介護をひらく

―「介護型社会」への処方箋―

                                                               田中研之輔

 

 

 幸いにして、私はこれまで介護に縁がない。このことをまず正直に告白したい。介護について考えるようになったのは、盆や正月に父親の実家に出かけた際に、寝たきりの祖父に声をかけていたという小学生の頃の原初体験にある。

 

 脳溢血で倒れ、鼻からチューブを通し、植物状態で祖父はどんな思いで生き続けたか。そんな祖父を24時間気を休めることなく、介護し続けた祖母や義娘の苦労は図り知りえない。寝たきりであることで人間としての主体的な動きを剥奪された身体として生きること、肉としての生々しさの記憶は今も深く刻まれている。

 

 祖父の着替えや床ずれ予防のために身体を動かしたり、排泄物の処理をして、人生の最良のパートナー最期を看取った祖母も他界した。

 私は社会学を専門とする研究者で、現在、法政大学のキャリアデザイン学部でライフキャリア論(コミュニティ)を学生達に教えている。毎回の講義では、若年雇用・失業問題、野宿者問題、外国人労働者問題等の現代社会問題を一つ取り上げ、できるだけ具体的データを提示し、議論を掘り下げ、学生たちの凝り固まった思考を解放していく機会を提供するよう努めている。

 

 われわれの社会はこれからどこへ向かっていくのか、歴史的な大転換を迎えたこの時代に、どこに活路を見出していくのか。閉塞ばかりに目を向けるだけでなく、打開策や突破口、この先の社会の動向を洞察する目を養うように講義内容を構成している。講義の中で介護を取り上げる際に向き合った介護制度、介護人の困難を報告する書籍、「生の声」を集積したドキュメンタリー作品、また、講義のなかでの学生との対話を通じて、次のような複雑な状況が介護の問題性を隠蔽していることが明らかになってきた。

 

 第一に、「介護」をとりまく環境の人口動態構造の社会変化にある。生活と医療の改善と向上は劇的に平均寿命を押し上げてきた。それにともない、結果として(1)介護を必要とする人口が増加するとともに、(2)介護に携わる人間も(超)高齢化している。なかでも、諸外国に比べて65歳以上高齢者と子供との同居率が高いこの国では、家族内介護の高齢化が進み、近年では介護による極度の疲労から虐待や殺傷事件といった痛ましい出来事も起きている。

 

 第二に、「介護」の家族内問題としての歴史的経緯である。高齢者の介護は、これまでその多くが子供による親の介護、より典型的には長男家族の嫁が義父母を介護するというのが前提とされてきた。育児がこの世に生を受けたものが成長していく過程に携わるのに対して、介護は老いていく過程に携わる重労働であるといえる。雇用形態の多様化や共働きなどによる家族内での介護能力の低下は顕著であるにもかかわらず、依然として介護は家庭内での対処事項として認識されている。核家族、少子家族では、そもそも、介護負担に耐えうる素地がない。

 

 第三に、「介護ボランティア活動の事業化」の混迷にある。2006年施行の改正介護保険法によって高齢者の在宅生活におけるボランティア活動が注目を浴びた。だが、その要となるボランティアホームヘルパーは過度の人材不足に陥っている。たとえば、東京稲城市や横浜市が取り組んでいる高齢者が介護保険施設等でボランティア活動をすることでポイントを蓄積し、それを換金するという試みは「介護支援ボランティア活動」を事業化する先駆的な事例として評価できる。だが、介護ボランティアを事業化するだけではなく、地域資源として介護を捉え、コミュニティケアに関する新規事業を起していくことはできないだろうか。

 

 戦後、経済・人口的にも成長曲線にあったわれわれの都市型社会も、近年、縮小の一途を辿っている。とくに、「少子・高齢化」ではなく、「少子・高齢介護化」への時代認識を転換させねばならない。今後の数十年、われわれの社会は都市型社会と呼ばれるそれではなくて、「介護型社会」に直面することになる。そこで、「介護型社会」への実践的な処方箋として、介護をコミュニティへと開き、そのために、労働と教育の双方から介護をサポートしていく基盤づくりと「介護」の捉え方と向き合い方を見直すべき時期に来ている。

 まず、その前提として、「介護」を私的領域から公的領域の問題事項として再認識することが欠かせない。「家庭の問題」から「地域の問題」として認識を抜本的に変化させることが望まれる。介護するという行為は、「労働」にほかならない。介護を必要とする人間の移動可能範域が限られているという点で、きわめて、地域的な問題である。介護という24時間体制の「労働」こそ、地域労働力を柔軟に循環させ、緊急にワークシェアがなされるべきなのだ。それと同時に、「介護」を専門的に学ぶ手前で、社会問題として認識し、考えを深める教育機会を増やしていくことが求められよう。

精神的にも身体的にも「健やか」で豊かな生活を送れるような介護に関する地域・国家双方レベルでの社会基盤整備は今後も継続されねばならない。私を含めて、介護に関わる機会をこれまで持たないものが介護の問題をいかに考え、どのように向き合っていくかが現代社会の抱える最重要課題の一つであるといっても過言ではない。各家庭の問題ではなく、われわれが帰属するコミュニティ、あるいは、社会の問題であると人々の認識を変革させ、「介護を拓いていく」ことが求められている。

「エスノグラフィー集中セッション公開のお知らせ:無料」(やや長文)

