広島に「原爆」が投下されて66年。


今日も新聞各社の1面は「原発」関連です。


原発推進の原動力となったのは中曽根康弘さん。国会で初めて原発の予算が承認されたのが1954年でした。


なぜ、20万人もの命を奪った「核」を、戦後10年も経たないうちに活用しようと思ったのか。


当時の原発推進派の口癖は「核で日本は負けた。次は核で見返してやりたい」だったそうです。


その気持ちも分からなくはありません。しかし、恨みの気持ちを持って始めたことは、大体にして良い結果を産まないことが世の常です。
原発が一気呵成に進められた結果、日本は66年後も核に苦しめられることになってしまったのです。


「核で多くの命が奪われ、
多くの人の生活が破壊された日本は、核を使わないエネルギーで発展しよう!」が、正しい考え方なのではないでしょうか。


66年後の責任は、今を生きる我々にあります。