7日間で突然頭がよくなる本 | 難しい時代を生き抜くための読むサプリメント

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今日ご紹介するのは『7日間で突然頭がよくなる本』です。

 ほんとうに題名のとおりだったらどんなに素敵でしょうか。

 でも、この本は著者の小川さんがご自身で体験したことなのだそうです。

 小川さんはもともと頭がよかったわけではないと本の冒頭で述懐しています。

 出身大学は京都大学ですが二次試験で数学がなかったからかろうじて合格できたと自ら分析しています。

 大学卒業後、面接での威勢の良さを買ってもらい伊藤忠商事に入社しますが、落ちこぼれになり会社をやめ、以後4年半フリーターとして過ごすことになります。

 その間、京都大学法学部出身の名誉をかけて司法試験に挑戦するのですがさんざんな結果に終わります。

 30歳になって名古屋市役所に拾ってもらうことになります。

 しかし、ここでも落ちこぼれでした。

 ところが今では独立し、哲学者などと名乗り、偉そうにテレビ、新聞で発言し、高専、大学で教え、本をこれまで20冊書いています。

 それもこれも、ある魔法を身につけたからだと小川さんは言っています。

 その魔法が「哲学」なのだそうです。



【本日のご紹介図書】

 書 名:7日間で突然頭がよくなる本

 著 者:小川仁志

 価 格: 1,470円

 出版社:PHP研究所

 発行日:2012.12.27

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NO.1「7日間で突然頭がよくなる」

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 哲学との出会いによって著者は「頭がよい人間」に生まれ変わりました。

 この本は、その魔法を伝授するために書かれたものです

 哲学は難解というイメージがつきまといます。

 もともと頭がよいから哲学がわかるのだとか、哲学を一生懸命勉強すれば当然頭もよくなるだろうというのは誤った考え方です。

 哲学はそもそも物事の本質をつかむ学問です。

 要は、哲学を学ぶのではなく、哲学のなりたち、あり方などを知り、どんな学問かを知ればいいのです。

 哲学する方法をしれば、物事についていろいろな側面から眺めることができるようになります。

 ところで、頭がよいとはどういうことでしょうか。

 頭がよいとは、通常、物事の本質がつかめる人のことを指します。

 つまり、頭がよい=物事の本質をつかめる=哲学、

 となるわけです。

 みんなが首をかしげているとき、「つまり、こういうことでしょ」といってさらりと説明してくれる人がいると思います。

 誰もがそういう人に一目置くはずです。



 哲学は、賢さを私たちに提供してくれる学問です。

 ただ、まともに哲学を学ぶとしたら少なくとも数年かかります。

 哲学そのものはビジネススキルと異なるからです。

 

