『神曲』地獄巡り19.火の雨ところによっては火の雪が降る地獄 | この世は舞台、人生は登場

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火の雨と火の雪が降る地獄


神を冒涜した亡者たちの刑罰 14世紀作
 エミリアの細密画(ローマ アンジェリカ図書館所蔵)


 ダンテは、ラーノとジャコモという名うての道楽者に葉も枝も折られ苦しんでいた亡魂から、フィレンツェ再建の願いを聞かされました。その後、ダンテも望郷の念にかられながら、第2円環を出て、第3円環の砂漠へと進みました。その境までやって来ますと、圏谷と円環の違いが判明します。圏谷は、「チェルキオ(Cerchio)」と言って、英語では「サークル(Circle)」と訳します。すなわち「円く囲われた区域」なのです。しかし、円環は、「ジローネ(Girone)」で、英語では「リング(ring)」と訳されることが多いようです。それは、「円い輪状の区域」のことです。ダンテは、それらの円環のことを次の様に描いています。


 それから私たちは第二の円と第三の円の境までやって来た。そこには恐るべき神罰の工が見られた。この前代未聞の光景を説明するとおよそこうなる。私たちは平地に来たが、そこの地面には草木は一本も生えていない。その平地のぐるりをいたましい〔自殺者の〕森が葉飾りのように取り巻き、その森をさらに血の川が取り巻く。その平地の端の端のところで私たちは歩を止めた。地面は荒涼たる熱い砂の層で、かつてカトーの足が〔リビアの砂漠で〕踏んだものと異なるところはなかった。(『地獄篇』第14歌、4~16、平川祐弘訳)


 私たち『神曲』の読者は、血の川と自殺者の森の円環を周回して巡ってきたのではなく、横断しただけのようです。そして現時点において辿り着いたのは、第2円環の森が終わる場所と第3円環の砂漠が始まる境界線の所です。その前方に広がる砂の地獄は、ローマ内戦でカエサルに敗れた小カトー(Marcus Porcius Cato Uticensis)が、ウティカ(現在のチュニジアにあった古代都市)に逃れる途中に踏破したリビア砂漠に喩えられています。(カトーは煉獄の番人ですから、その時に詳しく見ます。)第7圏谷を上から眺めた略地図は、下に添付したような配置図になるでしょう。


第7圏谷の全景(筆者作成)

第7圏谷の三つの円環


 第2円環を形作っている自殺者の森を抜けて、第3円環が見渡せる場所に辿り着きました。遠くに目を遣ると、大勢の亡者たちが泣きわめくている姿が見えました。

 ある者は地面の上に仰向けに臥せ、ある者は身を縮めて踞り、ある者は絶えずほっつきまわっている。歩きまわっている者が一番数も多く、横たわって責められている者は少ないが、それでも痛い目にあうたあびに大声でわめいた。
(『地獄篇』第14歌、22~27、平川祐弘訳)


 この地獄の円環に閉じ込められている罪人たちは、神と自然と法に暴力をふるった者、叛いた者たちでした。そして彼らが受けている刑罰は、火に焼けた砂地の上に放置され、上から雪状の火炎を浴びせ掛けられるというものです。だから、罪人たちは身体に降りかかってへばり付く火の粉を、永遠に払い除けなければなりません。その様に皆が逃げ惑っている最中にあっても、一人の亡者が、火の雨に焼かれながらも、平然と横たわっていました。それは、カパネウスというギリシアの武将でした。彼の罪状は、ギリシア神話の大神ゼウスを蔑み、侮ったことでした。カパネウスは、テーバイを攻めた七人の将軍の一人で、多くの詩人によって描かれています。この将軍を扱った最も有名な物語は、ギリシア悲劇詩人アイスキュロスの『テーバイに向かう7人(ギリシア語原名Hepta epi Thēbas:ラテン語名 Septem contra Thebas)』です。カパネウスにまつわる伝記を少し見ておきましょう。


『テーバイに向かう七将』のカパネウス

 テーバイ王オイディプスが、イオカステを実母と知らずに夫婦となり、それに気付いたので、自らの手で両眼を潰して盲目となり、アンティゴネとイスメネの二人の娘に手を引かれ、テーバイを出て行きました。この話はソポクレスの代表作『オイディプス王』で語られています。「テーバイを包囲した七人の将軍」の話は、オイディプス追放の話に続く出来事です。
 オイディプス王がテーバイを追放された後、二人の息子ポリュネイケスとエテオクレスは、王位を一年ずつ交代で就くことを約束しました。しかし、エテオクレスが王位に就いたとき、ポリュネイケスに譲ることはしないで、兄弟を国外に追放しました。追放されたポリュネイケスはアルゴスに逃れ、その国の王アドラストスの娘アルゲイアを娶って王の婿になりました。そして、テーバイの奪回を目指しました。その遠征を申し出たのは、七人の勇将でした。(将軍の名前は諸説ありますので省略)。その中の一人として、巨漢で乱暴者のカパネウス(Capaneus)も加わっていました。



