第三十八話「想い(その8)」




「ちょっと…美代ちゃん!」


美代の体が正臣の胸に吸い込まれていくのを、私はドアの隙間から見つめていた。

「あっ」と声が出そうになるのを、口に手を押し当てて留まらせる。

美代の突然の行動に、一番驚いているのは正臣のようだった。

慌てた正臣はどうしたらいいのか分からないといった様子で、美代を抱きとめることも出来ず、両手を空(くう)で泳がせている。


「…いったい…どうしちゃったの?美代ちゃん…」


正臣は困った顔をしながら、美代に問い掛けるが、美代は正臣の胸に顔を埋めたままだった。


「…正臣くん…」


少し間をおいて、ようやく美代がか細い声でポツリと正臣の名前を呟いた。


「…何?」


「私と離れてる間、寂しかった?」


「あ、ああ…うん。もう、美代ちゃんには会えないと思ってたから…」


「じゃあ、久し振りに会って、私…どうだった?少しは…女の子らしくなってた?」


美代は顔を赤らめ、正臣の顔を見ないまま、震える声で正臣に問い掛ける。

何だか美代の緊張が私にも伝わってきて、私の握りしめた手のひらが、じんわりと汗をかいているのが分かった。


「…ごめん。俺、どう答えていいのか…」


正臣は申し訳なさそうな声で、美代の問い掛けに答えたが、美代は納得がいかなかったのか、急に正臣の体から離れ、正臣の顔を真っ直ぐに見たのだった。


「私…ずっと、正臣くんが好きだったの。正臣くんが私の初恋…だったの」


「…美代ちゃん…」


「正臣くんが家を出て、もう…会えないって思ってたの。でも、こうして…また会えた。これって運命だって思うの…」


美代の「運命」という言葉に反応したのは、正臣ではなく私だった。

鷹司家に生まれ育ち、何不自由のない生活を送って来た。

しかし、何かを自分で決めることの出来る自由など、今までに一度もなかった…

私の運命は鷹司家によって決められていて、美代が口にするような胸をときめかせる運命など私にはない…

きっと、これから先も…

そう思うと、美代が易々と口に出来る「運命」という言葉に、無性に腹が立ってきて、私は握った拳に更に力を込めた。


「運命って…大袈裟だ…」


美代の言葉に笑って答えようとする正臣の声が、不意に止まった。

私の体からスーっと血の気が引いていくのが感じられた。

正臣の唇は、私の目の前で美代の唇に塞がれていたのだった…


「…ちょっと、美代ちゃん!」


正臣は美代の肩に手を置くと、ありったけの力を込めて美代の体を押した。

美代の体は正臣の力で簡単に、積み上げられた本の中に埋もれていった。


「…痛っ!」


本の中になだれ込んだ美代の叫び声に、ハッと我に返った正臣は、咄嗟(とっさ)に「ごめん」と呟いた。

ちょうどその時、少し開いたドアの隙間から、私と正臣の名前を呼ぶ妙(たえ)の声が、微かに聞こえてきた。

本の中に埋もれた美代を起こした正臣は、床から立ち上がると、妙の声が聞こえるドアの方へと急いで向かった。

正臣が妙の声に返事をした頃、もう私は、その場にはいなかった。

正臣と美代の口づけを目の当たりにした私は、すぐにその場から立ち去っていたのだった――





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第三十七話 「想い(その7)」







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