ネットで雫形のアメシストのスカーフピンを見つけました。細工の細かいピンも好きですが、こういうシンプルでぴしっと締まったピンもとても愛らしいです。柔らかな紫色です。長さ5.8センチ。

 

刻印です。「k18」とあります。

 

手許にある同様のピンと並べてみました。上二本は濃い色のアメシストとオパールです。どれも丁寧に造られており、おしゃれですね。

 

蛍光灯で写すと青っぽい色になりますが、日光だとこのように少し赤みが入ります。合成石ではないので、変光性のあるアメシストだと思います。

 

裏側です。

 

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日本人で最初に世界に名を知られたオペラ歌手、三浦環(たまき)の歌劇『蝶々夫人』「ある晴れた日に」がYouTubeにありましたのでお聴き下さい。(録音は大正6年)三浦は藤原義江より14才年上ですが、これを聴くとその14年の間に日本の声楽が劇的に向上したのがよくわかります。

 

「ある晴れた日に」

 

いや〜なんというか・・・うまいのかどうなのか判断が難しいですね。声量はあると思うのですが、見事なローマ字の棒読みの上、LとRの区別が出来ていないので、これがイタリア人に通じたかどうか・・・。表現も平坦で、当時の歌い方がこういう感じだったのならわかるのですが、同じ時期に録音された有名なテノール歌手カルーソーの歌を聴くとちゃんと上手いので、どうやらそうではなかったようです。う〜ん今聴くとかなり苦しいかな。(しかし古いレコードの音源を綺麗に処理してアップして下さった方には感謝!)

 

藤原義江は昭和9年(1934年)に藤原歌劇団を立ち上げ、戦時中も昭和18年までイタリアオペラを中心に公演を続けました。その18年に藤原歌劇団としては初めて『セヴィリヤの理髪師』を公演しましたが、これは見たかったですね〜藤原のアルマヴィーヴァ伯爵!さぞ似合っていたと思います。当時の映像がせめてハイライト部分でもどこかに残っていないものでしょうか。それこそ大々的に『日本ニュース』で取り上げてもよかったような気がします。日本は記録をあまり残さない文化なのかもしれません。

 

私の好きなF・ヴンダーリッヒが伯爵を演じている映像がYouTubeに上がっていますのでご紹介します。モノクロですがとても軽快なシーンですので、オペラをよく知らない方でも楽しく観ていただけると思います。

 

こちらです→

 

ヴンダーリッヒは惜しくも36才目前に若くして亡くなりましたが、今でも世界中にファンが多いので、日本にいながらこうして映像を見る事ができるのはとても有り難いです。藤原とは唱法が違うので声の質は全く異なりますが、私はどちらも好きです。ちなみにフィガロ(バリトン)を演じているのはヘルマン・プライというこれまた上手い歌手です。

 

思うのですが、オペラ歌手には歌の上手さに加え、役者としての『華』が必要ですね。舞台に出て来た時にぱっと観客の目を惹き付けるという・・・今は海外で活躍している日本人のオペラ歌手は多いと思うのですが、どんなに歌がうまくてもやっぱり『華』がないと・・・着物の似合う欧米人が少ないように、昔の欧米の貴族の恰好をしてよく似合う日本人もあまりいないと思います。こればかりはいかに個人が努力してもどうにもならないので、歌手としての資質を持った日本人がこれからどんどん海外で活躍することを望みます。

 

ところで、さすがに昭和19年には歌劇どころではなくなったようで、藤原も軍国歌謡などを歌うようになります。藤原が自ら作曲し歌った軍歌『討匪行』は有名ですが、こちらはどうやら支那事変前のもののようです。この曲はインパクト強烈で一回聴いただけで頭にこびりついて困りました、苦笑。しかも歌詞がなんだかやけっぱちですし・・・

 

どこかに藤原の映像が残っていないか探してみましたが、ありました!

