雲をつかむ旅へ
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最後の旅 ~ノースカスケード国立公園 North Cascades N.P~

帰国の日が近くなってきた。

シアトル発・成田着のフライトまで1週間をきっていた。

この旅を締めくくるにふさわしい時間を過ごしたい、頭に浮かんできたのが、アメリカの国立公園を堪能するということだった。

ヨセミテの感動をもう一度、、自然と一体化するあの感覚。

そして今度こそ、バックカントリー(許可が無ければ一日以上滞在することができないエリア)を訪れ、僕の友人が語っていた、そして冒険家の加藤則芳さんがいう『自然の横への広がり』を感じてみたい。

衣食住のすべてを詰め込んだバックパックを背負い、誰も居ない自然に踏み込んだとき、僕は一体どんなことを思うのだろうか。




ポートランドで夏子さんに手伝ってもらいながら、レンタカーをはじめ、テント、調理器具などをレンタルし、準備は整った。

バックパックは相当重たくて、これを担いで歩き回れるのか正直不安だったが、そこはこれまで培ってきた根性が何とかしてくれるだろう。

出発当日、わくわくする気持ちが抑えきれないように、車のエンジンをかけた。

行先はカナダとの国境に近いノースカスケード国立公園だ。

ポートランドから約6時間の距離で少し遠いが、アメリカのハイウエイをドライブするのも楽しい。

ラジオでかかる偶に知っている曲を口ずさみながら、スピードを上げていく。

最寄りのインターで下りて、その後は地道を真っ直ぐ東の方向へ進んでいく。

遥か彼方には真っ白な雪で覆われた山脈の威容ある姿が見えた。

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周りは牧場に囲まれた田舎で、その道をさらに進んでいくと森の中へ突入する。

なだらかな登り道となっていて、しばらく行けばノースカスケード国立公園のゲートが見えた。

その近くにウィルダネスセンター、つまり公園の管理局のような場所があり、僕はそこでバックカントリー入域のための許可証を取る。

窓口にいた若い男のレンジャーが、とても親切に僕の日程や希望に合わせてお薦めのルートやテントサイトを教えてくれた。

僕は彼がお薦めしてくれたルートで歩くことに決め、彼は許可証を発行してくれた。

去り際、「ところで、君は熊対策のフードコンテナを持っているかい?」と聞いてきた。

彼がとりだしてきたのは、大きな円筒型でプラスチックのコンテナだった。

「熊の鼻は恐ろしく強い。3キロも先の食料の臭いを嗅ぎ付けてやってくる。そうやって熊と出くわして被害に遭うバックパッカーがたくさんいるんだ。これを持って行くのはバックカントリーを訪れる人々のルールなんだ」

そのコンテナを持ってみると、重く、それ自体も大きいため僕のバックパックには入りそうにもなかった。

見かねたレンジャーが「まあ、これを持たないのであれば、食料を入れた袋を木に吊るす方法もあるよ。ロープは持っているか?」と提案してくれた。

僕はロープと食料袋を持っていたので、その方法を採用することにした。

義務付けられた熊対策、改めて、これから自然界の中に入り込んでいくということを意識させられた。

さらに進んでいけば、いよいよ雄大な自然が目の前に現れた。

真っ青に輝く湖の向こうには深い森が広がり、そこから盛り上がっていくように雄大で神々しくもある白い山々が聳え立っていて、美しいドキュメンタリーを見ているようだった。

そんななかを車は颯爽と走り、自分の人生の中でも一、二を争う爽快なドライブとなった。

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朝、ポートランドを出発してから大分経っていた。

ようやくバックカントリーの入り口に立ったときは、すでに5時を回った夕方だった。

入り口はキャンプ場のなかにあり、一般の人々はこれから先には立ち入らない。

たまたま居合わせた老夫婦が「これからバックカントリーにいくのか?」と聞いてきたので「そうだ」と答えると「熊に気をつけて、良いトレッキングを」と声を掛けてくれた。

ついでに彼らに写真を1枚撮ってもらい、いよいよ出発した。

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轟々と唸る川の横を沿うように藪道が続いていて、上流へひたすら登っていく。

