自分はその条件で働きたいと思うのか。 | かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

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平成28年3月に19年勤めた小学校の先生を辞め、広島の大崎上島に家族で移住しました。
子どもは、8才と7才の男の子です。子ども達はずいぶん大きくなりました。

そんな我が家の子ども達の成長や、私の気づきを記録していきます。

Facebookで流れてきたとある言葉。


「人がいないと嘆く前に、あなたは、その条件で働きたいと思うのか。」


そうだよねぇ、と、思った。


学校の先生が不足しているという話をニュースで見ることがある。


これは、まさしく、それにあたる。


時給は確かに専門職だから講師でも高いと思う。


でも、教材を準備したり、成績を付けたりっていうことは、与えられた時間だけではとうていできない。


そして、引き受けてしまったら、講師であっても、お子さん達への責任が出てくる。


自分も生半可な気持ちではお受けしたくないと思っている。


だからこそ、足りなくなるんだろうな。


だって、大変なのに、授業以外のもろもろへの時間の時給は、ほぼないに等しく、責任だけは人一倍。
そして、1年経って、期限が来、正規の人で足りてしまったら、
「期限なので。」
で、終わりの仕事。


誰がしたいと思うのだろう。


講師で働いている人への配慮がないのに、人が足りないって嘆くのは、いかがなものだろう。


自分のだいじが蝕まれてしまうような受け方をしたり、自分が納得できていないような受け方をしてしまったら、困るのは自分。


譲れない部分はしっかりもっていないと、と、思う。


なんかあったときに、
「聞いていて思うのですが、あなたなら、その条件で働きたいのですか。」
って、切り返し、いいなぁって思った。
(表現はもうちょっとやんわりとがいいと思うけど。)


その上で、
「私は、その条件では、すみませんが、よう働きません。」
って言えばいいんだなぁ。


受けるか受けないかの手綱は自分が握っている。


雇用される側は、そのプライドだけは、持ってないと、なんだろうな。
そのプライドが蝕まれてしまうような社会は、怖いなぁとも思う。


もし、
「みんな、我慢しているのだから、あなたも我慢しなさい。」
って言われたとしても、
「我慢するかどうかは自分が決めたらいいんだよ。」
って、最近思う。


No.1305



自分のだいじは、自分で決める。
それがだいじだね(^w^)