人間は死んだからといって、何も変わりません。肉体がなくなったこと以外には。

死後の生活においても、人間は生前の知性、気質、悪徳などを、そのまま持ち続けます。ちょうどオーバーコートをぬいでも、それを着ていた人は同じであると同様に。(これは、いくら強調しても強調しすぎることはありません)


 したがって、死後の世界には思いもよらぬ新たな世界が展開してくるということはけっしてなく、ある異なる様相のもと、生前の物質世界における生活の「継続」があるだけなのです。
 このことは、まず第一に認識しておきたい、いちばん顕著なる事実です。


 もし、生前にアストラル界における生活について、聞き知ったことがない人が死後アストラル界に移行するなら、予期しない状況に戸惑うものの、一見して物質界とさほど変わらない世界を見渡してみて、これまでと同じ世界を見ていると思ってしまうことでしょう。


 通常、濃淡さまざまのアストラル質料は、それに対応する濃淡さまざまの物質の周囲を取り巻くオーラとして引きつけられます。物質もそれを取り巻くアストラル体も、形態のうえでは、相似した輪郭を持っていますから、突如として物質界が消えても、元の物質界と完全に同じ相の、アストラル質料から構成される世界が残ることになります。
 もう少し具体的にいえば、アストラル界における壁でも家具でも人でも、それがまとっている最も濃密なアストラル質料のおかげで、それらの輪郭は、死者-いまやアストラル界の住人となっている-にとっては生前、物質界で生活していたときと同様にくっきりと見えることになるのです。


 実際には、それらの「物」を構成している粒子が速い速度で動き回っていて、物質界においては、その動きが肉眼にとらえられなかっただけだとわかるのですが、そこまで観察できる人はなかなかいません。


 そのため、肉体が死んでからアストラル界に入っても、死んだ人は自分が死んだのだということを知らないことがよく起こるわけです。

 かくして、亡くなった多くの人々(『神智学大要』では、とくに「西欧にとっては」ということが書かれてある)は、自分が死者であるということはなかなか信じることができません。


 しかも、信じられない理由というのが、どこにあるか、そこがまた興味深いと思います。

 なぜなら、死んでも自分が死者だとは信じにくい、その理由とは、死後の世界に移行した人が、「生前と変わらずになお見たり聞いたり感じたり考えたりすることができる」という一事にすぎないからです。


 こうした無理解は、考えてみれば、非常に苦しいことではないかと思われます。場合によっては、俗にいう迷える霊になることもあります。


 もちろん、時間がたつにつれ、いかなる御霊(みたま)といえど、自分が死んでいるということに気づき始め、やがてアストラル界をぬけて、さらに高い界層に移行してゆくことになるのですが、そこにとどまる「浄化」の期間が長ければ長いほど、困難な境遇で過ごさなくてはなりません。


そして、その期間は、悟りの度合いによって、個人差の著しいものです。また、亡くなってから瞬時に高い界層に行ってしまう方もいらっしゃいます。