テーバイとアルゴスの位置確認用地図
アルゴスとテーバイ確認用地図


 テーバイには七つの城門があり、七人の将軍がそれぞれ一つの門を攻めることになりました。カパネウスはオーギュギアイ門(後出のアイスキュロスでは「エレクトライ門」)を担当することになりました。その攻撃の模様はギリシア悲劇詩人アイスキュロスの『テーバイを攻める七人の将軍』の中で、使者役(物見兵)と主役エテオクレスとの対話によって次の様に報告されています。


 使者: 神々が彼(プロイトス門を攻めるテューデウスに対抗するメラニッポス)にそのような成功をお与えになるように。ところでカパネウスがエーレクトライ門に割り当てられました、彼(カパネウス)は今言われた男(メラニッポス)よりもさらに大きな巨人であり、その傲慢な考え方も人間の域を越えています。彼は恐ろしい脅迫のことばを城壁に向かって吐きかけていましたが、それを運命が叶えることがありませんように。神が望もうと望むまいと都を破壊し尽くしてやろうと彼は言っています。たとえゼウスが対抗して雷を足元に投げつけてもそれを止めはしないと。彼は稲妻と雷霆とを真昼間の灼熱程度のものに過ぎぬと譬えました。彼は火をかかげる裸の紋章を持っています。その手の中に松明が用意されて燃え盛り、そして黄金文字で「この都を焼き払おう」と言っています。このような男に対して誰を差し向けて対決させましょうか。この大言壮語する者に対して恐れ怯まないのは誰でしょうか。
 エテオクレス: これはまた利子に利のついた愚かな振舞いだ、まことに無分別な男にとって舌は真実の告発者となるものだ。カパネウスは行動に移る用意を整えて脅迫をする。神々を軽んじて長広舌を揮い、死すべき者の身でありながらのぼせ上がって天まで轟く波のような言葉をゼウスに届けとばかりに発している。彼の上には火をもたらす雷霆が落ちて来て当然と私は確信する、真昼間の太陽の灼熱とは較べものにならないようなものが。どれほど大口を叩こうが、彼に対しては一人の勇士が、燃えるような気性の人、豪勇のポリュポンテースが配置された。(『テーバイを攻める七人の将軍』422~448、池田黎太郎訳)


テーバイの城壁に登るカパネウス
テバイに火を放とうとして城壁をのぼるカパネウス


 私たちにとって「テーバイに向かう七将」の物語は、上にあげたアイスキュロスの悲劇によって知ることが多いのですが、ダンテにとっては、スタティウス(Publius Papinius Statius、後45~96) の叙事詩『テーバイス(Thēbaïs『テーバイ物語』)』の方が親近感を持っていたことでしょう。なぜならば、スタティウスといえば、この遥か先の煉獄の第6環道に登る途中に出会い、その後、天国までの旅の道連れになります。そして『テーバイス』は、ウェルギリウスの『アエネイス』を真似て創作したと言われていて、これら三人の叙事詩人は『神曲』の中では極めて親密な関係です。その『テーバイス』第10巻にカパネウスの挿話があります。ダンテは、ギリシアの知識には弱点を持っているので、スタティウスからの知識であったと考える方が妥当でしょう。


ギリシア神話の神に叛いても罪になるの?


 カパネウスはゼウスという異教の神に対して暴言を浴びせただけなのに、なぜ、キリスト教の地獄に落とされなければならないのでしょうか。仏教徒が罪を犯してキリスト教の地獄へ入れられるようなものです。ダンテ学者の間でも、その問題は解決されておりません。もともと『神曲』の中でも『地獄篇』は、ギリシア・ローマ神話の要素が多い作品です。その古典神話では神や妖精や怪物だったものたちが、キリスト教の天国で神に反逆した悪天使と連合して、地獄の悪魔軍団を形成しています。そして両派が共同して、キリスト教的な罪を犯した亡魂たちに刑罰を与える執行人になっています。ウェルギリウスがダンテにカパネウスのことを「この男は神を侮辱していたが、今も侮辱していて、神を敬う様子はない」と糾弾しています。この神は、大文字の‘Dio’なので「キリスト教の神」の意味です。地獄の責め苦にあっても堂々としていた人物がもう一人思い浮かびます。第6圏谷にいた豪傑ファリナータです。(地獄巡り13.「地獄を恐れない豪傑ファリナータ」を参照)その男の場合は、キリスト教の時代なので問題はないのですが、カパネウスをここで扱っていることは、ダンテの「筆の誤り」だと指摘されても言い逃れはできないかも知れません。


