北海道発・生活問題を考えるブログ

食生活のこと、北海道の暮らし、栄養士という職業、読んだ本の記録。生活問題を考えるオフィス(KS企画)の代表が日々考えていることを綴ります。


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木下謙次郎の『美味求真』

木下謙次郎の『美味求真』

 

 秋山徳蔵の『味 天皇の料理番が語る昭和』を読んで本書を知りました。秋山徳蔵は天皇の料理番として知られた人物で、二十一歳の時に単身フランスに渡り料理の修行をした料理人。晩年には多くの本も著しました。『味 天皇の料理番が語る昭和』のなかで、秋山徳蔵はこう述べています。

 

「研究も深いし、自分で手をくだして料理もする。そして、それを筆にして発表することもうまい。文字通り口も八丁、手も八丁の通人」と三人の人物を挙げています。その三人とは、村井弦斎、本山萩舟(もとやま・てきしゅう)、そして木下謙次郎でした。

 

 村井弦斎は、『食道楽』の著者で食育基本法の制定に伴い注目された、明治期の人気作家ですし、本山萩舟は33年の年月をかけて『飲食事典』を独りでまとめあげた人です。拙書『食の本棚』(幻冬舎ルネッサンス新書、2013年)にも取り上げました。

 

 この二人に比べて、木下謙次郎の影が薄いのはどうしてでしょうか。不思議に感じていましたが、獅子文六が『食味歳時記』のなかで見事に解説してくれています。

 

 獅子文六によれば、「『食道楽』が女性間に多くの読者を獲得したに反し、『美味求真』の方は、男性といっても、知識階級の好事家に止まり、そんなに売れた本とも、思われない」とのこと。

 

 ただし、その中身については、「構成も整然として、食物や料理の歴史、美味ということの研究、主として、魚類の研究と料理法の紹介が微に入り、細を極めている。その叙述は、衒学的ともいえるほど、博覧強記を誇り、文語体をもって、終始している」本と絶賛しています。

 

 というわけで、今回は2012年に復刻された木下謙次郎の『美味求真』を取り上げることにしました。

 

 序文を書いたのは北里柴三郎です。

 

「若し幼少から此の方面へ志を立てられたら偉大な自然科学者が出来上つて居たに相違ない。著者をして身を政界に投ぜしめたのは誠に惜むべきことで、人物経済上一大損失と云はねばならん。それは兎に角政界に老いたる著者が餘儀として猶且此の造詣を持つて居るのは全く敬服に値する。」と手放しで褒めたたえています。

 

 木下謙次郎の本業は政治家です。しかしながら、本書は政治活動の片手間に書いたとはとても思えない重厚な本となっています。分厚いうえに旧仮名遣いで書かれているので読みにくいという難点はありますが、この本の存在を知っておいて損は無いと思われます。

 

 第二章第一節の冒頭部分を紹介しましょう。

 

人間生活の中心は衣食住にあり。衣食住の中心は食にある事、何人も疑なき処なり。人の世に居るや、其の目的飽(ほう)と安(あん)とにあり(周禮注疏)とは古来支那人の人生観なり。

 

(木下謙次郎『美味求真』五月書房、2012年、23ページ)

 

 人間生活の中心は衣食住で、その衣食住の中心は食にあることは誰もが疑うことのできないものと、食の本質について中国の思想家の言を引用しながら述べていきます。

 

 本が本を呼び、たどりついた本です。読書を続けていると、思ってもいなかったところに導かれたり、ジグゾーパズルのピースがいつのまにかつながって全体像が見えてきたりする。そんなおもしろさを教えてくれる一冊です。

 

平松洋子の『おとなの味』

平松洋子の『おとなの味』

 

 「わたしの味」から始まって、もうしわけない味、泣ける味、だめな味、世間の味、憎らしい味など六十余りのおとなの味を語るエッセイ集です。

 

 数多くの食材や料理が登場します。どこで生産された食材なのか。どう料理されたのか。どんな味がしたのか。食べられたときのシチュエーションはどうだったのか。人びとの暮らしや時代背景まで想像してしまう文章で、食べていないのに、読んだだけでたくさんの食材や料理を味わったような気分にさせられてしまいます。

 

 「夏休みの昼寝は、いつも水いろのボンボンベッドだった」少女時代のわたしは、母親が薬缶で煮出した麦茶を飲み、かつおぶし削りの箱をぺたりと正面に置いて正座して、かつおぶしを削るのが、夏休みのお役目でした。

 

 私は、倉敷市生まれの著者とほぼ同時代を生きている岡山出身者です。私も著者同様に青いボンボンベッドは記憶にあるし、母が作った薬缶の麦茶を飲んだ夏の思い出も残っています。だからこそ、特に共感するところが多かったのかも知れません。しかし、意表を突く展開に驚きながら読み進めることもしばしばありました。

