胸の奥の奥の、そのまた奥にしまい込んだはずの記憶を呼び戻す。
「エレナは不思議な女だった。気まぐれで、のんびり屋で、男も女も関係なく、自分が愛するものを同じように愛す女だった。この国では無理かもしれないけれど、いつか絶対一緒になろうと、私たちはお互いに誓い合った。」
陽菜も大島さんも黙っていた。
私の話を真剣に聞いてくれていた。
「高校を卒業して、大学に進んでからも私たちの関係は続いていた。大学を出ると、私は教師になった。残念ながら正規雇用ではなかったけれど、就職先で出会った人に惹かれ、恋に落ちた。」
「…エレナさんは?」
「エレナは定職にも付かず、ふらふらと生きていた。その傍らで、私は正規雇用に向けての勉強を欠かさなかった。勝手気儘なエレナに私がイライラしていたことはエレナにも伝わっていたと思う。その頃から次第に連絡が途絶えていった。」
エレナのことを思い出すのは久し振りで、辛い思い出のはずなのに不思議と心は暖かかった。
それだけ、彼女と過ごした時間は大きかった。
「就職してから2年後、結婚が決まった。…あれは、結婚式の前日だった。エレナのことを思い出して、ある場所へと足を運んだ。」
「それって…」
「うん。陽菜と出会った、あの防波堤。」
私は陽菜を見て、それから大島さんを見た。
大島さんはおそらく全てを知っているんだろう。
真っ直ぐで、純粋で、淀みのないその瞳に、高校生の頃の自分を思い出す。
「エレナのことは、本当に心から愛していた。性別を超えた愛情を、お互いに捧げあっていた。だけどね、やっぱり世間の声は冷たかった。」
「世間の声…」
陽菜が小さく呟く。
「大学でも2人の関係は続いていたと言ったけど、それはあくまでも秘密の関係だった。表立って付き合ってるなんて言うことはなかったし、私は必死に隠し通した。エレナは何も気にしていなかったけれど、私がダメだった。世間には知られてはいけないと、そう思っていた。」
2人は黙り込んでしまった。
高校生の2人にとって、厳しい現実かもしれない。
けれどもいつかはぶつかる壁だ。
私がそうであったように。
「あの防波堤は、高校生の頃、エレナとよく来た場所だった。何をするでもなく日が沈むまで喋って、バカみたいに笑っていた。」
「あの日、麻里ちゃんが泣いていたのは、エレナさんを思い出していたから?」
陽菜が聞く。
私はコクリと頷いた。
「波にさらっていってもらおうと思ったんだ。エレナとの思い出も、私の後悔も、全部流してしまいたかった。全部忘れてしまいたかった。でも、そんなとき…」
言葉に詰まり、陽菜を見る。
大きな瞳に涙を浮かべ、困ったように見つめる陽菜を、改めて美しいと思った。
「…陽菜と出会った。」