その昔にクロスシートに憧れ、横須賀線のシートに座った。



それが、いつの間にか、京急600形2代目だった。


そして2000形、600形3代目、2100形あの気持ち良さは、京急で味わった。



特に600形2代目のシートは、気持ち良かった。


走りも素晴らしいし、流石京急のロマンスカーだ。
最近、このような夢を見る。
ローカル時代の京急空港線を見る、しかもツリカケ時代で羽田空港まで、マイクロバスで行く時代だ。
そのツリカケ電車が、乗ったことがない230形や420形で、案外マニアチックな車輛だ。
この時代を語れるのは、50代以上の京急ファンだけだ。
大師線は、歴史が古い。
京急川崎~川崎大師間2キロは、戦前にあったが、その他川崎大師から先は、東京急行電轍が完成した路線である。
東門前・産業道路は、昭和19年6月1日開業
小島新田・塩浜・入江崎は、昭和19年10月1日
桜本は、昭和20年1月7日に開業
但し塩浜~桜本は、昭和26年12月31日に廃止になり川崎市譲渡されています。
塩浜は、昭和39年3月25日休止
昭和45年11月20日廃止になっています。
昔の大師線は、8キロ近くありましたが、現在は、4.5キロになりました。
次に紹介するのは、久里浜線です。
堀ノ内は、昔、横須賀堀内と呼ばれていました。
次の駅、新大津は、鳴神と昭和23年1月31日まで呼ばれてました。
北久里浜は、昭南として開業し、昭和23年2月1日に湘南井田になり、昭和38年11月1日に現在の駅名に変わりました。
当時は、久里浜(仮)昭和17年12月1日開業
昭和18年9月21日廃止
京急久里浜ができたのが、昭和19年9月21日で当時は、久里浜でした。
昭和19年4月1日に湘南久里浜
昭和38年11月1日京浜久里浜
昭和62年6月1日に現在の駅名になりました。
昭和20年代はの久里浜線は、今とは違う景色で、ファインテック久里浜事業所も無くのどかな田園風景でした。
それが、昭和38年11月1日に久里浜工場信号所ができました。
久里浜工場は、旧京濱電鐵川崎工場と旧湘南電鐵金沢工場を移転統合、加えて都心乗り入れ、久里浜線延長による車輛増備に備え工場設備の能力向上をはかるために、当時として民鉄最大の年間600輛の修理能力をもつ工場として建設されました。