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普段の山登りでは「頂点」という目標がある。

しかし、今回は明確な地点という目標はない。

では、なんのために歩くのか――それは「自然と同化するため」だ。

少しばかり歩いてみて、この2つの行動には大きな違いがあることに気が付いた。

山登りでは、頂点に意識が集中しすぎて、周りの美しい自然を見落としていたのだ。

森の緑、苔の緑、野に咲く草花が、いかに豊富な色彩を醸し出しているか。

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遠くに見える山峰を模るように積もる雪渓がいかに美しい形状をしているか。

そこを吹き抜ける風の音、川のせせらぎの音がいかに心地よい旋律を響かせているか。

そんなことに気が付かされた。





この日は夕方から歩き始めたこともあり、すぐに野営の準備をした。

指定された場所にはスペースがあり、それ以外には何もない。

テントを張り、薪を集めて火をつけて、夕飯のパスタの用意に取り掛かった。


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ガスバーナーで沸かしたお湯に、パスタと野菜をぶっこんで湯切りをしてからトマトソースを混ぜただけの『男気パスタ』。

普段食べても美味しくないだろうが、自然の中では魔法のスパイスがかかるので、何を食べても美味しい。

やがて陽が落ちて、漆黒が辺りを包みこむ。

川が轟々と流れる音と、薪がパチパチと燃える音が響き渡っている。

いよいよ燃え盛る炎を見つめながら、僕は本当にたくさんのことを考えていた。

家族、友人、仕事、人生、夢、目標、日本、これまでの旅・・・。

色んな考えが思い浮かんでは流されていき、ぼんやりとした感覚だけが残された。

ただ、「帰国が目前に迫っている」というはっきりとした現実がある。

ここに居ればまったく実感はわかないが、この旅を終わらせて次のステージを歩むために、この旅の「おさらい」をする必要があると思った。

明日からはこの旅に想いを巡らせながら歩こうかと思いながら、火を消して、テントに潜り込んで、、、いやいやちょっと待て、熊対策を忘れていた。

いそいそと食料袋にロープを掛けて、それを木に吊るした。

臆病心がでて、夜中になって何度かそのロープを調整しに起きる羽目になった。




朝陽がテントの中まで差し込み、外にでると爽やかな空気がふわりと香る。

コーヒーを沸かして、朝ごはんに食パンを何枚かかじる。

このキャンプで飲む朝のコーヒーほど心を癒してくれる物は無い。

テントを畳んで、さぁ出発だ。

自然の深みへ、深みへ、ステッキをつきながら道を歩んでいく。

木漏れ日が射しこみ穏やかな表情を見せるバックカントリー。

全身でその豊かな自然に包まれながら歩いていると、まるで自分自身が溶け込むような感覚を覚えた。

あのヨセミテで味わった感覚だ。

その幸福な感覚を味わいながら道をたどる。

自然の中に居ること、それは僕にとって、重大な意味を持っていることに気が付いた。

帰国後、僕はまた働きだすだろう。

どんな仕事をするのかはまだ分からない。

でも、どんな形であれ自然の中に身をおきたい、自然というのが、自分にとっての人生の大きなテーマになる、そんなことが急に閃いた。

そんなことを考えていると、もっと心がうきうきしてきて、鼻歌を歌うように目の前の登り坂を上がっていく。

坂を登りきったところで、パーッと目の前の視界が広がり、ノースカスケード国立公園の山峰が姿を現した。


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僕は絶句して、しばらくすると、眼からは涙が溢れてきた。

それはただ自然の美しさに感動したからの涙では無かった。

僕の人生という物語の中の大きな一章が、もうすぐ綴り終えようとされている。

それに対する寂寞の思いと、そのフィナーレに相応しい場面に巡り合えたことへの感動、複雑な気持ちが絡み合い、なんだか胸が一杯になってしまったのだった。

ここでテントを張り、翌日は来た道を引き返す。

今日は一日残された時間、じっくりと自然を堪能したい。

明日からは、帰っていくために歩いていくのだから。


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めぐり逢い ~ポートランド Portland~

アメリカで最も住みたい街といわれるオレゴン州ポートランド。

街を包み込むように川が流れていて、全体にとても緑が多い。

治安は良好で、差別が少ない部外者へ開かれた社会性を持っている。

それは大学や企業がたくさんあるため、国内外から人が移り住んでいるからだろう。

かといって他人に無関心という訳でもなく、年中通して行われるイベント(僕が訪れたときはゲイパレードが開催されていた)や、場末の小さなバーでも人が賑わい、人と人が至る所でつながっていく(僕もここで何人の現地人と知り合った)。

