自由であることの不自由さ | ~ショボい現実をシフトチェンジしたい方へ~ 50代必須!「召使い脳脱却プログラムin風の時代」

~ショボい現実をシフトチェンジしたい方へ~ 50代必須!「召使い脳脱却プログラムin風の時代」

家族や人の心配をしたり、自分と他人にダメ出しモードだったりな日々は「自分の本質を生きてない」のです。
自分の救済をせず他人の救済をするような「召使脳」のままでは現実は変わりません。脇役意識から脱却して想定外の現実を引き起こす方法をお伝えします。

時々こんなことを思います。


今の人たちは

「なんでも自由に選べるがゆえに、選べなくて逆に不自由なのでは?」と



大学時代、今は少なくなってしまっただろう行商(かごを担いで都内などに野菜を売りに行く人)のおばさんの取材をしたことがあります。


30~40キロの荷物を抱えて野菜を売りにいくおばさんたちは、どういう過程を経てこの仕事に就き、

どういう気持ちで仕事をしているのだろうか?

そんな素朴な疑問が出発点だったのですが・・・・・・・・




大半のおばさんたちは、嫁ぎ先が農家で、姑がこれをやっていたから、引き継ぐような形でこれをやっていました。

最初は「やむを得ず」「いやいや」だった人たちも、年月を重ねるうちにそれがライフスタイルになり、

楽しみになっていっていったそうです。


そして、みんなが口々に言うのは、「お客さんが待っていてくれるから、体が動かなくなるまで続けたい。」と。目




あのころはまだ20代の始めだった私は、重い荷物を軽々と持つおばさんたちの体力もさることながら、

運命を受け入れて、それを自分の楽しみに変えていってしまうおばさんたちの柔軟性と力強さに相当感嘆したのでした。




さらに付け加えて言うならば、いろんな不自由さの中で心の自由を確実に獲得しているようにも私には見えたのです。



だって、おばさんたち、相当楽しそうだったんだもん。



一見選択の余地のない不自由な中で、彼女たちは自分の自由を獲得していたのかもしれません。

たぶん、見えない苦労はたくさんあるんだろう・・・・・・・けどね。



その視点から今の女性たちを見たときに、「自由度は増したけど、なんだかあまり楽しそうじゃない人たちが多い」ように思えました。


自由がありすぎるから、選択肢がありすぎるから「あのときここでこうしなかったら、こんな風になっていなかった」と考えてしまうのかもしれません。




自由になってよくなったこと、たくさんあると思うんだけど、私があのときの若い感性で感銘を受けたあの女性たちの不自由さの中で獲得した強さや柔軟さや自由闊達さには、これからはあまりお目にかかれなくなっていくのかもしれないなあ。




本来、女性って男性よりも体が柔軟で、柔らかくて、どんどんほどけていくような存在だったんじゃなかろうか?

でも、自由を獲得できた反面、どんどん固くなっていっているような・・・・・・・?


まあ、それは、自分を含めて振り返っているんですけどね。



もう、思い切り主観が入りまくりなので、コメントはなしでお願いします。m(__)m