2011/04/11 朝日新聞 京都

 東日本大震災が発生してから11日で1カ月を迎える。伏見区の向島ニュータウンでは、被災後に京都に避難してきた16家族が、不安の中で新しい生活に踏み出している。受け入れる地元住民たちは、花見イベントや物資の提供などを通して支援の輪を広げている。
 「この棚に教科書を並べよっか」
 「冷蔵庫はほしいけっど、大きくて部屋に入んねえべ」
 7日午後、地元住民らが、つてを通じて集めてきた中古のテーブルや本棚、電化製品が住宅棟の前に並べられた。福島県浪江町から避難してきた杉浦三津子さん(60)は、中学2年と小学2年の孫娘のために事務机を受け取った。
 杉浦さんの家は、福島第一原子力発電所から約20キロの距離。3月末に向島ニュータウンに入ってから、市が用意した小さな座卓1脚を、家族3人で使っていた。入居直後から、近所の人らから野菜や米、食器や衣服などが持ち寄られ、小学2年の孫娘には、ランドセルも届けられた。
 「いつ福島に帰れるのかわからないけれど、この机でやっと孫たちも勉強ができます。京都の皆さんの優しさに頭が下がるばかりです」と顔をほころばせた。
 地震が発生した3月11日、自宅には壁にひびが入り、近くの空き地で寒空の下、夜を明かした。翌12日、飛行機が墜落したようなバーンという音が聞こえたが、「東電の『安全』という言葉を信じてきたから、まさか原発が爆発したとは思わなかった」。
 四つの避難所などを転々とした後、同月19日、毛布と手提げかばんだけを持って長女(40)の住む京都に着いた。慣れない土地で、部屋は住んだことのない高層階。本当に暮らしていけるのか不安だった。
 避難者たちを支えているのは、向島ニュータウンや周辺の住民たちだ。支援を主導する「向島駅前まちづくり協議会」の福井義定会長(69)は「見知らぬ土地でも孤立してほしくない」という。
 向島ニュータウンでは20年以上前から、中国から帰国した残留孤児や家族が入居し、現在は約千人が生活しているとされる。帰国者の多くは日本語を話せず、福井さんは孤立化を心配してきた。10年ほど前から団地住民らは帰国者向けの日本語教室を開き、近年は団地のまつりに呼んで楽器を演奏してもらったりして交流を進めてきた。
 3月下旬、「震災の被災者が来ている」と知らせを聞いた福井さんら地元の住民は、さっそく支援を始めた。今月3日には、被災家族の間につながりを持ってもらおうと、ニュータウン近くの京都文教大(宇治市)で、花見イベントを企画した。5家族が参加。孫2人と花見を楽しんだ杉浦さんは偶然、同郷出身の知人と再会し、「たいへんだったね」と励まし合った。
 「福島のみんなにも京都の人にも顔向けできるよう、前を向いて頑張らなくっちゃ」。杉浦さんはいまそう思っている。
 (竹野内崇宏)
 【写真説明】
 支援物資の搬入では、避難者と団地住民らが協力して運んだ=伏見区の向島ニュータウン