 

この数年でエスノグラフィーを刊行してきました。
それなりにエスノグラフィーのたたき台は、
まとめることが出来たと思うので、
次なるステージへと進んでいきます。

 

エスノグラフィーは、研究者の専売特許ではありません。

誰にでも身近なところで、<生きる気づき>をあたえてくれる処方箋です。

 

エスノグラフィーの魅力は、エスノグラフィーについて書かれた教科書を読むことにはなくて、エスノグラフィーを手がけていくプロセスそのものにあります。

 

国内ではそれを伝える教え人がこれまで決定的に不足してきました。

 

その間に、欧米では、Ethnographyは「Organizational Ethnography」「Design Ethnography」「Economic Ethnography」等、働く現場や生活の場で導入され、日々深化しています。

 

で、私の率直な状況を御伝えすると、
エスノグラフィーを用いて、解明したい、作品化したいことのリストが、かなりたまっているのですが、
私1人の作業スピードでは、到底、対応しきれません。

 

そういった事情もあり、
今回、私が担当している
法政大学大学院「コミュニティとキャリア」の
講義をオープン受講可とします。

講義シラバス:http://bit.ly/2vp88i9

第一回 9月22日金 18:30-21:40 (毎週、金曜夜)
最終回 11月10日金 (*詳細は第一回に御伝えします)

 

ここで、エスノグラフィーの「基礎、構え、書き方」を伝達していきます。受講生の中から、近い将来、エスノグラファーが生まれるものだと確信があります。

 

山﨑 正枝 (Masae Yamasaki) さんは、
『走らないトヨターネッツ南国の組織エスノグラフィー』を

八田 益之 (Hatta Masuyuki) さんは、
『覚醒せよ、わが身体ートライアスリートのエスノグラフィー」をまとめました(編集、最終工程)。(2017.9.刊行)

 

現在、4名の方がそれぞれエスノグラフィーを執筆しています。

 

私の方のエスノグラフィー刊行リスト →

https://www.amazon.co.jp/田中-研之輔/e/B00UIMP0PA/ref=sr_tc_2_0…

この<Collective Ethnography>を毎年、刊行していくことが、私なりの<ISR:Individual Social Responsibility>です。

 

 社会貢献というととても大袈裟で嫌なのですが、日本学術振興会特別研究員の制度で在外研究に従事させていただいた、ささやかな恩返しになればと思います。

 

公開といっても、大所帯では作品はできません。


受講希望者の方は、私迄御連絡ください。

エスノグラフィーのテーマ等をご相談させていただき、
私の方で受講許可のセレクションをさせていただきます。

 

働き方改革で生まれた時間、
定年後40年もある、ゆたかな時間、
エスノグラフィーはそんな時間を色濃くしてくれます。

大学院進学を希望する学部生・社会人でも、OKです。

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これまでのISR

schoo :  https://schoo.jp/teacher/490
ログミー:http://logmi.jp/tag/田中研之輔
日本の人事部:https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/1714/1/
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これからも学びの場をひらいていきます。

エスノグラフィーに惚れ込んで海外に出ました。

 

国内にエスノグラフィーを専門とする研究者が、一橋の佐藤郁哉教授以外、いなかったからです。

 

その佐藤教授のセミナーをとり、エスノグラフィーを学びましたが、自分のもとめているものとは違う手つきでした。

 

メルボルン大学ではアラン・トゥレーヌの弟子のKevin McDonald教授、

 

カリフォルニア大学バークレー校では、ピエール・ブルデューの弟子のLoic Wacquant 教授、

 

のもとで徹底的にエスノグラフィーの最先端の方法や蓄積をみにつけてきました。

 

この数年、ひたすらエスノグラフィーを書き続け、刊行することで、少しづつ、国内でも、エスノグラフィーが認知されるようになったかと思います。

 

エスノグラフィーの魅力は、解説書や教科書を書くことではないです。

 

エスノグラフィーそのものを書くことです。

 

たとえば、バークレーでは22名の大学院生全員が、それぞれエスノグラフィーを書いていきます。22作品ができあがるわけです。国内では到底比較にならないほど、手薄です。

 

先日のインタビューでは、「人事×エスノグラフィー」で御応えしました。(リンクがfbでは掲載できないようなので、『日本の人事部』で検索してください。)

 

エスノグラフィー関連

 

https://www.amazon.co.jp/田中-研之輔/e/B00UIMP0PA

 

いま、私自身が関心をもっているのは、

「デザイン思考×エスノグラフィー」です。

 

Design Ethnography aims to understand the future users of a design, such as a certain service. It is a struc- tured process for going into depth on the everyday lifes and experiences of the people a design is for. The aim is to enable the design team to identify with these people; to build up an empathic understanding of their practices and routines, and what they care about.

 

出典 :  http://www.stby.eu/…/wp-content/uploads/2011/01/designet.pdf

 

主催するTTCでは、最新英文を読み続けています。
今年は「デザイン思考×エスノグラフィー」に特化して議論を続けています。

 

来週は、TTCのOB 小林 晴彦 (Haruhiko Kobayashi) さんを特別ゲストに招聘して、デザイン思考ワークショップを開催します。

5月24日(水) 16:50-19:00 法政大学 市ヶ谷 F310

一般公開無料です。
ご関心のある方はぜひ。