与え過ぎると、実は為らない。<過干渉と依存症> | 「農業は 人生を賭ける 価値がある」

与え過ぎると、実は為らない。<過干渉と依存症>

「農業は 人生を賭ける 価値がある」

 

 

我が家の工程表で

 

先頭を切って進むのが

 

早生メロン 第一ハウス

 

 

畑作りを済ませて

 

いま保温に入り始めてます。

 

 

 

 

 

 

 

最初、この畑を借りた時

 

蕎麦をやった後の田んぼだから

 

使うのに手間がかかりました。

 

 

水はけは良くないし

 

土はこなれないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

地盤を割って水はけを良くする

 

サブソイラ作業というのがありますが

 

田んぼとしてパンパンに締めてあったので

 

刃が入っていかないとか

 

入ってもトラクターが負けて牽けないとかw

 

 

やっとの思いで畑を作って

 

さてメロンを植えようとしても

 

ゴロゴロの ガラガラで

 

手袋が破けちゃうとか

 

鉢土と地面が密着できないとかw

 

 

まあ、イイ経験させてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも不思議なもので

 

その時に出来たメロンが

 

いちばん美味しかった気がします。

 

 

苦労の分だけ 感じるものが多かった。

 

その通りですが

 

小さいながらも 実の奥深さは

 

今でも舌や喉に残るほど

 

思い出深い味でした。

 

 

 

 

 

 

 

その後、土も良くなり

 

作物もすくすく育つようになり

 

収量も品質も安定してきました。

 

 

あの時の経験があればこそ

 

その後を前向きでやってこられました。

 

 

初年度のメロンに

 

勇気づけられたも同然です。

 

 

 

 

 

 

 

十数年、全部合わせると100作ほど

 

栽培を繰り返してきて

 

分かったことがあります。

 

 

作物は

 

与え過ぎると

 

実を為らせません。

 

 

花は咲かせても 結実させず

 

いつまでも樹が威張って成長を続け

 

種を残そうとしません。

 

 

これって

 

人の成り立ちと似てると

 

思いませんか?

 

 

衣食足りて なんとやら・・・

 

 

あのパターンと一緒ですね。

 

 

 

 

 

 

 

何かにつけて

 

人目やカッコを気にして

 

でも自力でやる気はなく

 

権利を主張し 親にねだって

 

イイ気になる。

 

 

自分で探して 自分で作ることを知らないから

 

生き残り方が身に付かない。

 

 

ねだる人を一つ二つ食いつぶし

 

でも一人で生きる勇気も覚悟もないから

 

あちこちにすり寄って

 

新たなねだり先を探していく。

 

 

近寄ってはいけない人種の

 

一つですよね。

 

 

 

 

 

 

 

最初のメロン

 

樹から落ちて 腐る寸前の あの味

 

 

私たちに大切なことを

 

教えてくれました。

 

 

畑作りをしてても

 

土が出来てきた いま

 

もう与え過ぎないよう

 

メロンやかぼちゃの自活能力を

 

目覚めさせるよう

 

目先を少しずつ変えています。

 

 

と同時に

 

私たち自身にも

 

緊張感を失って イイ気にならぬよう

 

最初の頃のピリピリ感を忘れず

 

一作一作に魂を込めたいと

 

言い聞かせております。

 

 

 

 

 



やってもらうことを当たり前になると

根は育ちません

作物も、人も。




 

北海道 小柴ふあーむ

 

代表  和美
その夫  孝志