2011/12/21 朝日新聞

 「心の共鳴板」が打ち震えた。
 3月、福島の原発事故を伝える報道を見て、「原発公害」という言葉が浮かんだ。被害者救済のために何ができるのか。すぐ現地に入り、弁護団結成に動き出した。
 それまで核の平和利用はありうると思っていた。原発建設で道路や公共施設が立派になり、豊かに発展する故郷・福島の姿を見てきた。だが、今回の事故は地域社会を崩壊させた。金で地域を支配する原発の構造的な人権侵害の側面にも気づかされた。忸怩(じくじ)たるその思いが、引き際を考えていた身を困難な活動へと駆り立てた。
 母子家庭に育ち、大学進学はあきらめざるを得なかった。高3で受けた証券会社の面接は「両親は離婚していますね」の一言で終わり、不合格。そのときの悔しさ、怒り、絶望が、原点にある。
 働きながら中央大で学び、弁護士に。公害、じん肺、戦後補償、中国残留孤児訴訟など、金銭賠償だけでなく、同じ被害を出さない社会構造への転換を目指す「政策形成訴訟」を手がけてきた。「被害者と出会い、その被害をどれだけ深く受け止められるか、です」
 共同代表を務める弁護団は約50人。何をどう求めるのかわからない被害者と話し合い、慰謝料など統一要求をまとめて来春、東京電力と交渉を始める予定だ。集団訴訟も視野に入れ、謝罪、賠償、原状回復、再発防止を求めていく。
 (文・大久保真紀 写真・相場郁朗)
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 おのでらとしたか(70歳)

中国残留日本人孤児