自然アーティストが集まり、アートスペースに自分の作品を発表し、レストランやバー、ショップ、はたまた何気ない小路に至るまでが彼らのキャンバスとなっている。

歩くだけでも、たくさんの発見がある素敵な街空間だ。

もちろんアートだけでなく、レストランやバー自体の『食』に対するレベルも相当高い評価を受けている。

極め付けが街の名産が『ビール』なのだ。

それこそ地ビールの醸造所が街の近郊を含めると38か所もあり、これは世界一の数字らしい。

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『衣・食・住』のすべての部門で世界トップクラスでありながら、街のサイズとしては大きすぎず、絶妙なバランスを持つ魅力的な街だ。

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そんな街に僕の学生時代のサークルの先輩が住んでいた。

彼女の名前はナツコさんで、僕より2つ年代が上。

実は卒業以来、一度も会ったこともなく、在学中もそれほど親しい仲であったわけではない。

そのナツコさんが憧れの街であったオレゴン州ポートランドに住んでいるということを知った。

僕の顔や名前を覚えているかも不安だったため、正直連絡するのもためらったが、「ここでお会いしなければ一生会うことが無くなるかもしれない」と思い、ちょっとばかりの勇気を出してメールを送ってみた。

数日後、とても嬉しいメールが届いていた。

赤ちゃんがいるので、長い間は付き合うことができないけど、できるだけ時間を作って空港まで迎えに行きそのまま市内を車で案内してくれる、とのことだった。

赤ちゃんがいて、仕事も忙しいなか本当にありがたかった。

学生時代は2つ上の先輩といえば、それこそお兄ちゃんお姉ちゃん的存在で、よくかわいがってもらったことを思い出す。




僕は少しだけ緊張しながらサンフランシスコからポートランドへ飛んだ。

ナツコさんに指定された場所で待っていると、向こうから車がやってきた。

「コウスケ~!」

窓から手を振るナツコさんの姿は、学生時代の頃とまったく変わっていなかった。

早速、車に乗せてもらいポートランドの街へ向かう。

後部座席には可愛い赤ちゃん。

それにしても、最後に会ってから10年程にもなるのに、この変わらない感じはなんだろう。

学生とは不思議なもので、年功序列というか、年上に対する絶対的な尊敬の心というものがある。

社会人として会社に入れば1つや2つの歳の差など同期のようなもので、ましてや会社外の人間は同じ年代として一括りに考えるし、役職や入社年数などで立場は逆転したりもするだろう。

だが、学生時代の先輩は決して覆ることの無い大きな存在で、僕にとってナツコさんはいつまで経ってもお姉ちゃん的存在だということは変わりがない。

これは世界に類のない日本独特の人間関係ではないだろうか。

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そんな大先輩に、まずは旦那さんが勤務する寿司屋に連れていってもらった。

旦那さんは日本人で、この街で古くからある老舗寿司屋で職人として寿司を握っている。

ゆくゆくは自身でお店を持つのが夢、という素敵な話しをしてくれた。

ポートランドの街に似合うファッショナブルなお店、店内は満員で行列ができるほどだった。

旦那さんは僕たちの姿を見とめるとカウンターからわざわざ出てこられて挨拶をしてくれた。

2人が出会ったのはこの街の語学学校で、共通していたのが「将来はアメリカで住みたい」ということだったとか。

しかし当時は淡い夢で、実際にこうして住むことになるとは「ほんま人生何があるか、わからんわ」と笑って話す。

それもそのはず、ナツコさんがアメリカに来たのは20代後半。

それまでは日本で会社員として汗を流していたのだが、「やっぱり海外に触れてみたい」という思いでワーキングホリデーとしてアメリカにやって来てから、人生ががらりと変わったのだ。

