筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

         旧伊藤伝右衛門邸 の 昔・今  その2( 玄関・ 内玄関 )




   長屋門 より進むと棕櫚の車廻し の植え込みの正面に 表玄関(大正の玄関) が見えます。 この伊藤家の玄関は、 左手門柱の奥の隠れた位置にあるのが 明治の玄関(内玄関) です。 現在は、表玄関 を一般には玄関 と言っています。 石炭王といわれ建物では 大きな玄関(お客様応対の玄関) もよくありますが 伊藤邸は住宅主体 になっています この玄関のため 落ち着いた車寄せ と 玄関 を 見ることができます。


   玄関 を入ると 表玄関土間は テラゾウ張と呼ばれる 人造白の大理石造り で 上がり框には女性の和服の裾の乱れさせない 花崗岩製の上がり框が少し高く なっています。 上がると 欅(けやき)の厚い一枚板 が お客様をお迎えします。 その奥に 表玄関 取次の八畳の間となります。 右手欅の一枚板 は 円弧状に丸く削られ 横は靴入れとなっています。 (現在、観覧者の方は 履物間違い防止のためビニール袋を使用しています。) 


  玄関畳の間には、季節により 古風のつい立・ 古式雛・ 五月人形など 季節により 変えられます。 玄関土間天井には 丸型の電燈 畳の間天井には 丸型つりさげ電燈に可愛い花模様の碍子が見えます。 奥の額には 旧紙幣の百円の字を書かれた 高田忠周先生の 和協輯睦 (一家団欒のなごやかさ が篆書で書かれています。)


   この伊藤伝右衛門邸 は 石炭を掘って儲けた石炭王ですが 石炭王はよく言われるのが 成り上がり者 といわれる 派手な けばけばしい 金喜ら を 連想 しますが 正面のすりガラスの桟を 扱うと 綺麗に面取りされた桟 そして 外壁が 杉皮で葺かれ 雨だれ落としの 軒屋根 格子にも 栗の木の材で 横木を一本一本通しています。 更に六角形のまだらに格子が 殺がれています。 伊藤家に来て この玄関で 伊藤伝右衛門の 建築道楽の 心を 大きく感じることのできる 玄関 です。


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      雪の日の大正の玄関                     大正の玄関

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         大正の玄関正面                     玄関より外を見る 

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     玄関はテラゾウ張の人造白御影            御影上がり框に欅の一枚板

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            玄関の内部                    古典のつい立絵がお迎え

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      玄関の伊藤邸案内間取り図               土間天井の丸型電燈     

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      高田忠周先生書と電燈・碍子         和協輯睦(一家だんらんの和やかさ)額

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       細部に削られた桟と格子               雛祭期間中の古式雛と屏風 




   紙面上 明治の玄関を一緒に記載し 内玄関 としていますが 明治の建物の中にあり 明治44年(1911)に白蓮が お嫁に来たときはこの玄関 しかなく 大正3年頃に造られた 表玄関 と比べ 質素ですが 貴重な 内玄関も 明治の建物の中で 大きく伊藤家の発展を知ることのできる 玄関 です。

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        明治の玄関(内玄関)                    内玄関より外側を

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    玄関に取り付けられた可愛いベル              床は黒のテラゾウ張

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     玄関口の帽子・マント掛け                上には 番傘置きが見える

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    帽子・マント掛け金具も可愛い                 内玄関横の電話場




      次回は、 旧伊藤伝右衛門邸 の  昔・今  その3(応接間) へ