『…来ぃへんなぁ。』
ぽつり、と一匹の灰色の毛並みの子犬が呟いた。
それは小さな鳴き声となって辺りに響く。
しばらく病院の入り口を見つめていたが、ふいに空を見上げる。
厚い雲が太陽を覆い隠し、薄暗い灰色の空だった。
(今日は…会えるか…?)
空から視線を移し、建物…病院を再び眺める。
彼の飼い主である少女は身体が弱い。
日の光を浴びる事も彼女の身体は耐えられない。
彼が彼女に会えるのは、今日の様に曇りの日か、雨の日だけだ。
「グーレーイーッ!!」
『ぐはっ』
「会いたかったよおおおおおお!」
『ちょ…絞まっと…る…』
パタパタと元気な足音を響かせ、パジャマを着た一人の少女が子犬…グレイに抱きついた。
苦しげに唸るグレイがじたばた暴れるものの、少女はグレイを放さない。
「久しぶりー!何日ぶりー!?」
『ぐるし…。』
「ってああ!?どうしたの!?グレイ!?」
グレイの様子がおかしい事に気付いた少女がようやくグレイを解放する。
『し…死ぬかと思った…。』
「んふふー。グレイ、今日は曇りだねー。グレイとおんなじ色だから私曇り好きー。」
グレイを抱き上げ、少女は幸せそうに笑う。
少女の言葉につられ、グレイはもう一度空を見上げる。
自身の毛並みと同じ色。そして自分の名前の由来。
太陽の光は少女に強すぎる。
雨は少女を憂鬱にする。
曇り空だけが、彼女の味方だった。
「太陽も好きなんだけどー、晴れの日に外に出ると看護婦さんに怒られちゃうからなー。」
彼女は太陽に憧れていた。
グレイを撫でながら、少女が呟く。
笑顔だった少女の表情が曇っていく。
「お父さんとお母さんも最近来てくれないし…。」
寂しいな。
グレイの毛並みに顔を埋めながら呟いた言葉は、彼女の本心だろうか。
少女の両親は共働きだった。朝早くに出かけ、深夜に家に帰ってくる。
恐らく、彼等は娘に興味が無いんだろう。
自分の事だけで精一杯な、人間。
その証拠にグレイの鎖が外れている事に未だ気付いていない。
グレイとしてはその方が都合が良いのだが。
「…へへ。なんちって。」
しばらく、顔を上げなかった少女だが、少しだけ笑ってグレイから顔を放す。
グレイは知っていた。
これは、彼女の強がりだ。
少女はまだ十歳程度の子供。
本当は寂しくて堪らないのだろう。
そんな彼女の気持ちが少しでも紛れる様に、グレイが身体を摺り寄せるとくすぐったそうに少女が笑う。
「グレイが…人間だったら良かったのになぁ。」
わしゃわしゃとグレイを撫でくり回しながら聞こえた小さな声は、少女を呼ぶ看護婦の声に掻き消された。
「あっ、看護婦さんだ。」
若干焦った様にグレイを地面に降ろした少女だが、何故か動こうとしない。
『…?行かへんの?』
「……。」
グレイの鳴き声にも反応せずに俯いている少女。
心なしか、その小さな肩が震えているような気がした。
だが、顔をあげた時、彼女は笑顔だった。
「バイバイ。グレイ。」
引き止めなければ。
引き止めなければ、もう会えない気がする。
しかし、彼女は止まる事はなく。病院の中に消えていった。
次の曇りの日も、その次も、彼女はグレイの前に現れなかった。
その日は、雨だった。
もしや、と思い病院に訪れたが少女は一向に現れない。
雨は容赦なく、彼を濡らしていく。
それでもグレイは待ち続けた。
(…今日も、来ない…。)
長い間一心に病院を見つめていたが見上げるのを止め、目を伏せる。
突然、グレイを叩く雨粒が止んだ。
「わっ、びちょ濡れ…。」
『…?』
グレイを傘の中に入れ、鞄の中から取り出したタオルで彼の身体を拭く、黒髪の少女。
「よっし。大分いいかな?」
満足げに微笑んで黒髪の少女はグレイを抱き上げ、雨の当たらない病院の屋根の下に移動する。
「うーん…飼い主さん待ってるのかな。」
呟きながら、グレイを降ろすと彼に笑いかけながら彼女は言った。
「早く飼い主さんに会えるといいね!」
不思議な、人間だった。
「奏ーっ!」
「あ!紅葉ーっ!!」
病院の中から彼女を呼ぶ声が聞こえる。
中では、右腕を吊るした茶髪の少女がニコニコ笑顔で左手をブンブン振っていた。
その茶髪の少女に呼ばれた彼女は駆け寄っていって看護婦に怒られていた。
(…変な、人間やな。)
悪く言えばそうなるだろう。
人間と犬は違う生き物。
会話が出来るはずもない。なのにあの少女は自分に話しかけた。
(…人間、か。)
羨ましい。人間なら、犬よりも出来る事が沢山ある。
人間なら…。
(…俺が、人間なら…?)