千里の道も一歩から、ゼロから一への変化が一番大変と言うが、正にナツコさんがいい例だろう。

この憧れの街ポートランドで暮らし、結婚をして赤ちゃんを授かり、現在は家族で次の夢へと向かって進んでいる。

僕も直前に帰国が迫っていて将来のことについて考える日々が続いているが、ナツコさんとの再会は自分にとって大きな刺激を与えてくれた。

2人とも会ってない時間が長すぎて、互いが歩んできた人生を語るだけでも時間はいくらあっても足りなかった。





翌日、僕からのたってのお願いで地元の地ビールを生産する醸造所にナツコさんが連れていってくれた。

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レンガ造りの歴史ある建物、剥き出しになった銀色の太い配管から流れてくるのだろうか強い麦芽の薫りが漂っている。

中にはレストランがあり、そこでは何種類もの出来立てのビールを飲むことができる。

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美味いビールだった。

フルーティーでキレが良く、喉越しが最高にいい。

こんなビールは日本では中々味わえないものだ。

学生時代はバカ騒ぎしながらナツコさんともお酒を飲んだものだが、こうして異国の地で地ビールを片手に語り合う――いや、大人になったものだ。




数日後、列車でいよいよこの旅最後の街であるシアトルに向かう。

当日はナツコさんが車で宿まで迎えに来てくれて、駅まで送ってくれた。

別れ際、「久々会えて、ほんま嬉しかった。連絡してくれてありがとう。きっとまた会おうな」ナツコさんはそういいながら、僕に「良かったら、お昼ご飯」と弁当を持たせてくれた。

改札をくぐり、手を振ってナツコさんと別れた。

列車に乗り込むと、定時通りに列車は動き出す。

すると、横に座っていた男性が僕の服をつまんで、「おい、外で君を呼んでいる人がいるぞ」と窓の外を指差す。

赤ちゃんを抱いたナツコさんが笑顔で手を振ってくれていた。

胸の底からこみ上げる熱いものを感じた。

まるで僕のお姉ちゃんのようだ。

「ありがとうございました」と何度も僕は頭を下げた。

ゆっくりと列車は動きだし、ナツコさんは窓の枠から見えなくなってしまった。

再び会えてよかった、、心からそう思う。

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これまで30年間生きてきたなかで、なんとなく時間の経過と環境の変化に伴い会わなくなり、疎遠になった人もいる。

でも、一度少しばかりの勇気を出して連絡して再会してみると、たちまち『あの頃』に戻ることができる。

『あの頃』とは、大切な思い出が詰まった一瞬一瞬。

僕は、人との『めぐり逢い』を大切にしていきたい。

過去があってこその現在の自分なのだから。



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自然と共に生きる ~ヨセミテ国立公園 Yosemite National Park~

アメリカ大陸の東海岸から西海岸へ、一気に飛行機で飛んだ。

降り立った先はサンフランシスコだ。

サンフランシスコの自由闊達な雰囲気にも魅かれたが、僕が何よりも楽しみにしていたのは、ヨセミテ国立公園を訪れることだった。

アメリカの国立公園は世界一の自然保護のシステムを確立している。

考え方の基礎としては、現在ある自然を次の世代へ継承していくため「取るものは写真だけ、残すものは足跡だけ」というものだ。

この考え方は、単純に人間を自然から遠ざけるものでは無く、誰もが自然に触れて自然を愛することで、自発的に美しい自然を守ろうという精神を醸成させるものだ。

例えば、国立公園内でも一般の観光客が自由に入れる場所と、入場に許可が必要なバックカントリーとが明確に分けられていて、バックカントリーに入る際には自然を保護するための制約をしっかりと守る必要がある。

アメリカでバックパッカーといえば、バックパックにテントや食料など生きていくために必要な物資を一切合切詰め込んでバックカントリーを歩く人々のことを指し、他国での放浪者のイメージとは異なる。

