「人がいないと嘆く前に、あなたは、その条件で働きたいと思うのか。」
そうだよねぇ、と、思った。
学校の先生が不足しているという話をニュースで見ることがある。
これは、まさしく、それにあたる。
時給は確かに専門職だから講師でも高いと思う。
でも、教材を準備したり、成績を付けたりっていうことは、与えられた時間だけではとうていできない。
そして、引き受けてしまったら、講師であっても、お子さん達への責任が出てくる。
自分も生半可な気持ちではお受けしたくないと思っている。
だからこそ、足りなくなるんだろうな。
だって、大変なのに、授業以外のもろもろへの時間の時給は、ほぼないに等しく、責任だけは人一倍。
そして、1年経って、期限が来、正規の人で足りてしまったら、
「期限なので。」
で、終わりの仕事。
誰がしたいと思うのだろう。
講師で働いている人への配慮がないのに、人が足りないって嘆くのは、いかがなものだろう。
自分のだいじが蝕まれてしまうような受け方をしたり、自分が納得できていないような受け方をしてしまったら、困るのは自分。
譲れない部分はしっかりもっていないと、と、思う。
なんかあったときに、
「聞いていて思うのですが、あなたなら、その条件で働きたいのですか。」
って、切り返し、いいなぁって思った。
(表現はもうちょっとやんわりとがいいと思うけど。)
その上で、
「私は、その条件では、すみませんが、よう働きません。」
って言えばいいんだなぁ。
受けるか受けないかの手綱は自分が握っている。
雇用される側は、そのプライドだけは、持ってないと、なんだろうな。
そのプライドが蝕まれてしまうような社会は、怖いなぁとも思う。
もし、
「みんな、我慢しているのだから、あなたも我慢しなさい。」
って言われたとしても、
「我慢するかどうかは自分が決めたらいいんだよ。」
って、最近思う。
No.1305
自分のだいじは、自分で決める。
それがだいじだね(^w^)