 

 たとえば、「侮れない味」。「ふくろにする」という書き出しを読めば、いなりずしの話かなと想像するのですが、そうはいきません。

 

 「親指の慎重きわまりない匍匐(ほふく)前進のおかげで」ふくろになった油揚げの中にいれるのは、酢飯ではないのです。ブルーチーズ。「それも青かびのたっぷりついた匂いが濃くて強いやつ」となると、ブルーチーズの強烈な匂いが苦手の私は読むだけで十分、という気分になります。

 

 著者は甘いものよりも酒好きのようで、飲みともだちと一緒にお酒にあう珍味を全国各地で味わっておられます。

 

 真夏の名古屋で夕方からビールを飲む「もうしわけない味」。「泣ける味」は、酒の肴となる珍味から思い出される幼い頃の記憶。「私、なまこならどんぶり一杯食べられます」と豪語した著者がなまこ料理と格闘する「寒の入りの味」。お酒に弱い私は、読んだだけで酔っぱらってしまいそう。

 

 歳月を経て、かつては苦手だった食べものが好きになったり、反対に好んで食べていたものが嫌いになったりと、嗜好が変わることもあります。

 

 初めての料理や新しい味に出会えればうれしい。どれだけたくさんの食べものを知っているか。自分の舌で感じる味覚の幅広さは、人生の奥行の深さと並行しているようにも思えてきます。そう感じさせてくれるエッセイです。

 

 以下に、「再会の味」の一部分を紹介しましょう。

 

 むかしは、薯蕷饅頭などなんのへんてつもないつまらない味だと思っていた。ところが、あるとき茶席で味わう機会が巡ってきた。つまんで驚いた。ほのかにいもの香りが芳(かぐわ)しい。半分に割って口に入れれば、ほどよくねっとり舌にからみつく。つまんだ指先のあいだで白い生地がふっくらと弾力を示し、その艶(つや)はほんのりなまめかしい。そうだったか、これが薯蕷饅頭のほんとうだったか-親に呼ばれて勇んで箱のふたを開け、ただの白い饅頭が整然と並んでいるのを見るなり肩を落とした記憶が鮮明だからこそ、驚きもよろこびもひとしお。その日からこっち、薯蕷饅頭が好物になった。和菓子をひとつだけ、と聞かれれば、薯蕷饅頭の艶やかな白がぽっかり浮かぶ。

 

(平松洋子『おとなの味』新潮文庫、2011年、277~278ページ)

 

 「饅頭のふところの深さに泣けてくるときがある」のは、それなりの人生を歩んできた著者だからこそ言えるのだ、とも思えます。

 

 おとなの味がたっぷりしみこんだ本書は、どこから読んでもいいし、途中で閉じてもいい。お手軽に多くの味が楽しめる一冊です。

獅子文六の『食味歳時記』

獅子文六の『食味歳時記』

 

 獅子文六にまったく馴染みのなかった私ですが、今若い人にも注目され、文庫本になって復刊されていると聞き、何冊か読み始めたところ止まらなくなりました。本書はそのなかの一冊です。

 

 江戸期の食生活を色濃く残す明治時代から高度経済成長期に入る昭和の時代まで、日本人の食生活が大きく変動した時代を生きた文士の随筆。

 

 1968(昭和43)年の1年間『ミセス』に連載され、1月から12月まで季節に合わせた12回分のエッセイです。

 

 獅子文六は、1893(明治26)年生まれの作家で、1969(昭和44)年に亡くなりましたから、最晩年の作品です。明治から昭和にかけて時代の変化とともに食生活も大きく変わっていく、その流れを俯瞰して見ることができ、そこが大きな魅力となっています。

 

 たとえば、「カレー・ライスなんてものも、今では、どこの家でも安直なお惣菜として、食事に出るが、私の若い時には、ご馳走だった」と振り返ります。

 

 その一方で、昭和40年代の劇的に変化していく食事情もとらえています。ひとつ例を挙げると、促成栽培が進歩して季節感の無くなったキューリ。そこに「江戸時代の名割烹の八百善で、珍しいものを食わせろという客に冬にナスの香の物で茶漬を出し、小判何枚かを要求した」話を加えるのです。

 

 現実に起こっている食味の乱脈話のあとで、読者を江戸時代に連れていく。その振れ具合が大きく、百年単位でものごとを考えるように仕向けてくれます。

 

 自分の味覚に正直で、ウマい、マズいをはっきり述べ、言いにくいこともさらりと書いているのも魅力のひとつ。日本の大食通である北大路魯山人の行為をちくりと批判する(「鍋」)。そこに文士の貫録を感じます。

 

 今回、私が本書を取り上げようと思ったきっかけになった文章は、「議論」の次の章「今朝の秋」の書き出しの最初の一行でした。

 

