ひとつは広島で廃止された路線の一部区間が復活目指して調整中、というもの。これは大歓迎。元々の問題として「なぜ廃止した?」というような都市近郊区間でしたから、復活は半ば当然かも。
もうひとつは、長野で路線が廃止されるというもの。長野市近郊および須坂市・千曲市を走る長野電鉄屋代線が、活性化協議会にて廃止が議決されたというもの。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110204-OYT1T00342.htm
この協議会は基本的に「鉄道を守る」ことが主眼のはずで、その会が廃止を議決したことに驚きましたが、実態を知っているだけに「そりゃ、まあ当然だわな。」とも思うもので…
沿線は都市近郊というより、長閑な田園地帯。昼間の列車は車内ものんびり。
先日の記事で長野線のラッシュをご紹介しただけに、同じ会社の同じ都市圏で何故にこうも差が?とお思いのお方もいらっしゃるかと思いますが、この図を見れば一目瞭然かと。
そう、この路線は「中心市街を目指さない」のです。
建設当初は物流ルートや首都圏への旅客流動で合理性があったのですが(中野市や須坂市と首都圏を最短距離でつなぐ)、産業構造の転換や長野市の拠点性向上でヒトの流れが変わり、後から作った同社長野線が本線格になったという経緯です。
新幹線が出来る前、まだ信越本線に特急や急行が走っていた時代は屋代駅接続での東京連絡も成立し、須坂市も今より勢いがあり、松代の拠点性も今より高かったため、少ないとはいえ屋代線もそれなりに使われていましたが、当時から沿線各所から長野市街へ直結するバスが走っており、特に松代-長野間は15~30分毎にバスが走る幹線ルート。鉄道とはいえ、屋代線はもはや脇役の路線でしかなかったのです。
そんな路線もいよいよ終焉の時を迎える、と言えば寂しいものですが、違う見方をすれば「生まれ変わるチャンス」でもあるのです。
協議会でも廃止の条件として「代替輸送案がまとまり次第」とあり、事業者である長野電鉄も同様のコメントを出しています。ということは、考えようによっては「鉄路に縛られず」に「本当に必要な路線」を「フリーハンドで描ける」またとない機会にもできると思うのです。
これまでは、屋代線があるが故に「屋代線を活性化させる」方策が中心になっていましたが、廃止が前提であれば屋代線の鉄路に拘らず、沿線の住民が普段の生活で欲している移動ルートはどういうものなのか、クルマを日常利用する人たちの「緊急避難的利用」を受け入れるにはどいうルートが必要なのか、高校生の通学に便利なルートはどういうものなのか、全てをまっさらな状態から検討することもできるのです。
従来の廃止代替バスは、真の利便性ではなく「如何に鉄道のルートに近づけるか」だけに拘って失敗を繰り返していることは、最近ではよく知られているコトかと思います。長野近郊でも木島線の代替バスが同様の失敗をしており、協議会がしっかりと運営されている屋代線は同じ轍を踏むことはないと信じています。
願わくば、公共交通の「仕切り直し」の好事例となるよう、今後の協議に期待したいと思います。