第四十話「想い(その10)」




美代から手渡されたハンカチを正臣は手のひらでギュッと握りしめた。

そのハンカチは間違いなく、菜々子が持っていたハンカチだった。

妙(たえ)の言うように、菜々子はこの古い家を訪れていたのかも知れない。

菜々子がここを訪れていたのだとしたら、正臣に声を掛けられない何かがあったからだろう…

まさか…

正臣の胸になんとも言い知れない不安が押し寄せて来る。

菜々子は、もしかすると美代からの咄嗟のキスを見ていたのかも知れない…

正臣の頭の中で、確信のない想像だけがぐるぐると回っていた。

何か取り返しのつかないことをしてしまったような罪悪感が、正臣を包み込んでいた。


「お姉さんもこの場所に来るのね。とても、こんな寂しい場所…私一人じゃ来れないけど…」


美代はそう呟くと、木で覆い茂った古い家の周りを見回した。

そして、何かを思いついたように「あっ!」という声をあげた。


「まさか、見られてないわよね?お姉さまに…私と正臣くんが…その…キス…してるとこ」


美代の言葉に鈍い痛みの走った胸が、更にズキリと痛んだ。

正臣は美代の言葉で、確信を持ってしまった。

受け止めたくない確信を持つと、美代の言葉に返事もせずに、屋敷の方へと向かった。

美代は慌てて正臣の後を追ったが、正臣の背中にはついていけない程、正臣の歩く速度は速いものだった。

屋敷に着いた正臣は、父の書斎へと向かった。

妙が菜々子を探していたが、もう菜々子は父の書斎に顔を出しているのだろうか…

そんなことを考えると、鼓動が更に速くなり、心の中がザワザワと音をたてた。

父の書斎のドアの前に着くと、深く息を吸って呼吸を整える。

ドアノブに手を掛けた瞬間、書斎の中から賑やかな笑い声が聞こえてきて、中に菜々子の存在があることを知らせていた。







「お父様ったら、ちゃんとお仕事なさってるの?面白いお話ばかりで…」


「ちゃんと仕事はやっているよ。お前たちをちゃんと養っていかなくちゃならない義務が、私にはあるんだからね」


「そうよ。私がこの家にいる間は、しっかりお父様に甘えさせて貰いますから」


笑いながらそう言う私の言葉に、父の表情が少し翳ったように見えた。


「お父様…?」


私の問い掛けに、父は寂しく微笑むと小さな声で呟くように言葉を発する。


「…健吾くんとは…仲良くやってるのか?」


父の口から健吾の名前が出ると思っていなかった私は、思わず顔を曇らせてしまった。


「菜々子…お前…」


父が私の顔を見た途端、心配そうな声を出して何かを言おうとしたが、書斎のドアがノックされ、話はそこで中断してしまった。


「お父様…お帰りなさい」


ドアをゆっくりと開けて、顔を覗かせたのは正臣だった。

ドアの方に振り返った私と目が合ったが、私は意図的に目を逸らしてしまった。

父は正臣の顔を見ると、途端に笑顔になり、「遅かったじゃないか」と喜びの声を放った。


「ごめんなさい、遅くなって…ちょっと、調べ物を…」


正臣は遠慮がちに答えながら、私の座るソファーの隣に腰を下ろした。


「古い家の方に本を探しに行ってたんだろう?妙に聞いたよ…私も昔は、あそこにある本達にお世話になったものだよ。正臣も本に興味があるなんて…やはり、私に似たのかな?」


父の満足そうな笑みに、正臣も顔を赤らめて照れた顔を浮かべている。

チラリと正臣を見た私の目に、何時もと変わらない正臣が映し出された。

さっきの美代との出来事が夢だったんじゃないかと思わせたが、胸に残る痛みに、私は現実へと引き戻されたのだった――





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第三十九話 「想い(その9)」







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