写真家 武藤弘司のFACE ASIA -3ページ目

FACE ASIA VOL.3774

2004年/パキスタン

 

パキスタンの少数民族、

カラーシャ族の少女。

 

カラーシャ族は、

パキスタンの山奥で暮らしていた。

 

険しい山を越えると、

アフガニスタンである。

 

カラーシャ族の女性は、

普段から、民族衣装を着ていた。

 

衣装は、黒が基調で

模様が刺繍してあった。

 

帽子は、ビーズのようなもので

装飾してあった。

 

とても可愛らしいデザイン。

 

衣装の刺繍は、

多種多様だった。

 

各家庭の手造りで、

それもまた、

奥深かった。

 

FACE ASIA VOL.3773

2004年/パキスタン・チトラール

 

パキスタン山岳地帯の街。

 

登山道で通学中の少年に出会った。

 

制服を着ていて、

パキスタンと英語で書かれたキャップも

被っていた。

 

この帽子を被っている少年を、

パキスタンで何人も見掛けた。

 

パキスタンは、クリケットが人気スポーツで、

国の代表の帽子のデザインのようだった。

 

 

FACE ASIA VOL.3772

2003年/カンボジア

 

首都のプノンペン。

 

ゴミの山で働く子供。

 

シャツがかなり汚れ、

蠅がたかっていた。

 

子供が働くには、

あまりにも過酷な環境だった。

 

 

FACE ASIA VOL.3771

2003年/カンボジア

 

カンボジアの首都、

プノンペン。

 

ゴミの山で働いていた少年。

 

白いシャツや顔が汚れ、

蠅がたかりながらも、

懸命に働いていた。

 

ゴミの山は、所々で自然発火の煙が上がり、

スモーキーマウンテンと呼ばれる。

 

裸足で働いていた子供も多く、

かなり危険な現場だった。

 

臭いが凄まじく、

少し居ただけでも、

呼吸器がおかしくなりそうだった。

 

17年前の出来事だ。

 

2015年に、再び同じ場所を訪れたが、

だいぶ変わっていた。

 

政府か会社が管理して、門や柵があり、

ちゃんとしたゴミ集積所になっているようだった。

 

セキュリティーが厳しくなり、入れなかった。

 

遠目だが、働いている子供は見掛けなかった。

 

同じ時間には、通学中の制服を着ている子供が

多かった。

 

カンボジアの貧困層が少しずつ豊かになったり、

子供をゴミの山で働かせないという規制が厳しくなったのだろう。

 

10年以上も経てば、

国や情勢は大きく変わる。

 

平和に向かう国もあれば、戦争に向かう国もある。

 

カンボジアは、平和に向かう素晴らしい国の一つなのだろう。

 

写真は、その時の真実をも閉じ込めるので、

大切なものだと再認識している。

 

FACE ASIA VOL.3770

2004年/カンボジア

 

タイとの国境の、

カンボジア側。

 

当時は、

多くのカンボジアの子供が、

国境のカジノに集まるタイ人観光客や外国人観光客に向けて

働いていた。

 

手を差し伸べてチップを貰ったり、

果物や菓子などを販売する子供もいた。

 

写真は、夏頃で、

頻繁にスコールがあり、

雨に濡れた後で寒そうだった。

 

2015年に同じ場所を再訪したが、

働いている子供はほとんど見掛けなかった。

 

カンボジアの貧困層が少しずつ豊かになって

学校に通ったり、

国境での規制も厳しくなったのだと思われる。

 

貧困は、実に流動的だ。

 

将来、また貧しい子供が増加する可能性も

十分ある。

 

カンボジアは、定期的に

訪れたいアジアの国の一つだ。

 

FACE ASIA VOL.3769

2004年/カンボジア

 

タイとの国境。

 

国境には、巨大なカジノ店が幾つも営業していた。

 

恐らく、当時タイ国内では営業し難いが、

国境ならグレーゾーンだったのだろう。

 

カジノ店に多くのタイ人観光客が訪れ、

そこで働く従業員も多かった。

カンボジアに陸路で入る外国人観光客も

増加していた。

 

そういった人達目当てに、

当時の貧しいカンボジアの子供が多く働いていた。

 

物乞いをしたり、物を販売したり。

 

写真の女の子は、

傘さし業だ。

ビニール袋で自作したような合羽を

着ていた。

 

雨期のカンボジアは、スコールが頻繁にあり、

東南アジアの人達は傘をあまり携帯しない。

 

スコールがあったら、

女の子が側に寄って来て、

傘を差して上げて、

チップを要求する。

見ていると、

貰えない場合が多かった。

 

その時は、ざっと見ただけで10人ぐらいの女の子が

働いていたと思う。

 