第3円環の火炎の砂漠

ドレの火の雨の地獄
ドレ(Gustave Dore)の火炎の地獄絵

 いよいよ地獄巡礼者ダンテは、第3円環の中へ歩みを進めます。しかし、砂地の内部には足を踏み入れません。「焼け焦げた砂地(la rena arsiccia)に足を踏み入れないで、森の縁に沿って歩け(74~75)」というウェルギリウスの忠告に従って、しばらくは第2円環の森の縁に沿って歩みを進めました。その模様は、次の様に描写されています。上の「第7圏谷の全景図」を参照しながら読んでみましょう。


私たちは黙々と進み、小川が森から外へほとばしり出ているあたりに来たが、いまでも私はその赤さに慄然とする。ブリカーメから湧いて出る〔鉱泉の〕水を湯女たちがたがいに分けあうように、この赤い水は砂場の間を流れて行った。その水底も両岸も、また河縁もことごとく石からできていたから、ここが渡し場だと気がついた。(『地獄篇』第14歌、76~84)

 この「小川(picciol fiumicello)」は、「朱色(rossore)」なので、熱した血の川プレゲトンから流れ出ている支流かと思われますが、描写は「森から外へ(fuor de la selva)」「ほとばしり出る(spiccia)」と言っています。動詞“spiccia”(‘spicciare’の現在3人称単数)は、「血などが噴き出る」という意味なので、その小川の源流は「森の中で温泉のように湧き出ている」と言うことになります。プレゲトンの水が森の地下を通って、再度、森の出口付近で地表に沸き上がっている、と解釈するのが妥当でしょう。


地獄を流れる川の源流

 このブログでは、ここまで地獄を流れる三大河川を渡ってきました。「地獄巡り3」で三途の川アケロンを、「地獄巡り10」で憤怒の川スチュクスを、「地獄巡り16」では血の川プレゲトンを渡りました。そして今、プレゲトンの支流だと思われる小川を目の前にしています。ウェルギリウスがこの小川を見ながらダンテに対して、この下の第9圏谷を流れるコキュトス川を加えた地獄の四大河川について説明をしました。

 詩人ダンテは、地獄を流れる川の源流をクレタ島に求めています。まず、昔は栄えていたクレタが、今は衰退していることを、先導者ウェルギリウスの口を借りて次の様に説明しています。


  地中海の中にクレタといういまは滅んだ国があったが、それが支配した世界は清らかだった。そこにはイダと呼ばれる、水は湧き草木は茂る楽園に似た山があった。いまは過去の栄えの常ながら荒れ果てている。(『地獄篇』第14歌94~99、平川祐弘訳)

 一方、詩人の方のウェルギリウスは、繁栄している最中のクレタ島の模様を次の様に描いています。

  大海の真ん中にユッピテル大神の島クレータが横たわり、そこにイーダの山とわが一族の揺り籠がある。百の偉大な都市、すぐれて豊かな王国に人々が住む。(『アエネーイス』第3巻104~106)



 当然、ダンテがクレタを栄えた国であったと判断した根拠は、上のウェルギリウスの詩文だと推測されます。そしてダンテは、クレタの当時の衰退した状態を知っていて、「滅んだ国(paese guasto)」と呼んでいます。おそらく、ダンテの時代には、その島は荒れ果てていて昔の面影はなかったことでしょう。しかしクレタ島は、レアがクロノスとの間にゼウス(ローマのユピテル)を生み、「自分の子に殺される」という予言を恐れてゼウスを殺そうとしたクロノスの目を逃れて、隠れ育てたとされる由緒のある島です。


クレタを中心にした地図

 さらに上の地図からも分かるように、クレタ島は、「海〔地中海〕の真ん中(『神曲』では、in mezzo mar:『アエネイス』では、 medio ponto)」に位置していると考えられていました。そのためにクレタ島は、神代の昔から重要な島として特別視されてきました。『神曲』においても、地獄の判官ミノスが王を務め、迷宮ラビュリントス(英語読み「ラビリンス」)を建造したことでも有名です。(地獄巡り15参照) そしてトロイア王家の祖テウクロスもクレタ島生まれです。ということは、その末裔のアエネアスもクレタの血を引き、さらにその子孫のローマ人の源もその島ということになります。なぜそれほどまで、ヨーロッパ人はクレタに自分たちの根源を求めたのでしょうか。最も信憑性のある一つの説を紹介しましょう。