 

村井弦斎の『食道楽』をとりあげたのなら、木下謙次郎の『美味求真』を逸しては、片手落ちになろう。

 

 歳時記にはおよそ似つかわしくないタイトル「議論」のなかで、村井弦斎の『食道楽』を取り上げ、『食道楽』がどうしてベストセラーになったのか、ページ数を割いて説明しますが、これだけでは不十分と考えたのでしょう。

 

 獅子文六は、次の「今朝の秋」で、木下謙次郎の『美味求真』を取り上げます。多くの女性読者を獲得した『食道楽』に対し、『美味求真』は、それほど売れませんでしたが、サヴァランの『味覚の生理学』(邦訳、『美味礼賛』)に並ぶ名著と絶賛します。

 

 本の説明に加え、著者がどんな人物だったのかも教えてくれます。以下にその一部を引用しましょう。

 

著者は、大分県が選挙区で、あの地方は、私の亡父の故郷だから、よく知ってるが、スッポン、フグ、鮎、ウナギが、名物である。恐らく、著者は、幼少の頃から、それらの魚に親しみ、その習性を熟知し、捕獲法や料理法も、よく心得てたにちがいない。そして、『美味求真』のなかでも、以上の魚の講釈には、他と比べられぬほど、多くのページを、費やしている。(中略)

 

しかし、木下謙次郎しろ、村井弦斎にしろ、あれほど食味のことにかけて篤学の士は、もう、現代にいない。玄人、素人を通じて、いないだろう。『食道楽』と『美味求真』の二書が、明治、大正に、相次いで現われたきりで、その後、目ぼしいものも見当たらないところを見ると、日本のグールマンディーズも、文献的には、向上したとは、いえないだろう。

 

(獅子文六『食味歳時記』中公文庫、2016年、125ページ)

 

 今では忘れ去られようとしている、明治から昭和にかけての食に関する名著を橋渡ししてくれる。そんな本であるともいえます。

島村英紀の『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』

島村英紀の『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』

 

 うそのような本当の話。国際的にも有名な地震学者が突然逮捕され、2006年2月1日から171日間にわたって拘留された、その体験の一部始終を当事者が書き下したノンフィクションです。

 

 「とても、興味深い経験であった」と書き出すものの、もしわが身に振りかかったとしたら、こんなにも冷静でいられるだろうかと自問自答しながら読み進めていきました。著者に成り代わって追体験できる臨場感に思わず引き込まれてしまう一冊です。

 

 著者は、独房を「内外の観測船に乗ったときのキャビン(個室の船室)に比べれば、マシであった」ととらえます。「船のキャビンだと、ペンキの臭いや、機械油や燃料油や魚の臭いに悩まされることもあり、床も油汚れで汚らしいことが多いが、ここには、それがない」と思うのです。

 

 鉄格子だと思うと気が滅入るから「障子の桟(さん)だと思うことにした」と前向きです。「気象庁の職員には申し訳ないが、少なくとも朝食は、気象庁の観測船で出る貧弱な朝食よりもマシなものであった」ようです。

 

 拘留生活をこうして文庫本に書き下ろすことができたのは、フィールドワークで鍛えられた徹底した観察眼、克明なメモによる記録があったからでしょう。

 

 接見禁止が最後まで続き、差し入れの本も品物も手紙も受け取れず、外界と閉ざされたなかで常に平常心を保っていられたのは、第一線で培われた研究者らしい好奇心に支えられていたようにも思われました。

 

 「記憶に残った食事」から、その一端をみていきましょう。

 

 

・二月七日。昼食のデザートにプリン。次のプリンは三月七日だったから一カ月に一度か。

・二月八日。朝食に魚肉ソーセージ、家の子供の好物だった。懐かしい。

・二月九日。私は食事が遅い。家族で食べるときも最後になるのが私だ。

 拘置所でも労役受刑者から「食器回収はいつも今ごろの時間に来るのですが」と言われたときに、まだ二割も食べ残している。担当看守も「ちょっと、食べるのが遅いな」と。詰る口調ではないのが幸いだ。

・二月九日。夕食は初めて麦飯ではなくて、パンだった。二五センチメートルもある巨大コッペパンである。その後、このコッペパンは何度も出た。ときには干しぶどう入りだった。これはうまい。

 だが、パンに付いてきたのはチョコレートジャム、おかずは汁粉。甘いものばかり。

 

(島村英紀の『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』講談社文庫、2007年、133134ページ)

 

 

 台車に並んでいる食器の蓋にマークしてあることに気が付いて、アレルギーのある人には「別食」があることを知ります。「タマゴアレルギーが西館四階に収容されている三十七、八のうち三人ほど」と人数までチェックする細やかさです。

 