写真の女の子は、

写真を撮らせてもらったが、

全く笑わなかった。

仕事もきついだろうし、

女の子の厳しい生き方が垣間見えた。

 

2015年に、

同じ場所へも行ってみたが、

働いている子供はほとんど見掛けなかった。

 

時期や時間などのタイミングもあるかもしれないが、

色々と規制も厳しくなっているのかもしれない。

カジノ店周辺に行くには、

カンボジアの国境ゲートを抜けて行く必要があるが、

監視も厳しくなったのだろう。

 

2004年に比べて、

全体的にカンボジアの子供が豊かになっている印象もある。

2004年は学校に通っていない子供が多かったが、

2015年は、制服を着ている子供が多かった。

 

国の教育制度も進んでいるのかもしれない。

 

写真というのは時代性もあって、

10年も過ぎれば、

同じ場面に遭遇する機会がなくなったりする。

 

写真の大切さや貴重さを再認識する。

 

FACE ASIA VOL.3768

2009年/バングラデシュ

 

首都のダッカ。

 

線路沿いにスラムが広がっていた。

 

足の悪いおばあさんが、

太い杖を突きながら、

ヨロヨロと歩いていた。

 

2019年にバングラデシュを訪れた際に、

ここと同じ場所へも行ってみた。

 

線路沿いのスラムが減っていて、

線路のすぐ近くではなくて、

柵が作られ、その先に移動しているバラック小屋もあった。

 

どこの国も同じで、

色々と規制が厳しくなっているのかもしれない。 

 

FACE ASIA VOL.3767

2003年/カンボジア

 

首都のプノンペン。

 

ゴミの山で働く少女。

 

この場所には、当時、

カンボジアで最大のゴミ集積所があった。

 

大人に混じって、

多くの子供も働いていた。

 

スモーキーマウンテンと言って、

大量のゴミが同じ場所に集められ、

ゴミの山と化していた。

 

恐らく自然発火で、

所々、小さな炎が見られ、

煙が上がっていた。

 

プラスチック、ガラス瓶、空き缶、

生ごみ、動物の死骸など、

あらゆるゴミが捨てられ、

裸足で働いている子供も多く、

あまりにも過酷な現場だった。

 

1時間程いるだけでも、

呼吸器に支障が出るような悪臭が漂っていた。

 

ゴミを集めている少女の、

何かを訴えるような悲しい表情が印象的だった。

 

 

 

FACE ASIA VOL.3766

ここでは、遅れましたが、

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

 

昨年は、バングラデシュへ撮影に行ったり、

帰国後約1か月で、

ボクシングジムのスパーリング大会に

参加したり、

なかなか濃い内容でした。

 

疲労が溜まっていたのか、

年末にかけてのどが痛くなり風邪っぽくなりましたが、

年が明けてからだいぶ良くなりました。

 

ボクシングのロードワークも再開しました。

 

スパーリング大会で、相手が5キロも重く、

ボクシング歴も長そうで強い相手とやり、

いろんな箇所が痛かったが、

それもだいぶ良くなりました。

 

スパーリングは、マスと違い、

相手が本気で殴りかかって来るので、

普段は痛めない箇所を痛めがちです。

 

ボクシングの技術で、

相手が突進して来た時に、

左フックで相手をいなしたり、

カウンターを打つ技術があるのですが、

相手が重かったせいか、

普段よりもかなりの負荷が掛かり、

筋を痛めました。

 

ロードワークで懸垂をした所、

だいぶ良くなった気がしますが、

ケアしていきたい所です。

 

話しが長くなりましたが、

このアメブロもマイペースで続けていきたいと思います。

 

写真は、

2009年撮影、バングラデシュ。

 

ミャンマーに近い村で、

モンゴロイド系の人々が多く住んでいた。

 

女性が竹籠で荷物を運び、

キセルを吹かせていた。

 

FACE ASIA VOL.3765

2004年/バングラデシュ

 

首都のダッカ。

 

イスラム教徒の女性。

 

バングラデシュは、イスラム教徒が多い国だが、

どこか東南アジア的な寛容的な雰囲気も漂っている。

 

この年には、パキスタンへも訪れたが、

そこは厳しいイスラム教の戒律を感じた。

都市部で女性が一人で外出することはなく、

ブルカも全身を覆うもので、

単色だった。

 

インドを隔てたバングラデシュへ行くと、

同じイスラム教徒なのに、

女性が一人で外出することも多いようだった。

 

ブルカも全身は覆われているものの、

カラフルな色の生地を使っていた。

イスラム教徒の女性のお洒落も感じた。

 

15年前の写真で、

イスラム教の国で女性によく撮らせて貰えたと思うが、

今の時代はなかなか厳しいと思う。

SNSが浸透して、スマフォやカメラを持つ人々が多くなり、

撮られる側も警戒してしまうのだろう。