 そこで、小川さんは哲学のもっとも本質的なパワーである「物事の本質をつかむ」にテーマを絞って教材にしました。

 それが、今日ご紹介の本、『7日間で突然頭がよくなる本』です。

 題名にあるとおり、7日間で頭をよくする方法が書かれている本です。



 この本を読み進めるうちに、身の回りの物事について哲学すること(本質をつかむこと)ができるようになります。

 さて、7日間の行程は次のとおりです。



 1日目「社会のことを知る」

 2日目「哲学の知識を身につける」

 3日目「哲学の論理パターンを使いこなす」

 4日間「物事の見方を変える」

 5日目「言葉の意味を膨らませる」

 6日目「言葉を論理的に整理する」

 7日目「一言でキャッチーに表現する」



 それでは、さらりと予習をしましょう。

 まず1日目では社会のことを知るための方法が紹介されています。

 2日目では哲学の知識を身につけます。

 ここで最低限の哲学の知識を著者が読者に授けます。

 (頭がよい)小川さんの本領発揮によって、わかりやすく哲学の知識を学ぶことができます。

 3日目は、哲学の論理パターンのうち思考力を高める10個のパターンを厳選して、知識としてではなく使える道具として身につけてもらいます。

 4日目でものの見方を変える方法を学びます。

 物事に対し、常識にとらわれることなく様々な面から見ることができるようになります。頭が驚くほどやわらかくなります。

 5日目は言葉の意味をふくらませる訓練を行います。

 物事の本質をつかむためには言葉を豊かにする必要があります。

 具体的には連想ゲームのようなことをします。

 前日のあたまをやわらかくする訓練がここでは効いてきます。

 6日目は言葉を論理的に整理する訓練です、。

 言葉でイメージを膨らませ、言葉を中心に世界を広げていきます。

 ここでは3日目の10個の哲学概念が役立ちます。

 最終日の7日目では一言で効果的に表現できるようになるための訓練を行います。

 前日までに整理した考え方を人の心に響く言葉に磨き上げます。

 本質をより際立たせることで哲学らしくなります。

 7日の授業が終了したときには、哲学的に考える自分にびっくりすることでしょう。



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NO.2「社会を理解し、哲学の知識を身につける」

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【1日目】社会のことを知らないと物事の本質は見えない

 今の学校教育はテクニックを教えることに力が入りすぎています。

 100冊分のタイトルと著者名を暗記させるよりも、一冊の古典的な文学作品をじっくり読ませた方がはるかに有益というものです。

 物事を暗記だけで済ませてはいけません。

 物事を分析するためには、当然、物事に対する知識が必要です。

 たとえば目の前にリンゴがあるとします。

 まず、物理的、自然学的にリンゴを知ることが求められます。

 どんな大きさで、どんな色で、どんな形をしているか。

 そこまではたいていの人は頭に思い浮かべることはできます。

 さらに歴史、文学、時事に精通していれば、

 聖書に出てくるリンゴの話、ニュートンの逸話に出てくるリンゴの話、ウイリアムテル、ビートルズ、アップル社と広がっていきます。

 聖書では、リンゴは「禁断の果実」として登場しました。

 また、「知恵の象徴」としても描かれていました。

 ビートルズのアップル社とアップルコンピュータ社が商標権をめぐって争ったというのは有名な話です。

 レコードレーベルのマークをリンゴにした理由、

 スマホのロゴマークが「リンゴ」でなければならない理由等々、知っていればリンゴに対する知識の幅はぐんと広がるはずです。

 どういうときにリンゴは使われるのか、リンゴにはどのような特別の意味があるのか、人間とリンゴの関係などが鮮明になります。

 つまり、いろいろなことを知っていればリンゴ1つについても多彩に語れるようになります。



 いくら知識が必要だからといって、むやみやたらに知識を詰め込むのはたいへんです。 「突然頭がよくなる」という題意にも背くことになります。

 少なくとも常識の範囲で、「自然学(科学)」「歴史」、「文学」、「時事」の4つは押さえることにしましょう。

 今日という日を、この4つの教養について学び始める記念日とすればいいわけです。

 自然学、歴史、文学、時事それぞれについて何でもいいからどん欲に知識を仕入れるようにします。

 そうすることで、自由な思考を可能にする教養を身につけることができます。

 今日やってほしいのは、現時点での自分の実力を認識し、今後の読書計画を立て、そして今日から新聞は毎日チェックするということです。



 7日ぐらいでは当然、これらの知識は身につきません。

 でも、7日間でも十分に違いが出てきます。

 少なくとも、これまでも「自然学(科学)」「歴史」、「文学」、「時事」には接してきているわけですから、それらを記憶から蘇らせるだけで見違えるほど効果は出てくるはずです。



 以上を踏まえ、昨日出題した「幸福とは何か?」について考察することにします。

 みなさんは何を思い浮かべましたか。

 平和、お金があること、友人に恵まれていること、満ち足りた状態、ブータン等々いろいろあると思います。

 筆者の小川さんにかかると、

 教養という観点からは、前向きになることで幸福になれるとしたアランの幸福論、

 何かに積極的にやることで幸福になれるとしたアランラッセルの幸福論、

 神による救いを説いたヒルティの幸福論、意志の禁欲こそが幸福をもたらすとしたショーペンハウエルの幸福論、文学ならヘルマン・ヘッセの「幸福論」、寺山修司の「幸福論」、時事でいけば、ブータンの話だけでなく、東京荒川区がブータンに職員を派遣して同様の指標を導入しているというニュースも思い出すことができるそうです。



