第八十二話「罰(その15)」





正臣が何かを感じて、拓人に詰め寄っているところを見てしまった私は、健吾との今までの関係までも正臣に知られてしまうのでは…という恐怖から、慌ててその場を立ち去った。


「あ、菜々子お嬢さま!」


正臣の部屋の前を足早に通り過ぎようとした時、叔父の正嗣の寝床の準備を終えた妙(たえ)が背中越しに私の名前を呼ぶ。


「正嗣さまの支度が整いまして、もう、お休みになられました。かなりお疲れのご様子でした。…正臣さまは大丈夫でいらっしゃいますか?」


「まだ、四条先生と話があるようだったから…私は先に来てしまったんだけど…」


「そうでございますか。いえ、正臣さまのお部屋を正嗣さまがお使いになったら、正臣さま…どちらでお休み頂こうかと思いまして…ちょっと、正臣さまに尋ねてまいります」


妙は独り言のように話を進め、思いついたように正臣と拓人のいる玄関へと足を向けた。


「あ、妙!正臣は私の部屋で休んで貰おうと思っていたの。だから、私の部屋に準備をお願い…」


「じゃぁ…お嬢さまは…?」


「私はお母さまの部屋で休むから…夜の付き添いも私がやるわ」


「お嬢さま…?」


二人が話をしている玄関へと妙を向かわせないように、発する言葉に力が入っていたせいか、妙(たえ)が神妙な顔つきで私に近付いて来た。


「…何かございましたか?」 


妙が私の顔を覗き込んで、突然、呟いた。

妙の問い掛けに私の心臓がドクンと跳ねる。


「何?妙…」


「お嬢さまのお顔の色が、すぐれないと思いまして…」


「そう?そんなことはないわよ。正嗣叔父さまも正臣も無事に帰って来てくれたから、少し気が抜けたのかも知れないわね」


私は声を震わせないよう、心を落ち着かせながら、いつもの口調で妙に答えた。

妙が私の言葉に一瞬、表情を変えたように見えたが、すぐにいつもの優しい妙の顔になり、私は安堵の溜め息を気付かれないように漏らした。


「では、お嬢さまのお部屋の支度をしてまいります。お嬢さまも、ご無理なさらないで下さいませ。明日からは旦那様のご葬儀の準備で忙しくなるでしょうから…」


「…そうね、お父さまをここから、ちゃんと送り出さなくちゃね…」


妙の口から父の葬儀のことが出て、私は改めて父の死を思った。

父の遺骨を手にして、涙が枯れるほど泣いても、まだ、現実のような気がしない不思議な感覚が、私の胸の中に残っていた。

妙が私の部屋に向かって歩き出すのを見届けて、私は母のいる部屋へと足を進めた。




部屋に戻ると、ベッドの上でスヤスヤと寝息をたてる母の姿があった。

現実から逃れ、まるで何も知らない子供みたいに眠っている母に、憤(いきどお)りを感じずにはいられなかった…

母が現実を受け入れない限り、この憤りも消えることはない。

暫くの間は母の隣に用意されたベッドに横になっていたが、やはり、眠気は襲ってこなかった。

私の中でいろんな想いが交錯し、疲れている筈の私の身体に眠りを与えようとはしなかった。

母の部屋のドアを開けると、夜も更けたせいか、廊下はシンと静まり返っている。

私は母の部屋から出ると、読みかけの本を取りに行こうと、足音をたてないように自分の部屋へと向かったのだった――





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第八十一話 「罰(その14)」








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