 ダンテおよび彼と同時代人の一般的知識者が信じていた地球の姿は、下に添付しました挿絵に描かれたような世界であったと思われます。


神曲の地球図
 この地図は、筆者自身が『神曲』を解釈して作成したものです。『煉獄篇』で煉獄の山を登るに従って、ダンテが信じていた地球の姿が判明していきます。


 まだダンテの時代には、地球上の陸地の周囲には、大洋(Oceanos)が取り囲んでいて、その向こうへは行くことができないと信じられていました。地球が円いことは、すでにプラトン・アリストテレスの時代から唱えられていましたが、西回りでインドに辿り着くことが可能であるという証明は、コロンブス(Christopher Columbus, 1451?~1506)の成功まで待つことになります。地球の陸地が周囲を広大な大洋に囲まれている形状と、クレタ島が大海に囲まれている形状が一致していると考えられていました。それゆえに、その島は全世界の縮図または原型だと信じられていました。その世界観に従って、ダンテは、地獄の川の源流をクレタ島のイーダ山に設定しているのです。さらにその源泉は、その山に住む巨大な老人(un gran veglio)だとして、先導者ウェルギリウスの口を借りて、次の様に説明されています。少し長いのですが、下に添付した地図を参考にして鑑賞してみましょう。

イーダ山からローマを観る

  山の奥には年老いた巨人が突っ立って、背を〔エジプトの〕ダミアータに向け、ローマを鏡に見入るように直視している。巨人の頭は美しい黄金から成り、両腕と胸は混じりけのない銀で、それから股までは銅、その下はすべて純鉄製だが、右脚だけは素焼からできている。重心はむしろこの脚の方にかかっている。金を除く各部分はひびがはいっていて、そこから涙がこぼれる、その雫が集まって岩を穿(うが)ち、その流れが岩から岩を伝ってこの谷となり、アケロン、スチュクス、プレゲトン川となり、この狭い堀を経て下の方、それより下へはもう行けぬ場所にまで行きつく。そこがコキュトスだ、その沼の正体は、やがておまえも見るだろうから、ここではいわぬ。(『地獄篇』第14巻103~120、平川祐弘訳:句読点は読みやすくするてめに原訳に加えてあります)


 上の詩文の中の、巨大な老人像の場所を記述した最初の部分は、特別な意味があるわけではありません。ただイーダ山に立ってローマを見れば、その背後にはダミアータ(現:ドゥミヤート)があるという博識の一端を、ダンテが披露した程度だと思われます。当然、重要なのは、この「年老いた巨人」像です。その原型は、旧訳聖書『ダニエル書』(第2章31~35)に描かれている、ネブカドネザル(Nebuchadnezzar)王の夢に現れた巨人像であることは疑う余地はないようです。しかし、それが象徴するものは、ダンテ学者の間でも定説が出ていません。平川祐弘先生は、「腐敗して罪の中に老化した人類が、わずかに黄金の頭の部分にだけ原初の良さを保っているのであろう。人類は原初の黄金時代から、金、銀、銅、鉄、土と時代を下るとともに堕落したということである。」という説を紹介しています。『ダニエル書』のダニエルも、王の夢の謎解きをして、金の頭は王の時代の象徴して、銀、銅、鉄、土はその王の治世に続く時代だと解釈しています。おおかたのダンテ学者は、『ダニエル書』に沿って解釈しているようです。確かに『ダニエル書』ではその様に書かれています。しかし、その金属が表象しているものをそれぞれの時代の社会制度だと解釈してみることも有意義だと私は信じています。
 黄金で作られた「頭」は、それぞれの時代の「治世者」であり、その他、銀製の「腕と胸」、銅製の「腹と股」、鉄製の「左脚」、素焼きの粘土製(terra cotta)の「右脚」は、各階層の民衆を象徴していると解釈できます。『ダニエル書』では、石によって素焼きの脚が割られると、像全体がもみ殻のように粉々に砕けたことになっています。しかし、『神曲』では倒壊しないで、黄金製の頭を除いて全ての部分に一本ずつ亀裂(単数形でfessuraとありますから)が走っているのです。その全ての亀裂は涙を流し、その涙の雫が岩を貫き、地中に入って地獄の川になるのです。それゆえに、地獄の川の水は、イーダ山の巨人の胴体部分、すなわち民衆の流す涙であるということになります。
 私の知識が正しければ、当時の世界地図の縮図と思われていたクレタ島に、地獄の川の源流を設定したのはダンテが最初であったと思われます。『神曲』の記述から推測しますと、地獄は北半球の地下全体に広がっている推定できます。地獄を流れる河川の源流を設定することことが必要かどうかは別にして、それをクレタ島に求めていることは賢明な判断だったと評価することができます。


さて、ここでようやくダンテたちは、自殺者の森を離れて小川に沿って土手を進むことになります。この小川は血の川プレゲトンの支流なので、まだ赤く煮えたぎっています。熱傷に注意しながら、ウェルギリウスの後についてダンテも川縁の小径を進み、火炎砂漠を横断します