祈りの中で期待する



伊藤顕

三年ほど前に幹事総会の時、先生が三つの予言をおっしゃられました。

宗教の統一と宇宙人の出現と協力提携、それから神霊の物質化現象と

いうことをいわれました。

その時の私共の心をみますと、何か期待するものが非常にございまし

たのですけれど、それ以後そういうお話を伺う度に、また宇宙科学研究

会等でいろいろ出ましても、何か期待するという気持が強かった。

その度に先生のご指導は、そういう気持がある間は出ないから、祈りの

中から本当のものが出てくるんだからと、祈りだけをご指導して頂いて

おりました。それでこの前の聖ヶ丘の御法話の時に、期待されてもよい

ということを、宇宙人がいっているといわれまして、私も今迄と変わっ

たなという感じを受けました。

六月にも、最近に現われるのではないか、もう波が非常に近づいているん

じゃないかなあ、という気が致しましたし、ご法話の中でも、統一してお

ります私達の波と宇宙人の波はほとんど同じで、波が同じになれば現われ

るのだから、というお話をいつもうけたまわっています。

私共考えさして頂きますと、非常に波が近づいたということと、それから

期待しようということが、昔の三年前五年前、私達が期待するということ

と、今期待するということとは非常な違いがあるんじゃないかと思います。

どういう風に違うかと申しますと、前の期待は世間一般の人達の期待とい

うことですけれども、今の期待は祈りの中で期待する、守護霊さん守護神

さんと一緒になって期待するということが、自然に私達の身について来た

んじゃないかと思うんです。

ですから例えば業想念でするような以前の期待が出て来ても、それと一緒

に守護霊さん守護神さんが出て来ますから、すぐ私達の胸の中にそれで世界

平和のお祈りが出て来ますから、そういう余計なものはみんな救世の大光明

が消して下さって、本当に宇宙人と同じような(宇宙人もいろいろ神様のみ

心実現を期待し、実現していらっしゃるわけですから)心でもって、期待して

もよいとこういう風におっしゃられたのじゃないかと思います。




想いの座が宇宙人と一つになった



島田重光 

期待ということは、伊藤さんと全く同じです。結局私達が期待するといった想いの座、それが以前と全く違う。先生にご指導して頂いた統一会で、私達の波動の調整ということによって、期待する想いの座が以前とは違うということじゃないかと思うのです。

私達が約一年前宇宙科学研究会を設けまして、村田さんの指導のもとに宇宙科学というものに取組んで来たのでありますが、その成果は何かというと、伺うものは何一つとしてわからない。素晴らしい科学があるんだということはわかっていても、どういうものでどうだということは何もわからない。結局わかったのは何かというと、宇宙科学は何をするのかというと、私達の波動の調整をするところだ、ということで、結局私達の祈りを通して私達の波動を宇宙人に出来るだけ近づける、ということが必要なわけです。

私自身の今の気持を申しますと、先生が宇宙人はもう出る時だと期待してよろしい、とおっしゃっても、その期待という気持が期待という言葉であてはまらないような感じがするんです。やはり宇宙人が出現する、しないということはこちらで期待したから出るというものでなくて、必要があるから現われるのであって、必要がなければ私達の波動が細かくなっても、現われて来ないんじゃないかということも考えるのです。現在の世界情勢からみますと、やっぱり出現の必要がある時機だ。それでどこへ出るかということは、一切こちらの関知しないことです。

宇宙人が出るわけですから、私達がどういう形で出るかということを期待するべきものではなくて、すべてあちらまかせのことですから、出る時には出るんだという気持だけで期待するとかいうことは全然ないわけです。

それはお山のビニールハウスに毎週金曜日にお祈りに行った時に、さんざん村田さんを通して修行させられまして、お山に行く時に今日は円盤がこっちの方に、こういう格好で現われるから写真を頼む、というようなお話を何回か聞きまして、非常に期待をして行ったわけですね。それでそういうことがない。そうすると期待している自分の一つの業想念なんでしょうけれども、そういった気持がそういう方法でどんどん消して頂き、宇宙人が現われるという好奇心というものもすっかり消して頂いたそのお陰で、今先生がこのようにおっしゃっても、殊更に感動を感じるとかいうことはないのです。出る時は出る、その時期が来れば来るんであると、只それだけになっているわけなのです。




人類平和を願う心がしみわたった



佐久間筆八

みんな素晴らしいことをおっしゃいまして、私も全く同じような考えで、ただどうして宇宙人が必要なのか、ということですね。
実際はどんなことが起きても、私達がどんな心の不安動揺も起さない、という安心立命
が出来れば、そして人類の心からいわゆる業想念がなくなって、本当に調和出来るものならば、宇宙人は必要がないと思うんですね。

ところがそういうようになることがなかなか大変で、世界情勢が一色即発の危険にある今のような時に、そんな悠長なことをしておられない、どうしても素晴らしい科学力をもった宇宙人を、期待する気持が私の場合は強いですね。

そういうことを期待してよろしい、と先生がおっしゃって下さったので、先程から述べられているように、私達の祈りの場が相当浄まったので、その昔考えておったような業想念的な好奇心をもって、宇宙人が来たらこれを利用してどうしよう、というような、そういったものが非常に薄らいで来たので、つまり本当に世界人類の平和を願う気持がしみわたって来たので、そろそろここら当りで期待してもよろしい、とおっしゃったと思う。




『白光』誌 196110月号より