 さすがですね。

 皆さんは幸福について持てる知識を総動員して、どれくらい引っ張り出すことができますか。

 kougaiはまだまだです。

 年をとってからはビジネス書や実用書ばかりなので、古典の名作も読んでみたいと思っているところです。

 一冊の文学作品を読んで、主人公の気持ちと自分の気持ちを重ね合わせたり、作品の時代背景と自分が生きている今と比べてみたりというような思考が頭をよくするそうです。

 少なくとも、学校でやってきたような、タイトルと作者を結びつけるためだけにエネルギーをそそぐような暗記型の勉強では、クイズ番組に出る予定があるのならともかく、これからの生活に何の意味も持ちません。





【2日目】頭がよくなるためのボキャブラリーを増やそう

 哲学の有効性は、長い時間をかけて批判・検討にさらされて現代まで生き続けてきたことで示されています。

 歴史上の偉大な哲学者たちは、過去の先人の知恵を手がかりに思索を行ってきました。

 哲学を知るためには2つの作業が必要です。

 1つめは哲学史を押さえること、

 2つめは哲学概念に親しむこと、

 の2つです。



 それでは1分でわかる哲学史から入ります。

 まず、哲学の手法を確立したのは「問答法」によって相手の口から答を導き出そうとしたソクラテスです。

 これは1人でもできます。

 知ったかぶりをせずに、自分の知恵に謙虚になって、自分自身に問いかけます。

 哲学的思考はそこから始まります。



 弟子のプラトンは、物事の本質は目の前の現実にごまかされていて、なかなか見えていないと説きます。

 物事の本質は理想の世界(イデア)にあると説きました。

 そのまた弟子であるアリストテレスは、逆に現実にこだわり、物事の本質を考える上ではあまり極端に考えるのではなく、現実に目を向け、ほどほどの状態を知ることが大事であるという中庸(ちゅうよう)の考え方を示しました。

 中世にはいるとキリスト教が幅を利かせ、キリスト教と哲学の融合がはかられました。

 近代にはいると、神の手から離れ、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に代表される「私(意識)」中心の哲学が生まれます。

 それでは「私の意識」はどこからくるのでしょう。

 人間は生まれながらに「私の意識」を持っているだと主張するデカルト派に対して、

 生得的なものではなく経験からく積み上げていくものだと経験論を説くベーコン、ロック派が対立することになります。

 両者を和解させ、近代哲学の金字塔を築き上げたのがドイツのカントでした。

 人間には認識できる世界とそうでない世界があると主張しました。

 その後、ドイツ観念論としてヘーゲルがこれを完成させます。

 ヘーゲルは物事を発展させる「弁証法」という手法を編み出しました。

 物事は動いているという運動の概念を哲学に取り入れます。

 頂点を極めてしまったかにみえた哲学でしたが、その後、社会主義を唱えたマルクスや、自分の道は自分で切り開くとした実存主義のキルケゴールなどがヘーゲル哲学の批判を展開していきます。

 現代の哲学は、物事の構造を客観的に、かつ、その差異をばらばらにありのままに見ようという考え方が中心になっています。



 1分でわかる哲学史、いかがでしたか。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・(笑)

