わたしがボケた両親から学んでること。
それは、
自分らしい生き方っていうのは、
常にどの選択も自分次第であるという
まぎれもない事実。
自己責任と、
決断する潔さと覚悟につきる。
それをしないで、
周囲に流されて、
自分を失って生きると、
人の物差しで生きると、
ボケる!
そう思わずにいられない。
ボケることがいいとか悪いとか
そういうことじゃなくて。
凄いことをするとかしないとか、
そういうことじゃなくて。
平凡がいいとか悪いとかじゃなくて。
両親はどこかしら、
人の物差しで
自分を押し殺して
生きてた部分が大きかったんだろうな。
ボケる前の母のこと、
私は母の娘だけど、
なんにも知らなかった。
母自身を表現していることが
母の意思そのものか
そうあるべきと決めつけられたものか。
どちらかといったら後者。
自分を生きるのではなく、
役割を生きてきてた。
父はっていうと。
自分は強烈にあったけど、
自分よりあらゆる意味で強いものに、
組み敷かれていて、
抵抗するけどそれでも痛めつけられて、
自分を痛めつける強いモノたちへの恨み
妬みに翻弄されていたんだと思う。
だから家では自分全開だった。
母と正反対。
そして母と父の立場は逆転した。
母がボケたから。
そうして、
父と母のお互いの人生の道のりは
母がボケたことで清算され、
お互いの関係は、±0になり、対等。
家庭内の人間関係にもバランスが存在
するというけれど、
振り返ってみると、見事にバランスが
とれてる状況。
不思議。
常に均衡を保ちたかったら、
自分らしく生きること。
自己責任で自分次第で。
決断するとき潔さと覚悟を持つこと。
このことを学んでる最中の私。
~~~~~~