 

映画『音楽大進軍』より「愛国行進曲」

 

いや〜せっかくなのに直立不動とは・・・この映画が作られたのは昭和18年ですので、こんなつまらなさそうな内容の映画よりも、上記の藤原歌劇団の『セヴィリアの理髪師』のハイライトシーンを活かした映画を作って欲しかったところです。

ちなみに隣で力みすぎて声がひっくり返って歌っている女性ですが、本来はこんな歌い方ではなく、細いですが音程のしっかりした綺麗な歌声のソプラノ歌手です。

 

それからもう一つ見つけました。しかしこちらは昭和20年の映画ですので観ていてかなりキツい・・・とんでもない内容の野口某の作詞に、山田耕筰が軽やかな曲をつけて、それを藤原が朗々と歌うという・・・これはさすがに両者にとって「黒歴史」と言えるでしょう。私は、どんな内容であっても歴史は既に確定しているので後世それを変更してはならない、というのが持論ですが、この場面だけは10%くらい「なかったことにしたい」と密かに思っています、笑。

 

『撃滅の歌』歌われているのは『米英撃滅の歌』

 

 

 

 

 

 

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ブログの更新が滞っています。これといったものに出会わないときはほんとなかなか出会わないものですね〜実は大正初期のリングの真珠の珠の入れ替えを修理専門店にお願いしているのですが、なかなか仕上げてくれません。そのリングはいかにも大正前期のひょろっとした若い人向けのリングなので、今の目からみると「何これ?」ってなっているのかもしれません。ただ、真珠の菊爪なので、仕上がれば案外可愛らしいかも、と楽しみにしています。(店に送った時には金錆で真っ黒だったもので)

 

ということで、ふと思い立って、戦前戦後にわたり活躍したテノール歌手の藤原義江(1898〜1976)のSP盤がYouTubeにアップされていたので聴いてみました。藤原義江は日本人とスコットランド人のハーフなのですが、これがまたたいそうな男前!キアヌ・リーブスに若い頃の若林豪(豪さん大好きなのです)がちょっと入ったような顔立ちで、しかも今のハーフの甘顔のタレントとは違って、あらゆる困難に打ち勝ってきた男の意思の強さを目に感じます。

 

家庭的には恵まれず、浪費家で女癖が悪かった(そりゃ国際レベルでもてたでしょうね)そうですが、今も続く藤原歌劇団を昭和9年に立ち上げ、実業家としても優れた能力を発揮しました。

 

私はテノール歌手といえばドイツのフリッツ・ヴンダーリッヒ以外は殆ど興味がないというか、不世出の美声の持ち主と言われたこの歌手の歌ばかり聴くので、他の人はどうしても見劣りがしてしまいます。その上私が聴いた限りでは戦前の日本の歌手はものすごく下手・・・「いやそこがいい」という方もいらっしゃるのでしょうが、まず音程は合っていないし声は喉か鼻(!)で歌っているような感じで私は全く好きではありません。どうせ藤原もたいしたことはないとタカをくくっていたのですが、藤原が昭和7年に録音した『帰れソレントへ』を聴いて驚愕してしまいました。

 

アップしている方がどうやら蓄音機愛好会のようなものに所属しているようで、戦前に皆が普段聴いていたとおりのレコード音楽の再現です。当時にタイムスリップしたようでとても面白いのですが、雑音もあるし(これは当時はもうちょっとマシだったかもしれません)かなり音がこもっていて言葉がはっきりしないので、イタリア語で歌っているものと考えて(笑)どうぞお聴き下さい。

 

『帰れソレントへ』

 

『絶唱』といっても過言ではありません。戦前にしてはどうのこうのというより、それ以降の歌手でここまで力強く歌える歌手っていたのだろうかと思います。特にこの歌はパイオニアの藤原がもう終わらせてしまった、といえるかもしれません。今のテノール歌手は、私の知る範囲では、上手に綺麗に上品に丸く(?)歌っている人が多いように思います。藤原は荒削りだし音程もちょっと微妙なところもありますが、そんなのは吹き飛ばしてしまう程の力があり、声を体全体から前に押し出しているので大変迫力があります。こういう歌手が昭和初期にいたのですね、全く知りませんでした。

 

それから、伴奏のオーケストラがなかなかうまいなと思い、レコード盤を見直してさらに驚愕しました。えええ伴奏があのミラノ・スカラ座管弦楽団?!どういう繋がりであんなすごいところと共演することになったのかよくわからないのですが、昭和初期に日本はイタリアと深い文化交流があったようですね。そういえば日本画家の横山大観もこの頃イタリアへ留学して、そこですっかりファシズム信奉者になって帰ってきたそうですが・・・苦笑。イタリアとの軍事同盟は結局アメリカの不信感を煽っただけで何の役にも立ちませんでしたが、イタリアは日本の声楽の向上には大変貢献したことは記憶しておいていいでしょう。