 それにしても、なんとも不思議な事件でした。2005年3月に北海道大学が著者を「業務上横領」で札幌地検に刑事告訴したことから始まります。北大の物品である海底地震計をノルウェーのベルゲン大学に売って北大に損害を与えたという告訴ですが、著者が逮捕された後、「詐欺の被害者」であるベルゲン大学教授は「詐欺にあった覚えがない」と証言します。

 

 著者は、日本が推し進めてきた地震予知研究を真正面から批判してきた科学者です。「私は思っていたよりもずっと大きいものの尻尾を踏んでしまったのではないか、その黒い手と、この裁判で闘っても無駄だよ」と友人の忠告を受けて、控訴を断念します。

 

 日本の検察、司法界の深く暗い闇をのぞき見る恐ろしい本ともいえます。 

野瀬泰申の『眼で食べる日本人 食品サンプルはこうして生まれた』

野瀬泰申の『眼で食べる日本人 食品サンプルはこうして生まれた』

 

 本書は、食品サンプルの誕生と実態、その役割について丹念に調べ上げた労作です。

 

 日本人ならば誰しもが見たことのある食品サンプル。店の入り口で、入るかどうかの決め手となり、メニューを想像させるホンモノそっくりの食品サンプル。私たち日本人の食生活にとって身近な存在です。「フードモデル」と呼ばれた食品サンプルを使って栄養指導を行ったことのある栄養士も多いでしょう。

 

 食品サンプルは日本で生まれたユニークな存在ですが、いったい、いつ誰が発明したのでしょうか。最初に食品サンプルを並べた店はどこなのでしょうか。本書は、そうした食品サンプルの謎を解き明かしていきます。

 

 著者がまず眼を付けたのは、食品サンプルのメーカーです。「これだけ巷にあふれた商品を供給しているにもかかわらずサンプルメーカーの業界団体さえなく、従って全国のメーカー数、市場規模、従業員数などがまったくわからない」という驚きの事実を知ることからスタートします。

 

 サンプルメーカーを訪ね歩いていくうちに、創業者が書き残したものや、昭和2年生まれの息子の記憶が手がかりになっていきました。

 

 食品サンプルが百貨店の食堂から波及していったのではないかと考えた著者は、「松坂屋50年史」や「阪急百貨店社史」を読み、小林一三の食堂に関する発言を拾い出していくのです。

 

 蝋(ろう)製から始まった食品サンプルは、昭和50年頃には樹脂(ゾル)による制作に変化していきます。これでよりリアルな食品サンプルが作られるようになったのでした。

 

 著者は、十年余りの歳月をかけて、日本全国の食品サンプルを観察し続けている人物です。名古屋のスパゲティナポリタン、九州各都市のラーメンサンプルに見る違いなど、食品サンプルを通して、その土地独自の地域性が存在することに着目し始めるのでした。

 

 そして食品サンプルを「食文化の伝播と変容の過程を映す鏡」としてとらえていきます。以下にその一部を引用しましょう。

 

 

 サンプルを観察していると、その土地の無意識の反映ではないかと思われる現象に遭遇する。名古屋に「あんかけスパ」と一般に呼ばれている一群のパスタがある。

 

 かたくり粉でとろみをつけたソースのパスタだ。市内のレストランが開発したこのパスタは、周囲からあっけらかんと「あんかけ」と呼ばれている。しかしだからといって安直なソースをかけたものではない。

 

ソースは実に手間をかけており、パスタとの絡み具合も絶品で、実においしい一品である。このパスタの上からかけるのではなく、周囲にかけまわす点にある。

 

 ソースにとろみをつけたあんかけスパは、市内のレストランや喫茶店に広がり、いまでは「あんかけ」とうたっていなくても、とろみソースのパスタに遭遇する。

 

そして、他店で出すあんかけスパもほぼソースまわしかけ方式である。一般にパスタは麵の上にソースをかけるか麵に絡ませるが、あんかけは例外的存在である。

 

(野瀬泰申『眼で食べる日本人 食品サンプルはこうして生まれた』旭屋出版、2002年、106~107ページ)

 

 

 食品サンプルを観察していく延長線上に、食の地域性(著者の言葉でいえば「食の方言」)が明らかになっていく様子がわかります。

 

 日本で誕生した食品サンプルは、韓国や中国でも見られるようになりました。ソウルと上海の食品サンプル事情もまとめています(第3章)。食品サンプルの技術も写真付きで紹介しています(第4章)。

 

 これまで、食品サンプルにスポットを当てた本が無かったのが不思議なくらいです。オビの文章で、石毛直道が「博士論文級の労作である」と絶賛するのも納得できる一冊。

 

川島 良彰の『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』

川島 良彰の『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』

 

 新書にありがちな軽いタイトルに最初は読む気を失っていましたが、BS「久米書店」での著者の話に思わず身を乗り出して聞き入ってしまいました。タイトルの軽さに惑わされてはいけないと教えられた一冊です。

