MOON & SUN カズ

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「易」は本文である「経(けい)」と、
その解説である「伝(十翼)」とに分かれます。

 

「序卦伝」は伝(十翼)の一つ。

六十四卦の配列を、その序列の意味(必然性)とともに説明しています。

 

「天地ありて然る後に万物生ず。天地の間に盈(み)つる者はただ万物なり。故にこれを受るも屯をもってす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり…」

 

易経を難しいとお考えの方。まず序卦伝とその解説から目を通すのもいいかもしれません。

 

公田連太郎氏の「易経講話」は序文のあとに、序卦伝の説明が続きます。

(以下引用)

これから序卦伝の御話をする。変なところから読み始めるのであるが、これは私が昔、易を独学していた時に、序卦伝を読んで始めて易の概念を得られたのであって、今でも周易を学ぶ人は、先づこの序卦伝を一通りざっと読んで、周易の大体の輪郭を知って置く方が善いと思うて居る。さういふわけで、序卦伝から読み始めるのである。『易経講話』第一巻(64頁)




沢の上に地があるのが「臨」。

地の上に風があるのが「観」。

「臨」は上から下を見下ろす。

「観」は下から上を見上げる。

 

上下が逆さまの関係にある卦の組み合わせの1つですが、意味も反対で興味深いです。

 

ちなみに江戸幕府の軍艦「咸臨丸」は臨の卦辞からきました。

お互いを感動させることをもって相手に臨む。

君臣が互いに親しみ合うことを意味する。

 

また「観光」ということばは「観」の卦辞からています。

国の光を見る(一国の美を見る)ことで、その国の君主の徳を察知できます。

 

陰陽6つの棒を積み重ねてできる卦(大成卦)は64個ありますが、その中で一番「完成された」「整った」「中正を得た」とされるのがこの「水火既済」

 

いきなり63番目の卦からの紹介です。

陰陽の棒のことを、爻(こう)といいます。

横一本のものが「陽爻」

途中で切れているのが「陰爻」

爻は下から「初・二・三・四・五・上」と数え、

陰ならば「六(りく)」、陽ならば「九」をつけて読みます

すなわち、水火既済は

 

上六(じょうりく)

九五(きゅうご)

六四(りくし)

九三(きゅうさん)

六二(りくじ)

初九(しょきゅう)

 

下から「陽・陰・陽・陰・陽・陰」と並ぶ水火既済は、

「定位を得ている卦」として唯一存在します。

 

ところがこれで終わらないのが易の面白さ。

陰陽を全く逆転した64番目の「火水未成」が最後に登場し、「物語はまだ終わっていない、いや始まったばかり」と締めくくります。

 

考えてみれば、完成してしまうと成長が止まるのであって、絶えず移りゆく卦の本質を見事に捉えた展開です。

『易経』は先人が後世の人に対して普遍的な「人生の構造」を明確に顕したものです。

シンプルに「変易」「不易」を伝えています。

その「構造の変化」を知ることが、日常に起こる「兆し」を知るということで、

「易を学ぶ」ということは、

「世の中のわずかな兆しの変化を察知する能力を養い、人生に活かす」ということにほかなりません。

 

そのシンプルな地図とは、64卦のことで、各々6段階の時(爻)の変化をあわせると384通りの羅針盤ということになります。

(↓003の答え)

 

003で紹介したように易経の本体は陰陽二種類の「棒」の積み重ねでしかない。
そこに解釈を込め、後世に伝わるように、「経」が出来、「伝」が出来た。
(と言っても千年〜二千年の時の隔りがある)

「経」は上・下あわせて64の卦の卦辞、爻辞であり、
「伝」は「経」を解説する十の説明書「十翼」と呼ばれる。

 

「経」と「伝」をさらに解説や注釈するものが数多く存在し、私たちはもっぱらその注釈のさらに解説を学ぶ。

したがって何が本当か、何が真実か、時折古代の原文に立ち返り、自分の「易」を確立するのがよい、と思う。

 

 

西洋哲学側から易を見ると「二進法で世界を記述する哲学」と思われるかもしれない。

ユングやライプニッツはその数理性に着目し、研究し「共時性」などの理論を打ち立てた。

まさに東洋だけでなく西洋にも浸透した。

 

しかるに易は「紙」や「竹」に記録される有史以前から存在し、連綿と陰陽二元論から始まり64卦、384爻の世界を展開する。

その哲学が真理であり、現代に通づる指南書であるが、一筋縄ではいかないのも事実。

 

そんな哲学としての易を私たちは確信を持って、広めたい。

(↓卦の名前を伏せてます。言えますか^^?)