 

YouTubeには他にもたくさん藤原の歌がアップされていますが、如何せんアップしている方々は別に藤原のファンというわけでもなさそうで、回転が速かったり遅かったりで音にものすごくばらつきがあります。とりあえずCDを買って藤原の声の高さを知ってからいろいろ聴き、大丈夫そうなもの(笑)を少しご紹介します。でもそれでもやっぱり音にばらつきがあります。

 

『女ごころの歌』

『私の太陽よ』(これはちょっと回転が遅いですかね・・・汗)

『ジョスランの子守唄』

『ステンカ・ラージン』

 『麦打ちの歌』(これは原語で歌っているようです)

『さらば愛の家(歌劇「蝶々夫人」より)』

 

あたりでしょうか。

 

CDには『タランテラ』などこれまた名唱が録音されているので、今はどっぷりハマってしまい殆ど毎日のように聴いています。ただ、藤原には日本歌曲はどうも合わなかったようで、他のCDで山田耕筰などを聴いてみたのですが、中山晋平はいいのですが山田の日本情緒豊かな曲になると(もちろん上手いのですが)なんだか「借りてきた猫」(笑)のように大人しくなるので、この人は芯から洋楽のオペラ歌手なんだなと思いました。

 

まだちょっと続きますが長くなりましたので次回に。

 

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真珠と綺麗なサファイア(といってもやはり合成石です、笑)の組み合わせがお洒落なスカーフピンです。おそらく昭和初期のものでしょう。石の留め方も大変丁寧で、王冠留めといわれるものです。

 

共箱ですが、「日本ダイヤモンド株式会社」とあります。

 

このピンが面白いのは、御木本真珠店(ミキモト)と同じく地金に「K15」が使われていることです。ミキモト以外でK15が使われているのは初めて見ました。真珠も大変よい巻きのものですし、針にも溝がなくミキモトのピンそっくりですので、もしかしたらミキモトがこの会社に納入したものかもしれません。

 

当時はこういうデザインが流行していたのでしょうか。すでにご紹介しましたWGのピンブローチと並べて撮ってみました。それほど高価な物ではありませんが、どちらも石の大きさとピンの長さのバランスが絶妙です。

 

というわけで、またまたピンが増えてしまいましたので、しばらくしたら少しコレクション整理をします。

 

服部時計店製の羊歯デザインの高級帯留めです。WGが使われていることから、昭和一桁後半くらいのものと思われます。長さ8.6センチ。金色の部分はピンクゴールドで、おそらくK18でしょう。このピンク色とブルーの高品質オパールの色合いがなんともいえずおしゃれな雰囲気を出しています。

 

残念ながらこの帯留めのランクにしては箱はイマイチなので、合わせ箱でしょう。

 

なんと言っても彫金が見事です。地金を薄くして立体的に溶接し、なだらかな曲線を描いています。

 

刻印です。「WG14」とツバメマークがあります。

 

服部時計店は銀器もそうですが、仕事が大変細やかです。そのせいかデザイン的にどこかしな〜っと艶かしい感じがします。その点、地金を厚く使い、デザインが優雅で確固としている御木本真珠店の製品とは異なります。私はどちらも好きですが、服部時計店の製品は御木本に比べると人気がイマイチかもしれません。それにしても昭和十年前後の日本は戦前日本の国力の頂点に達していたのでしょうね、今ではとても造れそうにない技術です。海外への輸出のためでもなく、西洋の真似でもなく、日本人が日本人のためにデザインし、造り上げたこれらのジュエリーは、今後も伝えられるべきだと思います。

昭和7年の服部時計店のカタログと合わせてみました。カタログの方がさらに高級品のようですが、デザイナーは同じなのかもしれません。

 

御木本の高級帯留め(このブログではもう常連さん、笑)と並べてみますと、同じ芥子玉真珠を使っているにもかかわらず、全く違う雰囲気であることがよくわかります。

 

[追記]

どうも写真だと平坦に見えてしまいます。ちょっと角度を変えて写し直してみましたがどうでしょうか。実物は前後に立体的です。