答えはノーだろう。


KIM Yu-NaにASADA Maoが勝つには、3Aをいずれも成功させ、失敗しないのが条件。

確かにひとつの条件ではあった。

だが、あれほど不当とでも言いたくなるGOEやProgram Componentsを出されるたならば、まず逆転は無理だった。少なくともあのプログラムでは。


GOEやProgram Componentsが無かったと仮定し、さらにASADAが完全に演技できたとしよう。

ふたりのFree Skating Program(plan)を比べる(スパイラル・スピン・ステップのレベルは仮定)と……



KIM            ASADA
3Lz+3T    10.00    3A      8.20
3F       5.50    3A+2T    9.50
2A+2T+2Lo    6.30    3F+2Lo   7.00
FCoSp 4     3.00    FSSp 4    3.00
SpSq 4     3.40    SpSq 4    3.40
2A+3T      7.50    3Lo     5.50x
3S        4.95x   3F+2Lo+2Lo 9.35x
3Lz       6.60x   3T      4.40x
SlSt 3     3.30    2A      3.85x
2A       3.85x    FCoSp 4   3.00
FSSp 4     3.00    SlSt 3    3.30
CCoSp 4     3.50    CCoSp 4   3.50
        60.90          64.00


となり、その差はわずか3.10ポイントでしかない。
両者planどおりのパーフェクトだったShort ProgramでのBase ValueはKIMがASADAを0.50上回っていた。この差はどこから来るかといえば、Free Skatingで見ることと何ら変わらない。つまり、3Aを飛んでも今の採点では意味がないということなのだ。

この話、つい最近似たような話を聞かなかっただろうか。

そう、プルシェンコのあの発言だ。

男子では今や3Aは当たり前である。4回転を飛んでこそ、真の勝者と言えるのだ。翻って女子の場合、ASADAはShortとFreeあわせて都合3回3Aを飛んでいる。何でもないようにあまりにも彼女が当たり前に飛んでしまっているが、そもそもオリンピックの場で女子が3Aを飛んだのは、アルベールビルの伊藤みどりだけだった。

ところが、この採点は男子も女子も全く同じであって、ゆえに3Aは大した価値がないものと見なされ、格別の得点にはつながらない。まして、連続した動作をとるとなるとAxcel Jumpのあとはその着氷姿勢からToe Loopとならざるを得ないのだから、選択肢は狭まる。

プルシェンコをしても3Aの後は2Tとなる。

ここが鍵だ。

3回転中最も難易度の高い3Aを決めても、次が2回転であれば3Lz+3Tの方がBVは高くなる。これでは「女子は3Aを飛ばなくて良い」と言っているようなもので、男子における4回転同様、それはフィギュアにとって停滞どころか衰退を示す。

何なら「もうフィギュア草創期の精神に戻ってジャンプ禁止にでもしてしまえ」とでも言いたくなる。これぞまさにIce Danceといえるだろう。

そもそも芸術性を求めるのならスピードばかりのKIMではなくASADAになってもおかしくないはず(もちろんノーミスであればの話)だが、実態はそうではない。かといって、技を競っているのかといえば、正確性云々という話になる。ところが、KIMの演技を見れば見るほどそれとは程遠い。にもかかわらず、GOEやProgram Compornentsが異常なまでに高いのだ。

ならば前述のようにジャンプを禁止にするか、それともASADAが男子より凄いPlanでKIMに臨むしかなかろう。たとえば、3A+3T+3Loのような……。

それとも正統に芸術性と正確性を磨き上げるしかないのか、あるいは観衆の胸をより打つような演技を目指すか。

もっとも、私個人はバンクーバーで最も胸を打つ演技をしたのはSUZUKIだと思っているのだが。



いかにKIMの得点が異常かを記しておこう。


比べる上で種々様々な問題があることを承知で比較する。
もしKIMが男子だったなら、Total254.95だった。
互いにほぼ完璧といえる高橋のショート、プルシェンコのフリーの合計は255.76と、

その差1ポイント弱の際どい勝負となる。
逆に、彼らの合計を女子の採点方法で計算すると、その合計は230.93で、
KIMの228.56と2ポイント強の差ということになりますが、いずれも僅差だ。

KIMのPlanは男子なら完全に平凡なもののはずなのに! だ。


ちなみに、ショートのひとつめのジャンプが明らかに回転不足だと思うのは私だけではなかっただろう。

にもかかわらず、該当箇所に「3Lz< + 3T」の表記が無かったのである。


確かに今大会でのKIMの金は揺ぎ無い。全てを成功させたという意味においては完璧といえるが、着氷やその他の所作、軸の取り方を見れば見るほどその採点には疑問を持たざるを得ない。

ただ、これは言っておかねばならないのは、そういった採点でなかったとしても、基礎点(Base Value)において確実に取りに来ているのはわかっており、ASADAに勝ち目は無かったということだ。