僕もここへ来る前には何も知らなかったが、アメリカのバックカントリーに詳しく、何度かそこを旅している友人に教えてもらい、アメリカの国立公園に憧れを持ったのだった。

その友人は最近亡くなった冒険家加藤則芳氏を尊敬しているのだが、その考えがとても素晴らしい。

日本やヨーロッパはトレッキングに高さを求める縦への追求をするが、アメリカは自然そのものを楽しむ横への広がりを重視するというものだ。

ちょうど富士山が世界文化遺産(自然遺産でない以上、同一に考えるべきではないが)に登録されて、意味も分からず大騒ぎする日本のマスコミを見て、日本とアメリカの国立公園への考え方の違いを感じた。

なぜ日本人はそれほどまで『世界遺産』に拘るのだろう。

富士山も元々は自然遺産での登録を進めていたが、それが難しいと分かってから文化遺産で申請し、功が奏したわけだ。

知床や屋久島では世界自然遺産に登録されたことで知名度が一気に上がり、たくさんの観光客が押し寄せて、自然破壊が進んでいるという。

それでは本末転倒である。

確かに地元からすれば経済効果が大きいため、是が非でも、というところなのだろうが、どうかその上がった知名度を利用して、その保護にもつなげて欲しい。

大体、富士山の入山料の徴収なんて、とっくにしておくべきだったと思う。





さてグダグダと語るのはこの辺までにして、憧れのヨセミテ国立公園にやって来た時の話しをしよう。

サンフランシスコのアウトドアショップでテントやマット、クッカーなどをレンタルしてバックパックに一切合切を詰め込んで、バスでヨセミテへ向かう。

まずはヨセミテバレーへ到着した。

ここはインナーカントリーと呼ばれていて、宿泊施設や短めのトレッキングが整っていて、ヨセミテ観光の基地となる場所だ。

夏休みにはまだ早かったが、それこそすごい人の数だった。

観光案内所には次から次へと大型バスがやって来て、大量の人々を運んでくる。

なにせ年間300万人以上の観光客がやってくるのである。

そんな大量の人々を受け入れつつ、自然を保護するためには並大抵のシステムでは持ちこたえられないだろう。

そのための仕組みが様々なところで垣間見られる。

園内の主要所を巡る無料のシャトルバス。

バックカントリー入域のための許可制度。

キャンプサイトを含む1日あたりの宿泊の人数制限。

観光客への自然保護への啓蒙。

数え上げればきりが無いが、印象的だったのがパークレンジャーの活躍だ。

僕がヒッチハイクをしたときに、拾ってくれたのがパークレンジャーだったのだが、彼は「一生、この公園を守っていきたい」自分の仕事にとても誇りとやりがいを感じている様子だった。

そんな意識の高いパークレンジャーがたくさん存在するのである。




さて、そこからまず向かったのがヨセミテ公園一の景観ポイントと言われるトンネル・ビューだ。

少し小高い丘からヨセミテバレーが一望できる。

ヨセミテバレーはエルキャピタンやドームロックといったロッククライマーにとって聖地ともいうべき巨大な花崗岩の一枚岩に覆われている。

その岩の裂け目からは幾本もの滝がバレーに流れ落ち、その水が渓谷内の豊かな森を作りあげている。

他に類を見ない景観で、美しさのあまり絶句してしまう(もともと感動伝える相手は誰もいないのだけど)。

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景色を堪能した後は、予約しておいたヨセミテバレー内のテントサイトでキャンプを設営した。

ヨセミテバレーはその人気に反して、宿泊施設は少なくキャンプ場ですら予約は一杯になる。

僕はたまたまキャンセル待ちに成功したのだが、何も知らずにやって来て宿の確保ができず、路上で寝ていたらレンジャーに追い出されるというケースも結構あるらしい。

キャンプ場に入ると、管理人は僕が車で来ていないことに驚いた様子だった。

ここにやって来て改めた感じたことはアメリカがいかに車社会かということだ。

車が無い人のために社会は設計されておらず、誰もが車を持っていること前提に仕組みが成り立っているため、交通が非常に不便だった。

キャンプ場内には大型のキャンピングカーがたくさん止まっていて、人々は思い思いに時間を過ごしている。

みんなキャンプファイヤーが大好きで、そこら中でたき火が上がっていた。

僕も僕の横にテントを張ったアメリカ人たちと仲良くなり、彼らと薪とビールをシェアすることにした。

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たき火ができるのも夜の十一時までで、お祭り騒ぎが大好きなアメリカ人が時間を厳守してキャンピングカーに潜り込んでいるのには驚いた。

