「○年生、ちゃんと姿勢を正そう。」
みたいなことを号令の時に呼び掛けたら、
「ちゃんとしてるけど。」
と、一番前の子どものつぶやき。
で、私。
「後ろ見てみ。」
その子、納得。
そのあと、
「2、3人までだったらその子達の名前を呼べるけど、それ以上がざわざわしていたら全体の呼びかけになるなぁ。
でも、それって、ちゃんとしてる子には失礼な話やなぁ。」
と、その子と話す。
こういう時に、つぶやいた本人と話して、関係を作っていくことが、一見面倒くさいかもしれないけれど、一番大切だと思っています。
特に、自分の意見を何か言ってきた時、ぼそっとつぶやきが聞こえた時は、しっかりと耳を傾けてきました。
その子になびく必要はありません。
その子の言い分をしっかりと受け止め、その上で自分の思いを伝える。
「子ども」ではなく「一人の人」と向き合う感覚で。
我が子を育てて小さなお子さんとせっする機会が増えて、一層思うのですが、子どもって、本当に小さいときから、ちゃんと、自分の感覚があり、自分なりにいろいろ考えて生きています。
授業や学級を作っていくのは教師の役割だと思うけれど、頭ごなしに従わせようというのは、私は、違うと思うのです。
それぞれが今まで生きてきたことを大切にした上で、こういう目的があるからこうしていきたい、みたいなことを伝える必要があると思うのです。
自分自身が、権力にものを言わせて従わせようとする大人(主に先生)を冷めた目で見ていたというのもあります。
教師が話したことを受け入れるか受け入れないかは、子どもが考えること。
そして、子どもは、よく先生を見ています。
(それは、息子達と話していて一層実感します。)
表面上従うことにする。
心から受け入れて自分自身が伸びようとする。
どちらも教師からは、問題行動として受け取られません。
でも、心から受け入れられる人と出会えた時、その人が伸びるんだと思います。
私も、ほんとに、何人かだけど、尊敬している先生に出会えました。
そこで、ぐんと伸びたと思います。
その教科が好きになりました。
私は、楽しんで授業をしておられる先生が好きでした。
私みたいに、小さくて女で文化系だと、力わざで子どもに言うことを聞かせようとしても無理だったことが、逆にスキルを磨くことになりました。
男の先生が羨ましい時期もありましたけどね。
小さな小さなボタンの掛け違いから大きなうねりとなってしまう学級崩壊。
この人の言うことを、まあ、この1年は、聞くかな。
そう思ってもらえる自分になること。
そのためには、まず、相手の話を聞くこと。
「言い込めてやろう。その子を正してやろう。」
ではなく、その子の主張は何なんだろう、と。
その主張の本当に意味していることは何なんだろう、と。
(全部が全部うまくいったわけではないですよ。心がけていても失敗は、多々ありましたよ。)
だいじだと思うんだよな。
No.943
わが家のカモミールティー。
生ハーブティーは、贅沢ですね(*^^*)