東日本大地震から、まもなく一年が過ぎようとしている昨日、
僕は、写真家の石内都さんと画家のフリーダ・カーロについて
語り合っていた。
2月18日から、石内さんはメキシコのコヨアカン地区にある
フリーダ・カーロ博物館(ブルーハウス)に貯蔵されている
フリーダの遺品を撮影する。そのプロジェクトに、僕も同行
することになったからだ。
これまでの石内さんの仕事の中で、遺品という観点から思い
出されるのが『mother’s』。『mother’s』はガードルや口紅や
ヘアブラシ等、石内さんの母親が生前に身に着けていた
日常品が撮られたものだ。『mother’s』について石内さんは
「写真を撮ったら捨てることが出来そうな気がして、撮り
はじめた。」と語っている。
「写真を撮ったら捨てることが出来そうな気がして、撮り
はじめた。」と語っている。
取り残されて不調和になった品々に対して、石内さんは写真
という調和により、しかるべき意味を与え、解き放つ。
という調和により、しかるべき意味を与え、解き放つ。
この度の仕事で石内さんは、手術で切り刻まれてた肉体、襲い
かかってくる後遺症の苦痛、愛と憎しみで痛んだ精神等、濃密な
心身の痛みを内包したフリーダの遺品とどう向き合うのだろうか。
そして、それらの不調和に対してどのような調和を用いるの
だろうか。
「映画だったら、記録するだけじゃ、ダメよ」と石内さんに
言われたように、僕は石内さんの眼差しがフリーダの痛みを解放
するまでの時間を表現したいと考えている。
横浜市にある石内さんのアトリエのテーブルには、6日にお亡く
なりになった『シカゴ、シカゴ』等で知られる孤高の写真家、
石元泰博氏を偲ぶ百合がそっと置かれていた。死に近づくことは
同時に生に近づくことであることを僕はもう知っている。室内に
広がるモーツアルトのレクイエムが、メキシコへと我々を導く。
大変急な撮影準備にもかかわらず、ご協力いただいた方々に深く
感謝します。
感謝します。
