 

 本書の魅力は四つ。まず、コンビニコーヒーと高級ホテルのコーヒーに関して、現状分析が丁寧になされていること。冒頭私がケチをつけた新書タイトルの中身です。

 

 コンビニ各社のコーヒーを比較し、具体的にその違いを教えてくれます。高級ホテルや一流レストランでのコーヒーがどうしてまずいのか。まずいとわかっていても改善が困難な事情もわかります。ただし、タイトル通りの内容だけではありません。

 

 二つ目の魅力は、コーヒーを農産物としてとらえていること。「コーヒーはフルーツ」とは、思ってもみませんでした。著者は世界中のコーヒー豆の産地を歩いてきた筋金入りのコーヒー屋です。生産現場に精通しておられる著者ならではの説得力です。

 

「焙煎こそがコーヒーの味を決める」とか「抽出技術がすべてを決める」、「どんな豆でも焙煎でおいしくなる」といったコーヒー業界にはびこっている焙煎至上主義の方々に対して、もっと生産現場に眼を向けろと警鐘を鳴らしています。

 

 三つは、美味しいコーヒーを提供するための実践を紹介していること。著者は日本航空から依頼を受けてファーストクラスでの美味しいコーヒー提供に尽力します。

 

 制約の多い環境下で美味しいコーヒーを追求する姿勢は、家庭で飲むコーヒーでもちょっとした工夫で美味しくなるワザも伝授してくれます。 

 

 そして四番目。私がもっとも惹かれた点です。コーヒーの「品質基準を明確にし、品質のピラミッドを作る」こと。これが著者の目的です。

 

 第3章は、生産者と消費者の意識を変えることが必要である話から始まります。以下に一部を引用してみましょう。

 

 

これからもずっと、私たちがおいしいコーヒーを飲み続けるためには、自然環境を保護し、労働環境を改善しながらコーヒー作りに励む生産者を増やす努力が欠かせません。

 

生産者が安心して栽培に従事できるような環境を整えるためには、国際相場に左右されず、そのコーヒーの品質や価値に見合った価格で仕入れる環境を作ることが重要です。

 

そのために何より大事なのは、正しいコーヒーの情報をもっともっと開示・発信することです。

 

コーヒーがワインと同じように栽培環境や精選加工、保管方法によって品質の違いが生まれることを消費者のみなさんに理解してもらい、品質に見合った価格を払ってもらうように努力を続けることです。

 

そして、生産者には、目先の欲に駆られて品質を疎かにしないように理解を求めていかなければなりません。

 

こうした環境を整えてこそ、コーヒー栽培が持続可能となります。

 

(川島 良彰『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』ポプラ新書、2015年、8183ページ)

 

 

 百円のコンビニコーヒーが千円以上の高級ホテルのコーヒーより美味しいのは、まったくおかしな話です。

 

 著者は品質のピラミッドを作ることによって、品質に見合った価格設定をし、品質基準を明確にしようとしています。それには、まずピラミッドの頂点を作る必要があると考えたのでした。

 

 さらに、著者は「生産者と消費者は対等なパートナー」(第5章)と言います。生産国では美味しいコーヒーを飲むことができません。その現実を著者はどうにかして変えようとしています。

 

 以上みてきたように、本書は、コーヒー屋がコーヒー業界に一石を投じ、改革を試みる本ですが、それだけではありません。

 

 消費者にとって不明瞭な価格設定や品質基準、生産実態や生産者の生活にも目を向ける大切さ、業界の商習慣の改革、本当の美味しさの追求など、グローバルな視点はコーヒー以外の他の農産物や食品にも十分あてはまります。

 

 そこに、本書の大きな魅力を感じました。コーヒー好きのみならず、食べもの全般を広く扱う栄養士にこそ読んでほしいと思った所以なのでした。

 

佐野洋子の『シズコさん』

佐野洋子の『シズコさん』

 

 本書は、佐野洋子が母シズコさんとの確執を赤裸々に書いたエッセイです。

 

 佐野洋子が「四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。」そのことがきっかけで、「私と母さんのきつい関係が始まった」と第1回目で書いています。

 

 長い歳月が流れ、母シズコさんは認知症になり最終的に老人ホームに入って亡くなります。一度は同居していたシズコさんを施設に入れたことを、「私は母さんを捨てた」と責めます。「私は姥(うば)をうば捨て山に捨てた娘になった」と繰り返します。痛々しいくらい何度も何度も自分を責めるのです。

 

 家族のなかで起こった出来事をさらけ出し、ご自身の生い立ちをふり返るなかで、母と娘の厳しかった関係が少しずつ変化していきます。

 