脳裏に過ぎる、彼女の言葉。
―グレイが人間だったらよかったのになぁ―
(…俺が、人間になれたら…。)
また、会える。
あんな顔をさせる事もない。
『…待ってろよ…。』
空色の瞳に、強い意志が宿った。
その日は、太陽が光り輝く晴天だった。
「…っ、でき、た…?」
高くなった視線。見慣れないスラリとした五本の指。サラリと揺れる灰色の髪。
グレイは、完璧な人間の姿になっていた。
人間の姿になれる犬。
端から見れば気味悪がられるだろう。軽蔑されるだろう。
しかし彼はそんな事どうでも良かった。
早く、一刻も早く。
彼女に会いたかった。
早く、早く。
人ごみを掻き分け駆け抜ける。人の眼なんて気にせずに。
だから気付かなかった。
ある人物とすれ違った時、彼が少し驚いた様な顔でグレイを見たことに。
「…同類、か。」
左目に眼帯をした人物は、走り去っていく灰色の少年の後姿を見ながら呟いたが、興味を無くした様に視線を外し、再び歩き出した。
グレイが病院の中に入ると、薬の匂いが鼻についた。
そして薄くだが、主人の匂いもする。
もうすぐ。もうすぐ会える。
匂いを辿っていくとある個室の前に辿りついた。
しかしそこでやっとグレイは異変に気付いた。
「…?」
辺りが、異様に静かだ。
何か、嫌な予感がする。
彼女はこの扉を挟んだすぐ先にいる。
分かっているのに、何故か扉を開けるのに躊躇う自分がいる。
(…なにやってんねん。俺…。)
会いたくて仕方なかった人物がすぐ近くにいる。
躊躇う必要なんてない。
そう思い込み、扉を開けた。
そこには。
「…――時――分。死亡確認。」
「………は、?」
会いたくて仕方なかった少女…自分の主人は、ベッドに横たわったまま動かない。
静かに、死んでいた。
「…なん、で…?」
「…? 君は?」
医師の言葉は耳に入らず、ただただ食い入る様に少女の亡骸を見つめる。
この間まではいつもと何も変わりなかった。
なんで、こうなってしまった…?
なんで、間に合わなかった?
なんで、彼女は弱っている事を伝えてくれなかった?
なんで、なんで、なんで。
彼女自身も知らなかった…?
違う。彼女は…。
彼女は。
―バイバイ。グレイ。―
全て、知っていた。
「…っ…。」
「う…ぁっ…―――――――――――!!」
少年の泣き叫ぶ声だけが、小さな病室に響いた。
太陽は彼女を拒んだ。
(俺が太陽のかわりにお前を照らせたら何か変わっていたのか?)
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~作者から~
頑張った…!頑張ったよ俺…!
照陽の過去でした。改めて読み返すと色々ごめんよてるてる…;;;
照陽…というよりグレイの飼い主さんは身体が物凄く弱いんです。
日光を浴びれない病気って実際にあったような…無かったらすみません…;
で、奏とグレイはこのときに会っていたのです。
まだ奏は犬とは会話出来ないけど、犬を擬人化させることが出来る能力はあったんです。
グレイは奏と関わる時間が数分でも擬人化できる犬だったんですね。
想也は長い日数が必要だったようです。←
ちなみに奏は紅葉のお見舞いに病院に来てました。紅葉はなんかのスポーツの試合で腕を骨折したんですww阿呆ww
で、飼い主さんを失ったグレイは家を自ら飛び出して野良犬になりました。そして何年か経った後、奏と再会したと。
…感動できる文を書きたい…。あ、矛盾点とかあったらコメントにお願いします!
そしてなんと!草冠さんにまたイラリクをお願いして幼少期照陽のイラストを描いていただきました!また後で載せますね!!