3Aに執着するASADAが悪いとは言わないが、現在の採点システムというのはそういうものだということを全選手が解かった上でやっているのだから、KIM側に仮に政治的動きが有ったにしても、彼女に責めはない。

むしろ、プルシェンコが言うように、採点システムを変えるべきだと訴えることが重要だろう。


何せ、SUZUKIが入賞できたのもこの採点システムで着実に点を取れるようにしたからなのだから。



選手が悪いのではない。ジャッジが悪いという面は否めないが、最も憎むべき、そして改善せねばならぬのは、その採点システムをおいて他にない。

阿久根市長が神社にさざれ石奉納 政教分離に抵触か


ブログ問題などで物議を醸している鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が8日、「君が代発祥の地」として
知られる大宮神社(同県薩摩川内市)に「さざれ石」を奉納した。

専門家は「政教分離の原則に抵触する恐れがある」と指摘している。

市などによると、奉納式には竹原市長ら市関係者3人が出席。「奉納 阿久根市 竹原信一」と記された木製の
台座に幅約40センチ、奥行き約30センチ、高さ約30センチの石を置き、宮司がおはらいをした。玉ぐし料などは
納めておらず、公用車も使っていないという。

竹原市長は共同通信の取材に応じなかった。市総務課は「市長が公人ではなく、私人として行ったことならば、
市としてコメントはできない」としている。

鹿児島大の平井一臣教授(政治学)は「公費を使わないなど配慮しており、直ちに問題視はできないが、基本的には
政教分離の原則に抵触する可能性がある」と話した。



これは全く問題の無い行為と言えるでしょう。

そもそも、憲法による政教分離の原則とは何かという問題を見誤っているものと思われます。

戦争直後、GHQは日本が"このように”至った原因について「明治以来の国家神道」がそれであると認定したところに端を発したものです。憲法というものは原則として個人の行為を制限するものではなく、国の在り方について定めたものです。ですから、「『この宗教を信ぜよ』と国が定めること」について禁じているまでの話です。公人だとダメ、私人だと良い、といった判断そのものが間違っています。

日本は世界でも非常に珍しい文化と政体で成り立っています。

海外のほかの国々においては、通常、為政者は国民の信託と共に権力を行使するに当たって、その正当性がさらに必要となります。よって、

1.宗教の下に国家が存在する

  1-A.ローマ法王・国教司教による

  1-B.聖書による(キリスト諸派・アラブ諸派)

2.思想の下に国家が存在する(マルクス主義 等)

3.王政

といった具合であり、国家という現在のような有り様(近代国家)が成立したのは、特に宗教の関与が大きく、宗教の力が弱まった現代においても、その名残りが有ります。アメリカ合衆国大統領が就任時の宣誓において聖書に手を置くさまは正に有名です。日本国憲法を作ったGHQの母国アメリカがそもそも日本国憲法によると違憲ということができることになります。しかしそれはイスラム聖典(コーラン)でも良いのであって、厳密には違憲とはならないでしょう。

イギリスにおいても、王室は国教あってこそのものです。また、ヨーロッパ各国はおおよそ宗派によって分かれている部分が多分に有ります。


ところが、日本において、国教というものが現在存在するでしょうか。

そもそも、「天皇」という存在が実体を持ちはじめた時代、当の天皇が「仏教」を広める運動を行なっていました。もちろん、当時から「八百万の神」文化は存在していましたし、現代まで語り継がれる神話も存在しました。あくまでも最終的に「国家神道」なるものができたのは明治期であって、社寺仏閣を詣でることに、何の制約がかかるものではありません。

また、天皇が絶大な権力を持った時代というものを私は思いつきません。

奈良の昔から原則として合議ののち天皇による裁可が下るのみであり、いわば選挙こそないものの、大昔から日本では民主主義が定着していたのです。武士の世になり武士が朝廷より政(まつりごと)を預かるようになると「専制政治のようなもの」が存在するようになったのは事実です。しかし、そこにおいても合議制は存在していましたし、れっきとした法治国家でもありました。

ゆえに、現代日本において象徴天皇制という言葉が存在するのは事実ですが、それはずっとはるか以前から同じなのです。基本的に天皇という存在は御名御璽を与えるに過ぎないが、しかし日本の象徴で有り続けたのです。


ここまで書いたところで、では日本の国政とはいかなるものかを考えたとき、上記のいずれにも当てはまりません。というのも、他の王政のように絶対権力を握っていたわけでもありませんし、宗教の名の下に政を執り行っていたとしても、仏教でした。唯一の汚点といえば国家神道ですが、これはキリスト教社会と大差ないことであって、徳川幕府より大政奉還されたのち、その正当性を強く支える必要が有ったが為に作られたといっても過言ではないでしょう。

