第百十三話「罪に濡れるふたり(その22)」




健吾の指先が私の髪を撫で回すたび、吐き気を催すほどの嫌悪感が、全身を駆け巡った。


「菜々子の髪…相変わらず、柔らかくて綺麗だな」


そう言って指に私の髪の毛を絡ませた健吾は、髪を梳(す)くような仕草をしながら、味わうように指を動かした。


「…お兄様、やめて」


健吾の指先が私の頬に触れた瞬間、私は思わず声をあげた。

全身を巡る嫌悪感が言葉となり、私の口を吐いて出てしまったのだった。

私の言葉に健吾の指の動きが止まると、絡めた髪から指が離れていった。


「そうだな。俺達、兄妹になったんだから…こんなこと、おかしいよな」


健吾は口角を上げたままでさらりと呟く。

しかし、さらりと流した健吾の言葉には、今までのいろんなことを思い出させるような含みを持たせているようで、私にはさらりと流すことが出来なかった。

ふと、健吾に目を向けると、言葉とは裏腹に私を見つめる視線が、やけにねっとりとしていて、私の心の奥をざわつかせた。


「…妙、行きましょう」


一刻も早くその視線から解放されたかった私は、健吾を視界から消すと、隣で座り込む妙(たえ)の腕を掴んだ。

妙は健吾から浴びせられた言葉を気にしていたのか、私に腕を掴まれた時、ビクンと大きく身体を震わせた。


「妙…?」


腕を掴んだのが私だと分かって、ホッとした表情を浮かべる妙を見ていると、勘のいい妙が幸いにして、健吾の意図した言葉に気付いていないことが窺(うかが)えた。


「あ、はい…四条先生の所へ戻りましょう…きっと、心配なさってますね」


妙はそう言うと、慌てて床から立ち上がって、私のしゃがみ込んだ身体を引き上げようとした。

私も自分の力で立ち上がろうとしたのだが、思った以上に体力が落ちているのか、立ち上がる途中でバランスが崩れ、私の身体が大きく揺れた。


「お嬢さま!」


妙の叫び声の後、床にノートやペン、何冊かの本がバサバサっと音をたてて散らばっていった。

倒れそうになった私の身体を受け止めたのは、さっき、父の写真がないことに気付いた正臣の大きな机だった。


「大丈夫ですか?お嬢さま」


妙が机に寄りかかった私の身体を支えようと、私の傍に近付いて来た。


「…大丈夫、ごめんなさい。それより、散らばったものを…」


何となく背後にいる健吾の苛立った空気が伝わってきて、私は妙に散らかった本を片付けてくれるよう頼んだ。

私の身体が倒れないことを確認した妙は、床に散乱したものを拾い上げようと腰を屈めたその時だった。


「あ~、妙…そのままでいいよ。どうせ、ここのあるものは処分するんだから」


「…処分って?正臣は半年後には戻って来るんでしょう?」


健吾の言葉に、私はすぐに反応した。

確か、あの時の叔父との約束は半年だった筈だと、私は記憶を蘇らせる。


「そうだったっけ?まぁ、それは父さんが決めることだから。ま、とにかく、そのままにしといてくれ。近いうちに片付けに来るのは、どうせ正臣だから…あ~、あいつの前で処分するのもいいかもな」


健吾はそう言いながら、まるで我儘(わがまま)な子供が流行りの玩具を手にしたかのようにほくそ笑んでいる。


「…そんな…酷い…」


私は健吾から目を逸らすと、正臣の机に視線を落とした。

その瞬間、この机の引き出しの中に、正臣が大切にしている父の日記帳と正臣に宛てた手紙があることを思い出した。

叔父に突然連れ出された正臣のことだ。

父との写真を持ち出すのがやっとで、父の日記帳まで持ち出すことは出来なかったかも知れない…

健吾の言葉に悔しい気持ちはもちろんあったが、私にはもう、正臣の大切にしている父の日記を守ることだけしか頭になかったのだった――





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第百十二話 「罪に濡れるふたり(その21)」







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