 ちょっと1分は短すぎたかもしれませんね。

 ただ、物事の本質を考えるときに、古い新しいはあるにせよ、これまでの歴史上の哲学者が編み出した考え方はいずれも参考にすることができます。

 著者の小川さんは、今まで紹介した哲学者の概念から、次のとおり物事の本質をつかむ有効な分析ツール10個を抽出しました。



 【1】カテゴリー

 【2】主観と客観

 【3】時間と空間

 【4】イデア

 【5】運動としてとらえる

 【6】弁証法

 【7】否定弁証法

 【8】構造主義

 【9】因果関係

 【10】人間にとっての意味



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NO.3【3日目】哲学の論理パターンを使いこなす

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〈1〉カテゴリー

  「種類ごとに階層的グループに分ける」

 頭の良い人は頭の中がきれいに整理されています。

 哲学では世の中のあらゆる物事は「量」「性質」「場所」「時間」に分類できるとされています。

 いきなり欲張らなくても種類と性質ぐらいの分類から始めてもよいと思います。

 たとえば、車だったら種類で分ければセダン、ミニバン、四駆、軽自動車になり、性質で分ければガソリン車と電気自動車になるという具合です。

 瞬時に頭の中にカテゴリー表が展開できるようになるとしめたものです。

 「幸福とは何か?」について考えます。

 "幸福"のカテゴリーは何でしょう。

 "幸せのカテゴリー"という歌があったような気がしますが、たぶん、幸せのいずれのカテゴリーに入らなかったことを悔やむ失恋の歌であったと思います。

 人を愛する、人から愛される、どちらも幸せにつながるものです。

 ただ、kougaiの知っているご夫婦で幸福感の薄い夫婦がたくさんいらっしゃいます。

 「私はこれだけ大事にしているのにパートナーは私のことを大事にしてくれない」

 というように幸せの天秤が釣り合わないことに起因する争いが多いようです。

 幸福はほかに、お金、ご馳走、信仰、好きな仕事、レジャーなどにも関連します。

 先日紹介しました『100%すべての夢を叶えてくれる・・・たったひとつの原則』のなかで著者のジェームス・スキナーは、「愛と冒険」がその原動力であると力説していました。ここで説かれる愛は「与える愛」でした。