パチパチという薪が燃え上がる音が、僕たちを包み込む静寂を破っていった。

ただ、静かにその炎を見つめている。

「男は誰だって、炎が好きなのさ」

彼はそう呟いた。

こうして自然の傍に身を置いていると、世界で一番幸せな時間を過ごしていると感じられる。

こんな素晴らしい時間を過ごして、誰が自然を愛さずにいられるのだろう。

火を囲み、人と語らい、自然に抱かれて寝る。

自然の声に少し耳を傾けてあげれば、なんと美しい音色が胸に沁みていくか。

常にここに身を置いているレンジャーが、自分を誇る気持ちが分かったような気がした。

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翌日はハーフドームと呼ばれる巨大な一枚岩を1日がかりで登った。

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なかなかハードなトレッキングだったが、移り変わる景色を眺めながら歩けば、そんなことは苦痛では無くなる。

朝光に照らされた黄金色に輝く一枚岩、轟々とうなるいくつもの巨大な滝、どこまでも透き通った小川のせせらぎ、針葉樹の森に生息する鹿、、、

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最後は急な花崗岩の一枚岩にチェーンを伝い登っていく。

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登り切れば360度に広がるヨセミテ国立公園のパノラマが広がっている。

遠くの方にはまだ雪渓が残っているのが見えた。

包み込まれる自然も良いが、上から眺める自然もまた良し。

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だが、それ以外にもたくさんの自然を楽しむ方法があることを、キャンプサイトで出会った日本人に教えてもらった。

彼らは九州出身の3人グループのロッククライマーで、全員が60歳近い(!)格好いいオジサンたちだ。


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ロッククライミング歴30年ほどになるらしく、今回は仕事を辞めてまでこのヨセミテ国立公園にあるエルキャピタンという世界的に有名な岩を登りに来た、という。

いや、なんともロマンがある話ではないだろうか。

この岩、世界一大きな花崗岩で、渓谷からの高さは1000メートルもある。

そのエルキャピタンを登るには4日もずっと岩を登り続ける必要があるのだとか。

食事や就寝のときは岩の合間に入り込んでするらしい。

僕には全く想像もつかない世界があるということを知った。

彼らと出会ったのは、そのエルキャピタンに挑戦する3日ほど前のことで、僕が彼らのキャンプ地の手配などを手伝ったお礼に、ロッククライミングを体験させてくれた。

これが面白かった。

一目では到底登れそうもない岩。

わずかな岩の窪みに指を掛け、足を掛け、じわりじわりと高みへ移っていく。

体力もさることながら、知性、度胸も必要とされるスポーツで、登り切った時は思わずガッツポーズを決めてしまうような達成感を感じることができる。

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その日の晩、いつも通り僕たちはキャンプサイトで火を囲む。

ビールのボトルの栓を開けて、皆で乾杯。

「明日はいよいよ、エルキャプ(エルキャピタン)か、、」

「え、もしかして緊張してるの?」

「そりゃするだろ。夢にまで見たエルキャプだ。今日は寝られない」

その道30年の大ベテランを委縮させてしまう世界一の花崗岩、そして仕事を辞めてまでその岩を登ることに挑戦するという彼らの情熱。

横目で僕は会話を聞いていただけだが、心が熱くなるのを感じた。

「明日頑張ってください!本当に応援しています」

僕は心からそう言った。

しかし、結果的にはこの挑戦は失敗してしまったということを、後からメールで知った。

「また、次頑張ります」

文面の最後にはそう書かれていた。

この人たちには、挑戦できることがあり、失敗することができる。

そしてそれを共有する仲間が傍にいる。

素晴らしいオジサンたちだと、ただただ尊敬している。





エルキャピタンのキャンプ場を離れて、僕はバックパックを担いでマリポサグローブというセコイアの木の森へ向かう。

セコイアとは、スギ科の針葉樹で寿命が長く大きく成長するところが特徴。高さ100メートル、寿命は2000年を超える木もざらにある。主にアメリカの西海岸付近にある国立公園の一部の森林に生息している。