 母と娘の確執が大きなテーマですが、戦後六十余年の生活史をたどることができる本でもあり、高齢者介護の苦労の一端を知ることのできる本のようにも思えました。

 

 戦後、幼い子どもたちを連れて中国から引き揚げてきたシズコさんは、創意工夫して料理を作り、古いセーターをほどいて子どもたちのセーターを編み、洋服も作ります。物の無い時代に何でも手作りをしていた暮らしぶりがよくわかります。

 

 長女で小さな弟や妹がいた著者は、「気の合ったチーム」のようにシズコさんの料理作りを手伝います。たとえば、こんな感じ。以下に一部を引用します。

 

巻き寿司は、ほうれん草と玉子、しいたけ、ピンクのでんぶが入っていた。やたら太かった。酢でしぼったふきんで時々包丁でふき、はじっこを手伝う私にくれた。

 

私はそんな時、母さん私が好きなのだろうかと思った。手伝うごほうびのつもりだったのだろうか。

 

少なくとも料理をしている時私をどなったりした事はなく、まるで気の合ったチームのようだった。

 

いわしのつみれ入汁の作り方も自然に私は覚えた。

 

私がどうしても食べられないものは鯖の味噌煮で、私は鯖の皮が青くくねくね光っているので気味悪くて、一緒に煮たごぼうと味噌だれをごはんにかけて食べた。

 

家では好ききらいなど通用しなかった。

 

(佐野洋子『シズコさん』新潮文庫、2010年、89ページ)

 

 

 最初の結婚をしたころ、夫の実家で「嫁に来るのに料理学校も行っていないのか」と嫌味を言われます。結婚前に女性は花嫁修業をすることが当たり前の時代でした。

 

 ただし、「姑の料理は豚肉とキャベツ入りのすき焼きとてんぷらだけ」で、著者は「本当に基本的な家庭料理が身についた事は、母さん、あなたのおかげです」と、シズコさんに感謝さえするのでした。

 

 シズコさんのきょうだいに障がい者がいて、その存在を隠すように生きてきたこと。公務員の弟が起こした不祥事のこと。弟の妻との折り合いの悪さ。誰しもが抱えているあまり他人に言いたくないことまで、包み隠さず語っていきます。

 

 そこに、戦後六十年の世の風潮や生活の匂いが感じられ、戦後の復興期や高度経済成長期をたくましく生きていたシズコさんと娘の眼で振り返る昭和史の一端を知ることもできるのです。

 

 初出は『波』の連載(2006年1月号から200712月号までの丸二年間)の24回分。後半は著者自身の乳がん再発の時期とも重なり、最後の3回分あたりから繰り返しが多くなって筆が乱れているようにも思えました。

 

 「私も死ね。生れて来ない子供はいるが、死なない人はいない。」自分の死を意識し穏やかになった佐野洋子は、最後の最後まで自分に正直でまっすぐに生きた魅力あふれる人間なのでした。

深沢七郎の『みちのくの人形たち』

深沢七郎の『みちのくの人形たち』

 

 温暖な瀬戸内海地方で生まれ育った二人の洋子さんのひとり平松洋子さんが「総毛立ち」、その平松さんに勧められて読んだ小川洋子さんもまた「びっくり仰天」した本です。

 

 二人の洋子さんが読後感を熱く語り合っている本(『洋子さんの本棚』集英社、2015年)に触発されて、私も手に取りました。

 

 映画化されて話題にもなった『楢山節考』が老人自身による人口調整であるのに対して、本書は新生児を殺める話。語り手の男がもじずりの花を見たくて東北の山奥に出かけますが、そこで奇妙な風習を知ることになります。

 

 「もじずり」とは、百人一首にある「みちのくのしのぶもじずり誰ゆえに乱れそめにし我ならなくに」のあの「もじずり」です。

 

 歌は知っていても、多くの人はもじずりの花を見たことがないでしょう。もじずりの地味な花に誘われて、いつのまにか東北の暗くて深い世界に引きずり込まれてしまいました。

 

 その地域で「ダンナさま」と呼ばれる農家に泊めてもらう男。観察力の鋭い男の眼を通して、不気味な違和感を読者に少しずつ与えていきます。その序盤は、食事の膳のメニューにも表われています。以下に一部引用してみましょう。

 

 風呂からあがると奥さんが、

「先生、ほんとに、なにもないですが」

と食事の膳を持ってきてくれた。旦那さまと私の二つの膳である。見ると、丸ぼしの焼いたのとトマトやレタスの皿と、椎茸の煮つけに玉子焼きがある。さっきの山蕗の煮たのものっている。徳利に盃があるが、普通の徳利の二倍以上も大きいからずいぶん入っているらしい。盃も茶碗のように大きい。私は酒はのまないが、旦那さまは酒好きらしい。

 

