝に銘じています。


隣のマンションの管理人が

田舎から餅を送ってもらったのを

朝くれたのだけど

珈琲館に上げることにした

自分はこの狭い部屋で

レンジでチンする以外

面倒はイッサイしないから。


葬儀のことで自分でお考えください

という結論


是の関連で

死に逝く人が生きてる間から

寄り添って

行う葬儀を

お勧めしています。


ふと珈琲お代わりしながら

思った、

2万5000人あまりの死者が東日本大震災(銘銘が拙いですが)

あまりの死者の多さに、火葬場で対応できず

一時的に土葬したということ。

市、町、村では地震の混乱(?)から立ち直ってから

火葬にしたいトイウガ、

それを望む遺族は少なく多くの人はすぐに火葬する事を

望んだ


ということを聞いて

思うこと


葬儀とはなんだろう

葬儀とはなんと

多くの人は思うのだろうか


死者のことを思うのだろうか


ということです、


死者を思わない人など

ひとりもいない遺族です

当たり前です。


そういうことではなくて


死者の葬儀とは、

死者を思うのかどうかです。


今、火葬が当たり前です。

自分たちが中学生くらいまでは


日本中土葬が当たり前でした


中学校のウラに火葬場が山手にありましたが


ずいぶん酷い事をすると

こどもながら

思っていました

村では土葬が皆さん普通でした。


自分が勤務した火葬場の

大先輩創始者ともいうべき人は

洋画家の木村荘八の父親で木村荘平ですが


明治に東京で火葬を

事業に乗せるのに

苦心惨憺しています


民情に合わなかったので

最終は成功して

今日の

火葬場が東京には

全国でも珍しい民営で存在です。