また、しばらくご無沙汰してしまいました。この間に、といっても先日、2月18日に横須賀で行われた世界平和の祈りの集会で、エディ渡邊さんとお会いしたことにより、新たなシリーズを企画することになりました。

今夜から数回にわたって、1962年(昭和37)2月に宇宙子科学が始まる数ヶ月前、五井先生が、いよいよ準備がととのったので、宇宙人の来訪を期待してよろしいとおっしゃったことに端を発した座談会を、丸ごと転載することにいたしました。

☆地球外文献(エディ渡邊氏による)

http://tikyuugai.blog17.fc2.com/

☆上記の地球外文献を紹介するサイトをつくってくださった「月の国から」さんのHP(本ブログのトップページにリンクあります)
http://tukinonini.blog33.fc2.com/blog-entry-589.html


この座談会に出席したメンバーは、以下の通りです。

佐藤晋、伊藤顕、島田重光、佐久間筆八、村田正雄の諸氏。そして五井先生。

バックナンバーの座談会では、五井先生がお出になって直に語られる例はあまり見られないのですが、この座談会では、最後に五井先生がたっぷり語られますので、お楽しみに。


なお、このつぎのシリーズの予告をしておきますと、金星からの宇宙人が聖ヶ丘におりて、宇宙子科学がいよいよ始まった直後の「宇宙人との交流はじまる」をお届けする予定です。



宇宙人よ どうぞいらっしゃって下さい

■研究と体験 

  とき 36日午後3時半

  ところ 市川本部道場



編集部:

現在の地球世界の情勢は米ソの武力増強による対抗により、一触即発の危機にあります。ベルリンにしろ、朝鮮にしろ、危険なる噴火口が処々にあります。

こういう時機に当って、私達の世界平和の祈りがますます必要になって来たことを痛感するのですが、先月二十四日の聖ヶ丘道場統一実修会の祈り、先生が〝もう時機が来たから宇宙人の来訪を期待してよろしい。宇宙人の皆さん、さあいらっしゃって下さい、と願ってもよい〟とおっしゃいました。

このお言葉は重大な意義を含んでいると思います。

今月はこのことについて、皆さんのご感想ご意見を承りたいと思います。




空飛ぶ円盤について

佐藤晋:私は不幸せに先生からそういうお話をじかにお伺いしなかったのですが、大変有難いニュースだと喜んでおります。それでこの宇宙人問題ですが、これが世間の問題になるようになったのは、やはり空飛ぶ円盤が問題になってからじゃないかと思うのです。

空飛ぶ円盤を最近になって初めて見たというのが、一九四七年にアメリカのケネス・アーノルドという実業家が、自家用の飛行機にのってワシントン州のベニヤ山という山の上を飛んでいた時、九個の見なれない光った物体が飛んでいるのを見た。

それが丁度形がコーヒー皿を逆様にしたような形をしておりますために、アーノルドが呼んだ言葉だと思います。その後報じられました円盤を見たとか、宇宙人にあったとかいう人々をここにあげてみますと、有名なジョージ・アダムスキー。この人の本を一番初めに読んだのですが、空飛ぶ円盤実見記、その後に同乗記という素晴らしい本を出しました。英国人のCアリンガムそれにAミシェルという人も本を出しております。Pベセラム。

バックネルソン。それから〝第三の眼〟で有名なロブサンランパ。

彼はヒマラヤ山頂で宇宙人を見たというのですが、次にダニエルフライ(アメリカ人)〝地軸が傾く〟という本を出して大変問題になったスタンフォード兄弟(アメリカ人)それから今度来日して、八月二十七日東京朝日講堂で講演するGHウィルアムソン。〝宇宙語宇宙人〟という本を出版しましたが、この人なども宇宙人とさかんに交流しているのです。そしてこの人が出席します会場ではよく円盤が出ますので、円盤をよぶ名人だとかいう風にもいわれています。その他にもダナハワード、ラーマバックスター、それから土星の音楽を地球のピアノでひいたといわれるハワード・メンジール(アメリカ人)英国ではアップルトン夫人。

こういった人々がみんな宇宙人にあったり、いろんな啓示を受けたりしたというのですが、これは自称なのです。

それから日本では、私が円盤研究会というのに入っておりました時分、電気屋さんの息子で永井つとむという人が、群馬県の一角から円盤にのって太陽系の星までいって来たというような体験もきいております。その他に優良宇宙人と交通する会の田原澄さん。この人も金星人火星人木星人と盛んに交信しているという風にいっております。堀田建城別さん、宇宙友好協会の代表村松雄亮さん、安井さん、この人達も宇宙人にあったといっております。それから私達の会では村田さんですが、村田さんが一番ハッキリしているのですが、他の人々の宇宙人にあったということが、或いは低い階層にあるいろんな迷える霊魂たちが、我は宇宙人なりと、名乗って出て来る、それに会っているのかどうも実はハッキリしないんでございますね。

