Kurtlar Vadisi, Irak
イラク戦争をテーマにしたトルコ映画(英名” Valley of the Wolves- Iraq ")を見てきました。
初めて予告編を目にしたのは”Munich"がやるかやらないかやきもきしていた頃。
セリフが英語だったものですから、
いつの間にいったいどこでこんな映画が作られていたのかととても驚きました。
本作はトルコで大人気となったTVシリーズの映画化だそうです。
(以下激しくネタバレあり)
『2003年7月3日、占領下北部イラクにあるトルコ司令部が
それまで友好的関係にあった米連合軍に突然包囲されます。
”疑わしい行動(=suspicious activity)”の廉で
トルコ人11人が頭にフードを被らされた姿で連行され、
2日後には理由もなく釈放となります(ここまでが実話=” Hood Event")。
が、軍人としてこのとき受けた屈辱に耐えられず一人の男が手紙を残して自殺。
その手紙を受け取ったトルコの諜報員Polatは、部下二人と共に現地に潜入します。
そこで彼が目にしたのは、イラク、クルド、アラブの人々の尊厳が、
米連合軍コマンダー・マーシャルとその部下達にいともたやすく踏みにじられている現実でした。
結婚式の宴の最中に乗り込んできたマーシャル率いる米兵に花婿を殺されたアラブ女性Leilaと共に、
マーシャルへの復讐の機会を狙います。』
途中でAbu Ghraib収容所が出てきます。
女兵士が囚人を暴行するシーンや、
ユダヤ人軍医によって囚人の臓器摘出が行われ、
NY、ロンドン、テル・アビブに向けて出荷されることを示すシーンがあることから、
反米、反ユダヤ的だとしてドイツでは上映禁止が呼びかけられているのだとか 。
確かに米軍の蛮行シーンが多く、それをもって反米といえばその通りなのですが、
マーシャルという人物像も疎かにすることなく描いていたと思います。
キリストの磔刑像を家に置き祈りを捧げ、自分のコマンダーとしての役割も神への務めと思っている。
その悪びれなさ・迷いのなさが、
彼の残忍さ、狡猾さ、現場の軍人としての(言いたくないけど)優秀さに説得力を与えています。
ユダヤ人軍医が、捕虜を輸送途中意味なく殺した米兵に
「次にこんなことしたらお前を殺す」と声を荒げたのも、
単に生きた臓器欲しさ故、というあたり半端な人道主義を持ち出すより戦場の狂気が伝わります。
ヒーロー役のPolatはヒロインLeilaの助けで米軍の包囲網をくぐりぬけ、
最終的には復讐を遂げるのですが、
Polatの心理描写が中盤以降少なく少々あっけない感がしました。
それだけに、アラブのSheikh(長老)の姿が際立ってきます。
suicide bomberとなってでも復讐を遂げたいというLeilaに、
イスラムの教えに反するととうとうと語り思いとどまるように諭す。
サダムフセインの圧政を逃れたイラク人、孤児、行き場のない人々を長年に渡って受け入れかくまう。
西欧人ジャーナリストを斬首刑に処そうとする覆面アラブテロリストに、
「(人を裁くなんて)お前はアッラーか」と留まらせる。
このイスラム的平和のありかたを伝えることが隠れた主題だったのかなぁと思われました。
復讐は果たせたけれど誰も幸せになってはいない、
Leilaが結婚の際「自由になるときまで付けていなさい」と言われた鼻のわっか、
最後のシーンで外れていましたが、
あれは魂が解き放たれたということなのでしょうか。
重苦しい話でした。
半分くらいアラビア語(もしくはトルコ語?)で英語字幕、
話追うのにいつも以上に体力も使いました。
まとまった完成度の高い作品とは思いませんでしたが、
欧米製作では作り出せない世界であるのは確かです。
ものすごく後に残ります・・・。
(私の英語力なので間違って理解している部分もあるかと思います。
お気づきの際は指摘して頂けると嬉しいです。)