ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST -カッコーの巣の上で- | たとえばボクがキミを小さなレンタルビデオ店アルバイトだと見下したとして、それが何か??

ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST -カッコーの巣の上で-

Cast.

Jack Nicholson


Rating 星星星星


 1963年9月  一人の男がオレゴン州立精神病院に連れられてきた。  男の名はマクマーフィ、刑務所での強制労働を逃れるために狂人を装い、この病院に移送されてきたのだった。  院長に怪しまれながらも、なんなく患者の一員として迎え入れられることができたマクマーフィだったが、彼の思っていたほど、精神病院での生活は楽なものではなかった。  絶対的な権限を持って君臨する婦長、無気力な患者たち、絶対遵守の規則と生活のリズム…。  そんな中、次第に苛立ちを覚えた彼は、様々な手段をもって病院側に反抗し、その行動が少しずつ患者たちに心を取り戻させ、マクマーフィ自身も、患者たちの間で信頼される、リーダー的な存在になっていった。  しかし、病院側が脅威となる彼を放っておくはずもなく、間もなくして電気ショック療法が開始されるのだが・・・


 精神病院って、実際はどうなんでしょうか?  映画の中のように規律に厳しく、個人の意見も尊重されない場所なのでしょうか?  相手は頭のイカレた、自分ではまともに行動できない人たちだから?  この作品は75年製作なので、70年代まではこういう傾向の病院もあったってことなのかな?

なんだか、知らないままでは記事が書けないという気になってきた。  …ということで、ネットを利用して調べてみる。  フムフム。  私は素人ですし、聞き流してくださっても結構なんですが、日本にも少なからず患者を無意味に拘束するようなことの多い精神病院があるようです。  電気ショック療法も最近まで用いられていたようですし。  精神病院が、患者たちを社会から隔離するためだけの施設になってしまうことだけは避けられるよう、国や病院当事者の方々には頑張っていただきたいと思う。

 ところで、今回の作品が伝えるのは、精神病院の実情だけではありません。  常に冷静に「いつもどおり」な日常の押し付けに徹する婦長、生活パターンの変化は不安につながると思い込み、毎日単調な生活を送る患者たち、そしてそんな中に飛び込んだ、健全な目・客観的な意見としてのマクマーフィ。  これらから見えてくるのは、それぞれ権力・社会システムの一部としての一般の人々・この映画の言いたいこと、とも受け取れます。  権力の下、私たちは現状維持が与えてくれる安定に甘んじることが多々あります。  「厄介を被ることになるくらいなら、少々窮屈だけど、現状のままでいい」と。  そこに喝を入れているのが、マクマーフィ。

象徴的なシーンもあります。  重い水道台を持ち上げて窓を割り、脱走すると言い出すマクマーフィ、しかし持ち上がらない。  「やっぱり無理だ」と冷めてしまう患者たちに対して、マクマーフィは 「少なくともオレはやろうとしたぞ」 と言い捨てます。

その後、患者たちは徐々に人間味を取り戻し始めるのですが、話は進行し、マクマーフィもシステムの一部、つまり本当の患者にされてしまう時がきます。  あの死に限りなく近い表情は、忘れられないと同時に、人が社会システムの一部にされてしまうことの恐怖を伝えています。

・・・と、ここまで話しておくと、この作品の内容理解の助けになるかと思います。  あとは皆さんがレンタルビデオ店に走り、お家でこの映画を楽しみ、ラストを吟味するだけです。  私は初めて観た時、全然内容が理解できなかったんですが、考えるうちに、なぜこの作品が傑作と言われているのか分かりました。  なかなかストレートには、意味が伝わりにくいのでマイナス点にしましたが、精神病院の現状の描写から、社会への批判までを表現しているこの作品は、心に訴えかけるメッセージを持った、深い作品だと言えます。  製作は、まだ20代だったマイケル・ダグラスです!!