「易経」は形式的な言い方をすれば、儒教の経典である四書五経の中の「五経」の筆頭であり、「陰陽二元論から森羅万象の因果律を説く」ものである。

 

…むずかしいことは抜きにして、とにかくすごいんやぁ、と思ってください^^;

 

儒教って何?

「論語」で知られる孔子の教えを祖とする思想の体系。
 

儒教が朱子学・陽明学を生み、

陽明学が日本に渡り、

佐藤一斎、熊沢蕃山、荻生徂徠、大塩平八郎を感化しさらに、

高杉晋作、西郷隆盛、吉田松陰らの思想を育て、

久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、らに引き継がれ、

明治維新につながる…(大雑把!)

 

その流れの中で多くの先人が「易経」を傍らに置いています。

(「明治」「大正」は易経から)

 

易経を読む時、現代に通じている哲学を意識して読んでいます。

 


久々の吉村昭

彼の表現する「人間の極限、精神の極限」には鈍く重い迫力がある。

 

『逃亡』

戦時中、霞ヶ浦航空隊で整備兵だった少年が、ふとした運命の糸のもつれから軍用機を爆破する。
真犯人であることの露呈を恐れ、怯えながらの逃亡生活を続けるが、その苦難のドラマは、私たちに これでもかと少年の精神に肉迫させる。

 

自分が少年と同じ立場なら、はたしてこのように、逃げ続ける勇気(?) があるだろうか。

 

苦しみながら「生」を求め続ける少年に、なぜか今の自分がオーバーラップすることがある。

普通のありふれた、当時の少年が、過酷な運命に翻弄する展開に、目が離せない。

 

面白いと思ったのは、

デカルトが『方法序説』で述べている「考える方法」についての四つの原則を、平易な言葉で置き換え(単純化)ていて、

その理論を深掘りしている点。

 

いわく、

1. すべてを疑おう

2. 分けて考えよう

3. 単純でわかりやすいものから取り掛かろう

4. 可能性をすべて列挙・網羅しよう

 

人がより正しい判断を下し、より正しい行動を取るために「考える」ためには、

上の四つの原則を守ればよく、

しかもそれは「デカルト時代から今日に至る科学の世界を気づいてきた基礎」

なのです。

 

普段なかなか西洋哲学に触れていない自分にとって、

少し難解ですが、でも先人たちの「考える」ということ、について深く学ぶことは

「何のために生きるのか」に通じるものだと思います。

 

次の「じゃんけん必勝法」は存在する、も面白いです。

もっとも、みな「必勝法」を知ってしまったらどうなるんだろ(笑)

 

逆のものさし講、選定本

 

いつも(一人では手に取らないような)渋い本を選定いただき、ありがとうございます。

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(本日の卦)

水 地 比(すいちひ)上六

 

「比」とは人と人とが親み輔(たす)けあう。

あたかも「水」が「地」に親しむように。

離れることなく互いに相助ける。

 

五爻のみ陽爻であるのもこの「比」の卦の特徴。

唯一の一陽爻は天使の位置にあり、その性質は剛。

他の爻はみな陰であることから、人間社会で言えば

「一人の指導者が万人を親しみ、
 万人はこの指導者を仰ぎ見ている」

 

ただ、六爻に落とし穴がある。
 (此之无首、无所終也)
親しむべき時に遅れてくるものは、親しむことができない。

それは悪い結果をもたらす。

 

先手必勝。
 

実践! 易経講座 ☆三日月の会 3月(3/24)

 

第6回 易経を読み深める会『訟』(3/24)