 いずれにしても、人の行動はいつも幸福をめざしているといえるのではないでしょうか。



〈2〉主観と客観

  「主体と客体で区分する」

 会社で同僚から日曜日に遊びに行かないかと誘われたときに

 「日曜はちょっと」と返事したとします。

 日本人同士では通じても、アメリカ人には通用しない返事です。

 日本人は平気で主語も述語も省きます。

 アメリカ人に言わせれば、一体何がいいたいのかさっぱりわからないということになります。

 主体とは自分のことをいいます。

 デカルトは、この世に存在するものがすべて疑わしくなってきました。

 自分の目の前にある机は実は存在しないのではないか、自分は夢の中の世界にいるだけではないのか・・・とまで思い詰めます。

 そうやって、キャベツの一枚一枚をむいていくように疑いの皮をむいていって残ったのが「私」という芯でした。

 この芯こそが主体であり、「我思う。ゆえに我あり」だったのです。

 客体とは何でしょう。

 それは私が認識するものに過ぎません。

 大きさ、長さ、深さといった私に認識された客体です。

 世の中は無限に広がっており、そのなかから「私」が客体を切り取っているに過ぎません。

 主体にはそもそも個性などありません。

 自分が、自分の周囲の世界をどのように意味づけていくかで世界観が決まり、世界観によって自分の個性が決まります。

 客体は主体にとっての成立根拠です。

 物事の本質をつかむということは、その対象となる問題をいかに客体として設定するかにかかっています。



 幸せが手のひらからこぼれ落ちようとしています。。。。

 と、歌謡曲の歌詞にでも出てくるような表現をする人がいます。

 でも、主体と客体の関係からいうと、幸せがこぼれ落ちるとはヘンな話です。

 我思う。ゆえに我ありです。

 みずから手のひらを返して幸せをこぼしているという表現ならまだわかります。

 自分を取り巻く環境について解釈しているのは自分自身です。誰のせいでもありません。

 ・・・でも、いるんですよね。

 パートナーや友達との関係を気まずくして、なにかに魅入られたように不幸な道を歩もうとする人が・・・





〈3〉時間と空間

  「時間軸と空間軸に位置づける」

 頭がいい人は、時間的、空間的把握能力に優れています。

 頭の中に時計と地図がきちんと備わっています。

 物事をとらえる最低限のフレームとして時計と地図を機能させます。

 中世の哲学者アウグスティヌスは心理的時間論を展開しました。

 誰もが過去・現在・未来を心の中に有しているけれど、人によって流れる時間の感覚が違うという理論です。

 確かに過去にとらわれている人とか、先のことが不安で仕方がない人とか、いろいろいますよね。

 人間は動物と違って抽象的な空間を考えることができます。

 東京ドーム10個分の広さと表現して他者にわからせることができます。

 時間と空間を組み合わせることではじめて事象の特定ができるわけです。





〈4〉イデア

  「物事の正体を見抜く」

 頭がよい人は物事の裏にある正体を見抜くのが得意です。

 裏が悪いといってるわけではありません。この場合、裏は真の姿という意味で使います。心の目によって洞察される物事の真の姿です。

 感覚によって移ろいゆくものではなく、永遠不滅の存在です。

 薔薇には薔薇のイデアがあり、つぼみを見ただけでも薔薇を思い浮かべることができます。

 プラトンはイデアによって構成される永遠不滅の世界と感覚によってとらえられる現実の世界を区別しました。

 私たちの身の回りの世界は怪しいものばかりです。

 見た目に惑わされず、心の目で見て自分のアタマで考える必要があります。

 そのためには情報源を増やさなければいけません。

 真実の世界を求め、それを知ることがまさに人間の幸福といえるのではないでしょうか。





〈5〉運動として捉える

  「動いている途中として見る」

 頭がよい人はある意味「超人」です。

 ふつうの人とは違うものの見方ができます。

 止まっているものをみても、動いていると観ることができます。

 ヘーゲルは運動を物質の本性ととらえました。

 空間のなかで時間の経過とともに存在するというように考えました。

 物事の本性は矛盾であり、矛盾こそ運動の源泉であると説きました。

 矛盾を原動力として物事は発展し、それが次の弁証法による問題解決につながっていきます。





〈6〉弁証法

  「マイナス要素をプラスに転じる」

 頭がよい人は問題の解決が得意です。

 問題点や矛盾点をうまく解消し、誰もが納得いく答を導き出します。

 問題が生じたときに、どちらも一見、相容れない2つが対立する問題のように見えても、一段上のレベルに到達することで、どちらも切り捨てることなく、よりよい解決法を見いだすことができます。

 物事はなんでも矛盾を抱えています。

 それでも物事は存在しています。

 災い転じて福と成す、雨降って地固まる、ケガの功名というように、テーゼの掲示だけではなくアンチテーゼの提起があってこそ、矛盾を原動力として物事は動き始め、アウフヘーベン(止揚)するのです。





〈7〉差異として捉える(否定弁証法)

  「差異を重視する」

 頭がよい人は、何でもかんでも1つにまとめようとはしません。

 弁証法も、場合によっては負の効果をもたらすことがあるからです。

 微妙に違うニュアンスがあってこそがいいところなのに、強引にひとつにまとめてしまってはアイデアの芽を摘み取ってしまいます。

 差異を差異のままに残しておこうとする思考が否定弁証法です。

 あらかじめ決めつけない方がよいときもあるのです。





〈8〉構造主義

  「構造の中で考える」

 頭がよい人は、物事を全体のなかで捉えることができます。

 木を見て森を想像します。

 目の前の現象だけに捕らわれていては本質は見えてきません。

 いかにして構造を見抜けるかが、物事の本質をつかむ上で重要になってきます。

 TPPに反対するのは農業を守るためでしょうか?

 英語の公用語化に反対するのは日本文化が失われるからでしょうか?

 パートナーを愛せないのは相手の愛が足りないからでしょうか。

 単独に見ていてはその本質は見えてきません。





〈9〉因果関係

  「原因と結果の関係として見る」

 頭がよい人は原因と結果の関係で捉えることができます。

 対象となっているものが存在する理由も見えてきます。

 私たちが身の回りに起こっていることには、それがつらいことでも、必ず何らかの意味があるはずです。

 「原因があって、結果がある。

  原因のない結果はないし、結果のない原因もない。

  あなたは自由であり、自分の幸福を追求し、それを選択できる」

  ジェームス・スキナー著

  『100%すべての夢を叶えてくれる・・・たったひとつの原則』より





〈10〉人間にとっての意味

  「人間の存在を前提に考える」

 人間が哲学する以上、物事の本質は人間にとっての本質であることを考えなければいけません。

 地球環境問題を考えるときも植物中心ではなく、人間が存在することを前提に考えなければ人間の生存を犠牲にする発想さえ出てくるからです。



 さて、3日目までの講義しか紹介できませんでした。

 残りの講義に興味のある方はぜひ、本書を手にとってお読みください。



 kougaiについて言えば、この本を読んで、目の前に起きていることに対していろいろな面から考える努力をするようになりました。

 それだけでもちょっと頭がよくなったかなという気がしないでもありません。
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