2010/07/07 東京新聞

 帰国直後の中国残留孤児らが日本語や生活習慣を学ぶ国内唯一の施設「中国帰国者定着促進センター」(埼玉県所沢市)の活動を支えてきた市民団体「中国帰国者定着促進友の会」=清水滋雄会長(62)=が八日、二十五年の活動に幕を引く。戦後六十五年がたち、帰国者の減少や、会員の高齢化も進んだためだ。しかし、戦争の傷を背負った帰国者は依然として多く、会員らは「地域で帰国者を支える輪を広げてほしい」と願っている。(さいたま支局・山内悠記子)
 友の会は、センターが設立された翌年の一九八五年、近隣住民や中国からの引き揚げ者らが「帰国した同胞を温かく迎え励ましたい」と設立。音楽交流会や花見、パソコン教室などを催し、入所中の帰国者と交流を続けてきた。
 だが、会員数は八〇年代の約千二百人をピークに、現在二百十四人に減り、大半が七十~八十代。センターの第八十六期生が七月八日の修了式で退所するのを機に、会も解散することにした。
 身元不明のまま帰国した残留孤児は帰国者の半数以上に上る。「祖国だけでなく、親にも捨てられた」と精神的な悩みを抱えたり、高齢で日本語もままならない人は今も多いという。
 清水会長は「戦争の記憶を風化させず、地域の中で帰国者を支えてもらいたい」と訴えている。
 (メモ)
 中国帰国者定着促進友の会 1981年に中国残留孤児が来日し、肉親を捜す訪日肉親調査が始まった。厚生労働省によると、今年5月末までに中国残留孤児と残留婦人の家族も含めた永住帰国者は2万786人に上る。帰国が決まった残留孤児らが日本での定住に向け、日本語や生活習慣を学ぶ「中国帰国孤児定着促進センター」を旧厚生省の外郭団体が84年に開設。翌年、市民団体「中国帰国者定着促進友の会」が設立された。8日に退所する第86期生も含め、計1763世帯、6543人の中国残留孤児と残留婦人、樺太(ロシア・サハリン)からの帰国者と家族を送り出した。