「夕方おいでになったので、仕度は出来ませんが、あした、山菜をとってきます、ご案内して、山へ採りに行きましょう」

と言うが、私は病気だからとても山など歩けない。

 

(深沢七郎『みちのくの人形たち』中公文庫、1982年、26ページ)

 

 

 ダンナさまの奥さんが「なにもないですが」と言いつつも、食事の膳にはトマトやレタスの皿がある。椎茸の煮付けや玉子焼き、山蕗の煮たのは理解できるのですが、どうしてトマトやレタスの皿なのか。心のスミに何かがひっかかったような気持ちになるのでした。

 

 食事が終わったころ、「急に、産気がきたようです」と若い青年がやって来ます。奥さんが助産婦なのかと思いきや、青年は大きな屏風を借りに来たのでした。

 

 お産をするときの「逆さ屏風」の風習を知ったり、両腕の無い仏さまや人形を見たりしながら、東北の農村事情が次第にわかってきます。

 

 うぐいすがときどき啼きます。裏のほうでけたたましく啼くうぐいすの鋭い声は、屏風のかげの産湯の中で押さえつけられ産声をあげることができなかった赤ん坊の叫び声のようにも感じられるのでした。

 

 ダンナさまの家の子供たちの描写も異様な印象を与えます。二人の中学生が「ふたりとも両肘を、ぴたりと、横腹にひきつけて立っている」様子は、両腕を切り落とした先祖の仏さまの姿と重なります。まさに「みちのくの人形たち」です。

 

 平松洋子さんが総毛立つと感じたことにも納得するのでした。

 

 ラストシーンは、浄瑠璃の“いろは送り”です。導入部分からの不穏な感触が、最後の一行で収まるところに収まったように思える見事なラストです。

 

 晴れの国、岡山で生まれ育った人間からみれば、知識として頭で理解していても東北地方の生活の厳しさを実感することはそう簡単なことではありません。

 

 しかし本書は、すとんと納得してしまう。そこに文学の力がある。そう思わずにはいられない一冊でした。

青山ゆみこの『人生最後のご馳走』

青山ゆみこの『人生最後のご馳走』

 

 末期がんで余命わずか3週間という状態にもし自分がなったとき、ホスピスで提供してくれる「人生最後のご馳走」が自分の希望通りの食事だったら、どんなにうれしいでしょうか。

 

 たとえ食べることができなくても、食べたい食事の話を聞いてくれ、自分のためだけに作ってくれる食事にありがたさを感じ、穏やかな最期を迎えることができるかもしれません。

 

 そんな夢のような食事を提供してくれるホスピスが日本にあります。淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院です。本書は、そのホスピスで提供されるリクエスト食を取材した本。末期がんの患者14名がリクエストした食事と、患者を支える管理栄養士、調理師、看護師などのスタッフの物語です。

 

 ホスピス病院でリクエスト食を始めたのは、管理栄養士の大谷幸子さん。大谷さんは日本でNST(栄養サポートチーム)を立ち上げた草分け的存在です。

 

 夫を肝臓がんで亡くした経験をもつ大谷さんは、ホスピスの患者が食べられる状態のときに可能な限り希望を叶えてあげたいという願いからリクエスト食を始めました。患者自身が希望する食事を聞き取って、週に一度個別に提供しています。

 

 大谷さんは、食べられる状態にはない入院患者であっても、食べたいという意思のある方の思いは大切にするようにしているといいます。大谷さんのリクエスト食への考え方について、以下に一部引用してみましょう。

 

 

 大谷さんが食を通してのケアでもっとも大切にしているのは、患者さんとのコミュニケーションだという。リクエスト食では、患者さんから栄養士を通して調理師に希望献立が出され、それを受けた調理師が患者さんの思いを汲んで料理を提供するという、病院から患者さんへの一方通行ではない双方向のコミュニケーションが生まれる。そのことでもまた、作り手のあたたかい気配を感じる、自分だけの特別な食事になるのだという。

 

また、このホスピスでは普段の食事も6種類から選べる選択式を採っていて、リクエスト食以外にも週2回の聞き取りがあるため、栄養士は少なくとも週に3度は患者さんのベッドサイドを訪れる機会を持っている。頻繁に顔を合わせ食の会話がはずむことで、看護師と患者さんとはまた異なるコミュニケーションが生まれる。

 

(青山ゆみこ『人生最後のご馳走』幻冬舎、2015年、47ページ)

 

 

 本書は、文章の合間にリクエスト食、リクエスト食を囲んでの記念スナップ、仕事中のスタッフ、病院内の様子などの写真が収められ、視覚を通してもリクエスト食がどんな環境で提供されているのかが伝わります。

 

