謹賀新年





 2010年の新春を迎え、皆様の魂をいっそう輝かせる一年となりますことをお祈り申し上げます。


 2012年まであと2年となりましたね。今年も「ホワイトスピットの光」を続けてまいりますので、どうか宜しくお願いいたします。





 


 さて、本年最初にお届けするのは、お正月にふさわしい「天地の心」と題した五井先生の随筆です。


 日本海側は豪雪になっているそうですが、きのう快晴で迎えた元旦は、ここ湘南の逗子でも、大風が吹きまくり、初詣に参った葉山の森戸神社の海は、岩礁に波が砕けて白いしぶきをあげ、さながら冬の荒海の感を呈していました。


 参拝客の列を待つあいだに潮と砂のまじった寒風が吹きつけられたことは、「辛いなあ・・・」という肉体自我の想念をたくさん出させながらも、社殿に向い手を合わせる前の順番待ちの段階ですでに峻烈な自然の力によりお浄めをしていただけたんだという有難い心持ちにさせてくれたことです。




ホワイトスピリットの光-新春の海





 こうした体験を経たあくる日だっただけに、今朝、前掲の五井先生のエッセイを読んで、なるほどそのとおりだなと思われました。


 それでは、以下に1961年(昭和36年)の1月号巻頭言より抜粋させていただくことにいたしますので、皆さんも大自然の恵みを感じ、大自然と一体であることを意識して味読なさってみてください。


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 天地の心に融けて人の世に生命光らす身とはなりつつ





 正月は何といつても明るい月である。年が改まると、新しい生命を得たような気持になり、自(おのず・原文のママ)から希望が湧きあがつてくるものである。天地も新しく人間も新しく、これからいよいよ天の岩戸開きをはじめねばならない。




 人間は天地の精髄を集めてできている。天地があつて人間が在り、人間が生れでたことによつて、天地の妙がそこに現わされる。天地の心と人間の心とは本来は全く一つつのものであつて、共に神のみ心の現われであり、働きなのである。




 神は一なるものでありながら、多くの神々として宇宙万般の働きをしている。そして、人間は何人といえどそうした神々の末でないものはない。人とは霊止であつて、霊の止まつているところである。そうしたことの自覚ができてくるにしたがつて、人間は立派になつてくるのである。




 人間は天地万般を生々(原文のママ)とさせるために在るのであつて、天地のすべてを汚し乱し、不調和にするために存在するのではないのに、この地球人類の業想念は、輪のように廻り巡つて、天地の運行を不調和、不完全にしてゆこうとしている。

 


宇宙はひろらかであり、天地は清澄である。私たちは、年の初めの一切の行動にさきがけて、天地の心の中に自己というものわ融合させる祈りをささげ、そこから天地と一体になつた自己となつて生命生き生きと働きいでたいものである。


 


その祈り言は、何といつても世界平和の祈り言による、救世の大光明に対する感謝の言葉が最も意義の高いものであるのは事実である。世界人類が平和であるということは、とりもなおさず、人類の天地との一体化であり、神のみ心の現われの姿であるのだから、祈り言そのものにも、すでに大調和の光明が輝きわたつているのである。





 私はまず自らがそうなり得て、神のみ光をこの地球界に照り輝かす日常生活をしているのである。世界平和の祈りの同志は、平和の祈り言を自己のものとした時、すでにその人々からは世を輝かす光明の波がひびきわたつているのであることを、年頭に当たつて改めて確(原文のママ)く信じて頂きたいものである。


(「白光」1961年(昭和36)1月号 巻頭言より)