地球上最大の生体ともいわれている。

そんなセコイアが密集している森がヨセミテ国立公園にはある。

ヨセミテバレーから車で1時間程の距離にワオナという街があり、そこから無料のシャトルバスで森の入り口へアクセスできる。

いよいよ足を踏み入れる。

森の薫りが僕を一瞬にして包み込んだ。

やがて何本もの巨大なセコイアが姿を現してきた。

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天高くまで、ただ真っ直ぐ伸びていく姿は、崇高ささえ感じさせた。

地面に立っている人間の大きさなどはセコイアに較べれば豆粒のようで、そんなセコイアが何本も連続して道を作りあげている。

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ただの倒木は、ミサイルのように迫力があった。

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「すごい、、」

驚嘆する声が自然と込み上げてくる。

日本の歴史が始まる前の時代に生を受けた木が、こうして僕の目の前に生き生きとした姿で屹立している。

ここを訪れたことは自分にとってはかけがえの無い経験となったと思う。

自然に対する畏敬の念、改めて深く胸に刻み込まれた。




今回、ヨセミテ国立公園を訪れてみて、自然の中に溶け込み、自然を思いっきり感じた。

自分の未来、どういう道をこの先歩んでいるかわからないが、仕事とて、ボランティアとして、はたまた趣味として、常に自然と繋がっていきたいと強く思うようになった。

あの自然と一体となる感覚をいつだって味わっていたい。


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<ヨセミテ国立公園の観光情報>


・大半の人はサンフランシスコ、ロスアンゼルスからのアクセスとなるが、交通機関はかなり不便。レンタカーを利用するのがベスト。交通機関の場合はGrayhoundのバス、またはAmtrakで列車とバスを乗り継いで行くことになる。Amtrakの場合はMercedoまで行き、そこからYosemiteValley行きのバスに乗り換える。

・アメリカの国立公園はHPが充実しているので、訪れる際に知りたいことはこのHPを閲覧しよう。英語しかないのがしんどいが、、
また、各国立公園にはWildnessCenterがあり、そこでバックカントリーへの入域許可の申請や詳しい情報が聞ける。スタッフは親切に対応してくれると思う。
ヨセミテのHP
http://www.nps.gov/yose/index.htm

・ハーフドームに登るためには必ず許可を事前に取得しなければならない。登る二日前の12時から1時の間にウィルダネスセンターに電話するか、インターネットで申請すると、翌日に抽選結果がメールで送られてくるので、それをプリントアウトするか電子デバイスにコピーして持っていき、ハーフドームの入り口の前にいる監視員に見せる。
パーミットの予約 
http://www.recreation.gov/permits/Cables_On_Half_Dome/r/wildernessAreaDetails.do?page=detail&contractCode=NRSO&parkId=79064

・ヨセミテ国立公園で一番悩ましいのが宿泊施設の確保。特に4月から10月までのオンシーズンには大量の観光客が押し寄せてくる。キャンプ場の確保も難しい。予約していく方が絶対いい。予約の方法としてはHPで行うのだが、満員でもキャンセル待ちが結構できるので、根気よく何回もHPをチェックしてみよう。僕もその方法でテントサイトを確保できた。
また、先着順のキャンプ5は毎日すぐに埋まってしまう。10時くらいには満員になるので、できるだけ早く受付に行く必要がある。ただ、中の監視はそれほど厳しいわけではなく、夜の10時を過ぎれば巡回のレンジャーはいない。なお、キャンプサイトの利用は最大7日間まで。
キャンプサイトの予約
http://www.recreation.gov/unifSearchResults.do?topTabIndex=Search


・ヨセミテバレー内にはレストランやショップが充実していて、値段もそれほど高くないので、食料などは現地調達で間に合う。

・その他わからないことがあれば連絡ください。



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