 それにしてもリクエスト食の写真はお見事です。カラリと揚がった天ぷら盛り合わせ、レストランで出されるようなフィレ肉ステーキ、シャコ3尾をすし飯の上に山盛りにして中心部を海苔で巻いているシャコの握り鮨。こんな豪華なシャコの握りは今まで見たことも食べたこともありません。

 

 病院食ではおよそ考えられない、すき焼き鍋も出てきます。患者のどんなリクエストにも応えますよ、と作る側である調理師の気概が感じられる写真ばかりです。

 

 リクエスト食を支えるのは管理栄養士だけではありません。看護師、調理師、医師らの患者を支える体制がしっかりと整っていることも本書は教えてくれます。

 

 あの有名な医師が作ったキリスト教系の病院で、優秀な管理栄養士や調理師がいる病院だからこそ実現できた事例、と特別視しないでほしい。

 

 「人生最後のご馳走」に自分は何を食べたいか。親しい人の「人生最後のご馳走」をどうしてあげたいか。末期がんでなくても、在宅で看取るにしても、今は健康であっても、「人生最後のご馳走」をどうするか、どうしてあげたいかを考える、素材提供をしてくれる一冊です。

 

津村記久子の『ワーカーズ・ダイジェスト』

津村記久子の『ワーカーズ・ダイジェスト』

 

 30代の働く女性に是非とも手に取ってほしい一冊。

 

 大きな事件も起こりません。ドラマチックな展開でもありません。人も死にません。普通に働く男女が主人公の地味な小説です。それだけにリアリティがあって共感できるところ満載の本です。

 

 大阪のデザイン会社で働く奈加子(なかこ)は仕事の打ち合わせで、東京の建設会社に勤める重信と出会います。二人は偶然にも同じ佐藤という姓で、話をしているうちに生年月日まで同じであることがわかります。

 

 偶然過ぎる二人の出会いがロマンスに発展していく恋愛小説、と最初は思ったのですが、そうではありません。読者がじれったさを感じるほど、二人が再会するのは小説の後半部分なのです。

 

 奈加子は、学生時代からつきあっていた恋人と別れたばかり、職場の人間関係にもわずらわしさを感じる日々を送っています。一方、重信も急に大阪支社への転勤を命じられますが、栄転ではありません。

 

 食べる場面がたくさんあって、日常の生活感が得られます。たとえば、奈加子と重信が打ち合わせで会って別れたすぐあとに、偶然にもまたカレー屋で一緒になってしまいます。気まずさを感じつつも、結局は言葉を交わしながらカレーを食べます。

 

 こんな感じ。以下、一部を引用しましょう。

 

 

「なすはいいです。大人になってから好きになった。うちの母親はなんでも甘辛くするのが好きで、なすは田楽とか食いにくいもんでばっかり出してきたんで子供の頃は嫌いやったけど、トマトソースのスパゲティに入ってるのを食った時に、こんな「うまいもんやったんやってびっくりした」

 

佐藤氏はスプーンを動かして、おそらく白米とルウを自分なりに理想的なバランスに整えた区画を作りながら、とつとつと語る。

 

「うちの親もそうです。何でも甘辛い。ああいう味付け、ほんとは難しいですよね」

 

「うん、すき焼きかってなんとなくでは作れんですしね。ああでもうちの母親、すき焼きだけはうまく作ったかなあ」

 

肉じゃがは甘すぎてまずかった、と佐藤氏はぼんやり上を見上げながらスプーンを口に運ぶ。

 

(津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』集英社文庫、2014年、42ページ)

 

 

 カレーの食べ方やちょっとした会話を通して、「この男性はわりと、自分と同じぐらいの生活水準で暮らしてきたのだろう、という直感的な印象」を奈加子は持つのです。

 

 自分と相性がいいか、一緒に暮らしていけそうな相手かどうか。食事に対する考え方や食べものの好みは重要なものさしです。食べる姿勢が生きる姿勢にもつながることを著者は感じとっているのかも知れません。

 

 それを象徴的に表しているのが、スパカツ。重信が仕事帰りに立ち寄った、スーパーの裏の古い洋食屋で食べるスパカツです。

 

 スパゲティの上にトンカツを載せてドミグラスソースのようなものをかける、いわばB級グルメの代表のような料理。その味に惹かれた重信は、本屋で手に取ったグルメ本のなかのスパカツ記事を読むことになります。

 

 「今まで食べた記憶がなくても、口にした瞬間、自分の中で歴史の道筋が刻まれる味」これは奈加子が書いた文章で、やっと重信と奈加子がつながろうとしているのでした。

 

 それにしても、「自分の中で歴史の道筋が刻まれる」とはうまい。こんな表現ができる著者に脱帽したのでした。

 

 著者は、働くこと、仕事に対する姿勢への思い入れが特に強い小説家だと思います。本書に栄養士は登場しませんが、働く意味や仕事に向き合う姿勢を教えてくれる良書といえるでしょう。

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