ほんとにコメントがたくさん。

違和感もある。
受け止めなきゃと思う話もある。
ありがとうと思う部分もある。

ちなみに学校とは連絡は取れています。
息子の何かが枯渇してしまっていることを一緒に先生は心配してくれてる。
と、同時に担任も部活の顧問も息子さんはかしこい(勉強うんぬんではなく)から根っこの部分は大丈夫とも言ってもらって励まされもしてます。

この夏休みをリフレッシュに使うようにと言われました。
私はそれを私立中学の営業トークとは思ってません。

今でもどこに出しても恥ずかしくない子です。親バカと言われてもしかたないけど、彼を誇ってるから。

私が成績表を捨てさせることも、先生には申し訳ないとお伝え済み。ちょっと困っていたけど(笑
それくらい徹底して息子には伝えたい。そのことも伝えてある。

私は成績がよかろうと悪かろうと、関係なく愛しているってことを。

勉強していなくてもそこそこ取れてしまっている教科が今まではあったりして、そこを間違って褒めたりしたくなかった。


でも、甘い、そんなんじゃダメと言われるみなさんは、
一般的に不登校児と言われる全国の子供達やその親に対しても、やっぱり甘いとお思いですか?

義務教育の域をでるまでは、甘えたことを言わず小学校や中学校に行くべき。
甘えてはいけない。親も子も。
でも、甘えがなくなれば、子供達は学校にいけるんだろうか?

そして大前提として、学校にいけない子供達は間違ってるんだろうか?
その子らを育てた親の育児は間違ってるんだろうか?

私にはそこがよくわからない。
すんなり違和感なく社会に適応出来ればいい人間なのだろうか。
もちろん適応出来なければ、苦しむことになるのはわかってる。
社会ってそういうものだから。
それはわかってる。
わかってるからみんな苦しんでる。


不登校で悩んでいる親は、
じゃ甘えずに立ち向かうって、実際にはどうしたらいいの?と思うんじゃないだろうか。

カウンセリングを受ける。
本を読んでみる。
外の空気を吸わせてみる。
ゲームを取り上げる。
友達との交流を持たせる。
一緒に勉強をみてあげる。
勉強しなくていいという。
抱きしめる。
本気で怒る。
泣く、もしくは泣かない。
引越しをする。

きっと山ほどいろんなことみんな試してる。
事情は様々でも、みんなもがき苦しんでる。
でも行けない、行かない子がいるという事実も実際にはある。

だって行けないんだよ。
行く気はあるのに、でも動けない子もいる。
もう子供とはいえ、一人の人間だ。
さとしても、怒鳴っても、ダメな時ってあるんじゃない?

たかだか数年しか生きてない子に、たかだか40年くらいしか生きてない奴が、不確かなことをもとに生きる術を教えてる。
子育てってそんなものなんだと思う。

私の友達も息子さんが学校に行けなくなってから長い時間が経ってしまった。
でも私は彼女も旦那さんもひどい子育てをしていたとは思わない。
それは誰でもあるような風景に見えていたから。
そしてその子もとてもいい子だ。昔から感受性の強い、やさしい子だった。

彼女らの苦しみは、その期間からいって私たちのそれより大きい。
うちとは原因もなにも違うだろうし、一緒にしてくれるなと言われてしまうかもしれない。

でもはたからみれば、
勉強しない、ゲームしてる、学校休むは、同じ。


私は夫の問題で、死にたいと思ったこともある。
死に逃げ込もうとするなんて、甘えもいいところだろう。
精神科にもお世話になった。
でもそれがあって、今がある。
そして今は幸せだ。
よそからみたら粗末で気の毒に映るかもしれないけど、息子と2人幸せだ。

そんな私が息子にだけ何もかも逃げるな!向き合え!と言えるだろうか。
親として、言うべきところは手を緩めない。
でも現時点では、彼をみていて勉強は私にとっての言うべきところではない。

身体も心も死んでしまったら、
勉強もなにもないんだから。

身体と心に力がついたら、時期をみて彼は勉強しなきゃいけないことに気がつく。なんの勉強かはわからないけれど。
そして気がついた時には、立ち止まっていた時期を後悔するにちがいない。でも気がつけば間に合わないなんてことはない。気がついたことに価値がある。後悔に意味がある。

私はその少し前に言葉をかけるかもしれないし、かけないかもしれない。
それも今はわからない。

それでもいいと思っている。少なくとも今は。