しかも、それですら天皇大権という言葉が有りつつも、実態は象徴で有り続けたのであって、政治は合議によって行なわれていたのです。

ですから、日本国政府の正当性は思想にも、宗教にも支持されない。

権威というものが全くないんですね。このような国は大変珍しいのではないでしょうか。



竹原氏の行動について戻りますと――。

国歌を愛し、謂れ有る処にお参りすることに、宗教的意味は無いのではありませんか。

それは宗教ではなく、文化であり、歴史であります。

大宮神社のそばには「日の丸」という地区が有り、その名のバス停もございます。

車で数分の「丸山」の高台には常に国旗が掲揚されており、市街地にはニニギノミコトを祀った新田神社が、そこから車でおよそ20分のところには藤川天神(菅原道真の謂れあり)も有りますし、三十六歌仙のひとり、大伴家持も一時駐在していた薩摩国分寺跡もございます。

どうぞ、大晦日の神舞だけに留まらず、いつでも薩摩川内市(さつませんだいし)へお越し下さい。

TBSが大変な業績悪化だそうで、謹んでお慶び申し上げます。

自分から首を絞めておいて「ホントに死んだらどうする!」とでも

言いたげなTBSに感動した!

偏向報道に面白くない番組。

そして離れるスポンサー。

他にも自分で首を絞めた点といえば編成。

これは大罪といえるだろう。

月曜日におけるテレビ番組内容

  NHK総合 日本テレビ TBS フジテレビ テレビ朝日
18 報道 報道 報道 報道 報道

         
19   娯楽   娯楽 教養
  情報        
20 娯楽
娯楽 ドラマ 音楽 娯楽
           
21 報道 娯楽 ドラマ ドラマ 情報
           
22 教養 娯楽   娯楽 報道
  教養        
23   報道 報道 娯楽 地方
  報道     報道 地方
24 娯楽 娯楽 娯楽   地方
  教養 娯楽 娯楽   地方

ゴールデン・プライム時間帯の各局(テレ東・MX・教育は我関せず体制なので除外)


現在おそらく最もTBSが視聴率を取れる月曜20-24時。

枠の変更が一切なかったところが最も視聴率が良いのは当たり前で、元々よく考えられた番組構成だ。

NHKがニュースを19時台に30分しか放送しないから19時台に1時間ニュースを持ち込んでもうまく行くと見込んだのだろうが、そもそもこれは間違い。制作費を削減したいのであれば、いっそ地方局に渡して地域密着の情報番組でも作らせた方がまだマシだろう。(曜日は違えど元々木曜19時台には地方枠が有り、そういった番組が高視聴率を取っていた)

そもそも7時台は各局ともNHKニュース7に持っていかれるので本気で力を入れるような番組でない中、TBSは東京フレンドパークという素晴らしい視聴率を稼いできた番組が有ったわけで、これを外したことから視聴率が流出。他局にとってはタダ貰い同然だろう。特にテレビ朝日に至っては、この時間帯に異色のドキュメンタリ番組を放送するほどの余裕を見せている。

月曜21~22時台はほとんど各局10年以上変わらぬ枠。このバランスは最高で、弄りようが無い。弄り始めるとしたらおそらくフジだろうが、まだ弄るほど視聴率が悪いとも言えないから、仮に弄っても後枠に繋げる為のジャニーズドラマ枠として変更することだろう。(そういえば日本テレビの土曜9時改変は大失敗だった。あの時間帯に若者向けドラマは必須だと思うが)

22時台は以前NHKがTBSと似たような過ちを犯した枠。NHKをもってしても、視聴習慣は変えられなかったわけで、ニュースステーションをこの枠に持ってきた当時のテレビ朝日は奇跡と言える。(当時は22時台にNHKがニュースを放送していた)

23時台のNEWS ZEROは成功している部類に入るが、これはNews23との徹底した差別化が功を奏した結果で、TBSの真相報道とは全く性格が異なる。また、夜勤者を除くほとんどの社会人が帰宅を終えた時間であることを考慮すると、やはり視聴者層が異なり、見事にそれにマッチしていると言える。

23時台~24時台は昔からテレビ朝日系列は地方ごとに番組が違う。これは大正解で、何も全国放送する必要が無い。だからこそ、全く枠が異なり視聴者層も異なる19時台は地方に回すべきだと考える。

むしろ曜日を限定せずに、しかも現在のように遅い時間帯ではなく、また局を限らず全国放送として帯でアニメ枠をここに持ってくると業績は上がることだろう。


さしあたってこんな感じだが、TBSが視聴率を取れない理由は枠の問題だけでも最低これだけは有るということだ。自分から首を絞めるようなことをしてきたわけで、制作費が無いのなら枠の投売り・地方枠増で対応してしまった方がまだマシだ。それもできないなら、もはや停波あるのみだろう。