書いたものの中では、アダムスキーの空飛ぶ円盤同乗記、全部を必ずしも肯定出来ないのですが、その中の金星の長老との会見の言葉ですが、それなどはそのまま頂戴しても素晴らしい言葉ではないかと思います。

それでみんな肉体で乗って来たといっているのですが、多くは幽体か霊体で宇宙船へ行ったとか、他の星々へ行ったとかいうことだと思うんです。村田さんでさえも霊体で行ってらっしゃるんですから、恐らく肉体で行ったということはないんではないかと思います。

この円盤を我々は前から実在しているものだと思っておりますが、世間一般の人、或いは有名な科学者などは、大旨否定しております。実証のしようがないから、気象現象の見誤りではないか、つまり雲とか流星とかそういったものの見誤り。それから気球或いは蜃気楼、航空機の標識(原文では「標式」と表記)といったものを見誤って錯覚してそう思っているのじゃないか、といったようにいずれも否定している人が多いようです。それと同時に宇宙人の存在につきましても、多くの科学者は例えば、金星は年中白い雲に覆われていて、よくその地表が見えないのですが、それは白いほこりに覆われていて非常に空気が乾燥している星であって、水が少ない筈だ、炭酸ガスが地球の二倍位い(「位い」は原文のママ)あるんでとても人類が住めるわけがない、とか、木星の場合初めはメタンガスとアンモニアガスが大気の大部分であるという説だったのですが、その後窒素とヘリウムが主な大気が、これも人の住める筈がない、という風に現在の科学を基本にしていろいろ理論を並べて、人類が住めないと断定しているわけなのです。

私としては五井先生にお伺いする前に、空飛ぶ円盤実見記で、円盤というものが実在するのだ、と知ったのですが、そういうことも必ずあるだろうという風に思いまして、興味を持つと同時に、その存在を確信しておりましたようなわけでございます。




宇宙人と我々の使命

このたびの五井先生のお話によれば、近く宇宙人は必ず現われるんだ、お呼びしてもいいんだ、という大変喜ばしいニュースをもたらされたわけでございますが、地球の大変転機(原文は転期)というか、原爆戦争が起って地球が今にも滅亡しやしないかという危機に、人類が恐怖の底にあって、素晴らしい方が出てこれをなんとか救ってくれるのではないか、と待望しているそういう切羽詰った時期に、こういうお話を伺えるということは、時機的(原文のママ)に非常にマッチしているような感じがします。

こういう素晴らしい現象が起るという時代にして下さったのも、実は五井先生が今日まで非常に苦心なさいまして、大方の業を消していただいたためであり、清浄の場、聖ヶ丘に宇宙人が降りられるという場を、お浄めによってお作り下さったということは、確かに五井先生のお陰様であると、私達は非常に感謝申上げているところであります。

それで宇宙人にあったという人は、我々としてはあまり体験者がないですが、実は毎日お会いしておりますんで、五井先生は大守護神であられると同時に、偉大なる宇宙人であられると私は確信しております。だから宇宙人に会えないなんてこぼしている必要はございませんで、毎日宇宙人にお会いしているんだと思ってもいいのではないかと思います。したがって宇宙人が現れるということは、五井先生のような素晴らしい方が、神様のみ心に叶った行いの出来る方々が、もっと現実的な働きをされるために、おふえになったと解釈してもいいんではないかと思うのです。

私達はこれからどうしたらいいかというと、何時現われられるかわかりませんけれど、私達は喜んでお迎え申し上げたいと思いますし、今迄通り、平静に世界平和のお祈りをしていればいいんだと思います。

また宇宙人が現われても、興奮するとか大騒ぎする必要はないんで、極めて平静に、丁度先生にお会いするようなつもりでお会いしたらいいんじゃないかと思います。我々が世界平和のお祈りをしておりますうちに、もし我々になんかお役目があれば、守護霊守護神をつうじ、あるいは宇宙人を通じておのずから与えられるのではないかと思うのです。そして一部の人々は、宇宙人に導かれて他界までまいりまして、素晴らしい科学の知識とかあちらの素晴らしい状態を体験されてこられる人もありましょうし、地上で霊感によって、素晴らしい地球製の宇宙機が出来るようなお働きをなさるお役目の方もあるいは出てくるかも知れません。

我々会員の大方の使命と申しますのは、やはり世界平和のお祈りをひたすら祈る。このことが最も重要な役目ではございませんでしょうか。それでますますお祈りで清浄な場を拡げ、宇宙人が大勢おりられたり、あるいは素晴らしい活躍を充分にして頂く清い場所を諸処につくることこそ、私達の与えられた天命ではないかと思います。




『白光』誌 196110月号より