ああ、悲劇だなあ | Kotenjiのブログ

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後天時代の本当の意味と価値を理解し、ふさわしい生き方をしたい。
正午定着、影のない時代と言われているが...

何が悲劇であるかというと、あまりにも多くの食口達は顕進様という人(人となり)を知らないということです。もしももう少しでも知っている人が多かったならば、と思うと残念な気持ちを隠せません。

私にしても、個人的には顕進様をそんなに知っているわけではありませんでした。ただなぜか顕進様と一緒に活動している人がたまたま近い人だったので、その人を通して顕進様の人柄や、生き方について理解することができたので、あの2009年の初め以降、母を告訴したとか、弟に対する嫉妬心から親に反逆したとか、公金を盗んだとか、郭ファミリーによってコントロールされている、とかあらゆる非難が溢れ始めた頃にも、全くありえないことである、という出発点から、まさかの事実検証にとりかかった、というような感覚でした。

そして、悪く言う人々の言い分も聞きながら調べれば調べるほど、顕進様の潔白がますます明らかになるだけでなく、今まで見えていなかったものがいろいろ見えるようになってきました。そうして、大学時代にこの道に触れて以来理想としてきたことを本当に実現するには、現在の統一運動の姿のままでは到底無理であるという事実を直視させられるようになりました。

以前から宗教の持つ「アヘン性」とでも呼べるような危険な性質を感じていました。つまり、いわゆる宗教というものをやっていると、どうしても自分だけが正しく自分と意見の異なる者は間違いである、という思考のワナに入ってしまいやすく、しかもいったんその中に入ってしまうと、入っているという自覚症状がなくなってしまうということです。これこそが、宗教という壁をつくらせることによって、神様の創造の理想である一家族世界の実現を妨げる要因となってしまいます。

そのようなあらゆる壁をこわして「真の愛」の実践により家族の世界をつくる道を開拓し、実現のドアを開いて下さったのが他ならぬ文先生であり、それが実現できる時代になったのだと感じながらやってきたつもりでしたが、皮肉なことに誰あろう統一教会の持つ宗教性がその障害物になっていることに気付かされることになりました。

時が過ぎれば過ぎるほど、統一運動の中にある非原理的な伝統や行動がますます明らかになっていくようであり、本当に希望の無い現実の中で、しかしお父様の説かれた原理と真の愛の実践を一貫して貫いて来ているのが、私なりの冷静な目で見たところでは三男の方であるという今のところの結論となっています。

宗教の持つアヘン性を自覚した上で、この方の姿を通して文先生の教えの深い内容を学び、自分もそれを実践しながら、若い頃に心を燃やした神様の下の一家族世界の実現に向けて、自分なりに努力して行きたいと思っています。

できるならば、ともに同じ理想を追求して苦労してきた同じ釜の飯の食口の方々が、顕進様という方のありのままの姿を正しく理解することができ、現在の混乱から解放されて再び同じ理想をともに追求することができますようにと祈ります。

ありのままの姿を理解するには、色めがねをかけている方はいったんそれを外して頂き、目隠しをされている方もそれを取っていただかなければならないのですが、とくにいわゆる「宗教性の強い」人にとっては、それが簡単でないかもしれませんね。これってなんとかならないもんですかね。


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